原発問題ではなく原子炉プラント問題
1939年、ドイツの科学者たちは、ウラン-235 の原子核が中性子を吸収すると核分裂を起こし、核分裂当たり2.5〜3 個の中性子が生まれる核エネルギーを確認した。
この核分裂の研究開発競争が、ドイツとアメリカを中心にはじまった。米国の研究の中心は、ドイツから亡命したアインシュタイン、ハイゼンベルグである。
ドイツの研究の歴史は知らないが、米国では、1940年から天然ウランからウラン-235 の分離し濃縮する研究がはじまる。ガス拡散法による濃縮技術が開発されて、核兵器用の高濃度の濃縮ウランの生成に成功する。この高濃度のウランを使用した核爆弾が日本の広島に投下された。リトルボーイである。
さらにウラン濃縮研究過程で、1941年にウラン-235 と同様に核分裂を起こすプルトニウム-239 が発見。194212月に、原子炉内でウラン-235 が核分裂の連鎖反応しプルトニウム-239が生成されることが確認された。
米国に亡命したイタリア人の科学者エンリコ・フェルミは、シカゴ・パイル1号という黒鉛炉の原子炉を開発し、プルトニウムを生成し抽出することに成功した。シカゴ・パイル1号の原子炉で生成されたプルトニウムが、長崎の投下されたファットマンに使用された。
リトルボーイやファットマンなどの核兵器の開発を平行して、ウラン濃縮やプルトニウムの生成などの研究開発で、原子炉内の研究開発も進み、、ウラン-235の核反応を制御する技術と、プルトニウム-239の生成技術の基礎が確立され
前者は、潜水艦などのエンジンに用いられる軽水を減速剤として用いる軽水炉である。これに対して中性子を吸収しない黒鉛を減速剤とする黒鉛炉は、プルトニウム生産炉として開発された。
戦後、原子炉の熱を利用して蒸気によって発電タービンを回す原子力発電が登場する。発電用の原子炉として開発されたのが減速剤に軽水を利用する軽水炉である。
軽水炉は、中性子吸収量が大きいため、運転に必要な余剰反応度を確保するには、濃縮ウランを燃料とする必要があるが、軽水炉はガス拡散法の拡散筒を収容でき、軽水で冷却ができるために、軽水炉で蒸気タービンを回す発電プラントと、ガス拡散法によるウラン濃縮プラントを組み合わせた施設構成を作り上げた。
ガス拡散法によるウラン濃縮には膨大な電気を消費するが、発電用の原子炉から電気を受けてし、拡散筒を取り出すなどの作業時には、電線網に電力を供給した。
戦後、原子炉は発電プラントとして利用されるようになる。システムは産業革命時代の蒸気で発電タービンを回すという原始的な構造でそれは今日に至っても変わっていない。
減速剤に水を利用する軽水炉が中心の米国の原子力発電所は、最低2基以上の原子炉で構成されるが、発電プラントとウラン濃縮プラントの原子炉で構成されている。つまり、我々が認識している原子力発電所というのは電力発電とウラン濃縮の複合プラントである。
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