4号機はミサイルで爆破された
3月11日の地震当日、4号機は原子炉圧力容器の上蓋が外されウラン濃縮は行われていなかった。
拡散筒には濃縮前の六フッ化プルトニウムがガス化して充填されていたが、筒内のプルトニウムは臨界する量に達していないので、地震の揺れで3号機のような臨界が起きなかった。
使用済み核燃料プールには、使用前の拡散筒が入っていて燃料プールの温度上昇は起こらない。4号機は1号機から3号機までの状況と違って危険はなかった。
しかし、この状況は、ウラン濃縮プラントである3号機が爆発した状況で、4号機が残ることは米国と日本政府にとってはまずい状況であった。ウラン濃縮の施設であることが知られてしまうからだ。
日米両政府は、4号機が無傷で残った場合に、ウラン濃縮プラントであることが知られてしまうことを恐れた。日本の原発でウラン濃縮のOEM生産をさせていたことを表に出すわけにはいかない。
この問題を解決するために、4号機は、沖合いに待機していた米原子力空母ロナルド・レーガンの艦載機のトマホークで爆破されたのである。
建屋の壁にはミサイルが撃ち込まれた跡があり、建屋内部の写真からは延焼した形跡はなくミサイルの爆破であることは明白である。
この、ミサイルによる爆破は日本側も知っていたはずだ。朝6時の爆破後火災が発生するが、それまで、事故後静観していた米軍が消火活動に参加する。
それまで、空母で静観していた海兵隊が原発事故現場に乗り込んできたのは、爆破の跡を確認するためと、ミサイルの残骸を収集することだったと考えるべきです。
4号機はウラン濃縮プラントであり、破壊による証拠を隠滅するために、米軍がミサイルを撃ち込んだのである。
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