2号機のウエットベントとドライベント
地震の揺れで、2号機は、主蒸気管が自動閉鎖されタービン建屋と隔離される。それと同時に、原子炉内の蒸気タービンが回り注水ポンプが稼働する。
2号機は、スクラム後の崩壊熱による蒸発による燃料棒露出を防ぐために注水による水位維持システムを持つ。注水システムは、電源喪失時には、炉内の圧力を利用して蒸気によるタービンの回転でポンプのモーターを回す。
冷却系統は、原子炉圧力容器の外側(シュラウド)に注水する低圧系と、格納容器内の燃料集合体に注水する高圧系に分かれる。
崩壊熱が持続している間は蒸気タービンは稼働するのだが、14日の13時25分、「冷却機能喪失」を宣言。蒸気タービンが止まり、非常用電源も喪失した状況で、注水システムは停止する。
崩壊熱は100時間以上持続するといわれているが、モーターを回転させる蒸気は、約70時間しか持たなかったことになる。
地震直後の津波で非常用電源が失われているから、注水ポンプの停止は、燃料棒露出、水素発生、燃料棒溶融という1号機と同じ過程を辿る。
東電は、1号機爆発後、蒸気タービンによる注水システムが停止した後にここの事態を想定して2つのシステムを急ごしらえで作っていく。
一つは、タービン建屋につながっている蒸気管を開けて蒸気(圧力)を逃がし高圧系注水を外部の消防のポンプ車を使って継続するというシステム。
二つ目は、格納容器内の圧力を圧力抑制プールに逃がす配管システムである。つまりウエットベント。また、この配管を排気塔にもつなげていた。これがドライベント。
燃料棒が露出しないように、主蒸気管(SR弁)を開放して蒸気をタービン建屋に逃がし、圧力を下げて、消防のポンプ車での注水を続けるが、蒸発による水位低下に注水が間に合わない。
16時34分に注入する水がなくなり海水を注入するも、19時45分には全燃料棒が露出。
水素の発生とともに、格納容器内の圧力が上昇。23時29分、高圧力で主蒸気管(SR弁が閉鎖)。格納容器圧力が異常上昇。
15日0時に、事故後に取り付けた圧力抑制プールに接続された配管の弁を開放。つまり、ウエットウエルベントを開始。
0時のベント開始後、圧力調整プールを経由して放射性物質が排気塔から排出。周辺地域のモニタリングポストで高濃度の線量が観測。
ベントと平行して消防車によってホウ酸を海水と一緒に燃料棒に注水し臨界を起こさないように対処した。
しかし、ベントで逃げる圧力よりも格納容器内の圧力の上昇が早く、原子炉内にホウ酸などの減速材の注入ができなくなる。
そして15日の3時には格納容器圧力が設計圧力を超えた時点で、圧力抑制プールを通さずに、直接排気塔につないだ排気菅のドライウエルベントを開始。
この時の風向きは、北から南方向の風であることが、事故当時のテレビ会議で確認されていて、東京方面へ放射能は撒かれたと考える。
6時20分、圧力抑制室で水素爆発。これは、格納容器内の燃料棒がメルトダウンし、一部がメルトスルーし圧力抑制プールの水と接触した水蒸気爆発と思われる。
2号機の炉心溶融は、ホウ酸水などの注水で、一部メルトスルーしたものの、大半は格納容器内に残ったと考えられる。つまり、1号機はメルトアウトしたが、2号機はメルトスルーで留まったということだ。
2号機の溶融した核燃料は水で冷却されているが、メルトスルーした処から漏れている。常に水を供給しなければならず、また汚染水も出続ける事態となる。
2013/11/18 改稿
戻る
|