幕末動乱に暗躍する両班派閥の存在
薩摩藩の城下に、豊臣秀吉は行った朝鮮出兵で連れてこられた朝鮮人集落がある。高麗町である。1600年代に日置郡伊集院郷苗代川村(現在の日置市東市来町美山)へ移されるが、郷士との姻戚関係などで、この町の中で独自のネットワークを持つようになる。
ちなみに、明治以降、高麗町から出た政府の要人は下記のとおり
西郷隆盛、 大久保利通 東郷平八郎 大山巌 山本権兵衛
薩摩藩は4人に1人が郷士であり、李氏朝鮮で両班という差別社会では、常人と呼ばれる農民は、過酷な差別に耐え切れず、金を出して両班の地位を求めたといいます。高麗町の朝鮮人にとって、郷士が両班であり、郷士になるために婚姻を繰り返したのではないでしょうか。
大内氏が滅びたあと、平家の落人が住んでいた田布施村に大内氏の家臣団が住み着いたのが田布施村であると考えられます。朝鮮儒教の影響により、男系天皇制への思想的下地ができたと考えられます。
明治以降の政府の要人は、高麗町と田布施村出身者が多数出ています。
伊藤博文(首相) 河上肇(共産党・学者) 難波作之進(衆議院議員) 難波大助(虎ノ門事件) 松岡洋右(外務大臣) 賀屋興宣(大蔵大臣) 木戸幸一(内大臣) 安倍源基(内務大臣) 宮本顕治(共産党)
は長州と薩摩が中心となって徳川幕府を倒したましたが、高麗町と田布施村という狭い地域から、これだけ明治政府の要人は輩出されているのは奇異です。
この論の主題ででもある嘘と詭弁で塗り替えられた日本の歴史は、明治以降に書き換えられたものであり、それは、高麗町と田布施村出身者がら書き換えたのではないかという疑問から始まっています。
以下、高麗町と田布施村の系譜の人々を、両班派閥として以下の論を書きます。
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