第十章 永田町に競争主義の導入を
(1) 政党は選挙のための組織でいいのか
企業や労働組合などが行う献金である、2002年分の政治資金収支報告書によると、政党・政治団体の総収入は1350億円で前年比13.4%減少、支出総額も、1246億円と23.2%減り、収入支出ともに85年以来、最も低かったようです。一方、政党としての収入で、政党助成金の占める割合は、自民党が66.1%。民主党は81.8%と高くなっています。これは、長引く不況に加え全国規模の国政選挙などがなかったことが影響したと思われます。
この中で政党助成金は、選挙には金が必要ということを前提に、金権選挙の批判をかわすために作られた制度です。現職議員1人当たり年間4000万円が支払われるという助成金は、ずばり選挙費用でしかありません。これは党運営というのものが、選挙活動を中心になされていることがわかります。実際に、党の中での地位によって、この助成金の配分にさじ加減が加えられて、国会議員は、政党内での立身出世が次回の選挙の当選を約束されるのです。
また、企業献金先の多い国会議員が党内で出世して、その国会議員に取り巻くことで派閥が生まれ、その派閥の人間関係で、政党の管理職に引き上げられることを国会議員は期待しているのです。この行動形態は、報酬よりも地位を求める日本の一般の企業社会と同じです。政党での地位を求めるために、選挙での集票力と献金額に精力を注ぎ込む日本の国会議員に、国益と理念はありません。彼らの政治は、既得権益の調整であり、いかに、地元に国の予算を持ってこれるのかで評価されました。さらに、2000年のKSD事件では、自民党の村上正邦が、比例名簿順位を、架空の名簿で買い取るというような事件が起きました。お金で国会議員の地位を買っていたのです。
多数の党員を国会に送り込むこと、つまり選挙に勝つことが「権力」を握ることではありますが、選挙のために投資する資金力で、勝敗を決定する時代は終わりつつあり、また終わらせなければならないのではないでしょうか。従来の組織型選挙は、金と縁故、そして産業別、業種別と、それぞれの業界の権益を「票」に変えてきました。しかし、バブル崩壊で、産業別そして業界別の権益は、熾烈な生存競争に埋没し、派遣社員の急増で、組織が動員できる票は相対的に少なくなり、彼らは無党派層として存在しています。
森喜朗前首相が彼らに「選挙の日は寝ていてくれればいい」と本音を言ってしまったり、政権交代を実現するために、無党派層を取り込まなければならない民主党が、選挙になると労働組合の組織票に近づき、結果無党派層にそっぽを向かれたりしている状況で、皮肉にも無党派層を動かしたのは、「自民党をぶち壊す」というスローガンを掲げた自民党の小泉純一郎でした。この時代の変化の中で、縁故や組織に金をばら撒いてもその投資効果は以前のように期待できないのです。今は、選挙の時政党や政治家が見向きもしなかった、無党派層の動向が、選挙を左右する時代に入っているのです。
彼ら無党派層を動かすのは、お金や何でもありの御都合主義の政治ではなく、二者択一の政治です。日本の労使関係のような茶番劇のような対立ではなく、田中角栄のように、何でもありの政治ではなく、互いの権益を主張しあう政治が必要なのです。そして、そのバランスを二者択一の政治に求めるべきなのであり、多数決という民主主義の基本に立ち返る時なのです。
従って、この時代の政党は、選挙のための政治をするのではなく、既得権益側か、それとも非既得権益側の立場なのかを明らかにして、それぞれの立場での権益を主張する政治をするべきです。政治家は選挙のために政党に群がるのではなく、スタンスを共有する場として政党が存在しなければなりません。選挙で票を確保するのではなく、無党派層の国民の顔を上げさせるのです。
それには、従来の組織選挙を支えてきた企業献金や政党助成金は弊害でしかなく、この制度に見直しが必要となるでしょう。
(2) 市場経済は企業献金を認めない
現行法で、企業献金が合法とされている理由は、政治資金改正法がその根拠だそうです。この中に、企業が献金できる最高限度額を規定していて、この条文の反対解釈で、企業献金は正当化されるのだそうです。
しかし、企業とは「営利の目的で継続的・計画的に同種の経済行為を行う組織体」です。企業の、営利を目的としない行動は、株主や組合員への背信行為となります。つまり企業が政治献金をするならば、それが利益に結びつく政治行動がなければならないのです。しかし、企業を斡旋して報酬を受ける政治行動は民主主義では禁じられています。 斡旋利得罪です。
また、「法人」の権利能力は、民法43条で、「社団法人は定款で、財団法人は寄附行為で定めた目的の範囲内において、権利を持ち義務を負う」としています。つまり、法人とは、自然人以外のもので法律によって権利能力を認められたものをいうのであり、「人」の持つ権利能力とは明確に区別されています。
つまり、仮に、斡旋利得が合法としても、政治というものは、思想・信条が深く関わるものであり、「法人に政治に参加する権利」を認めたならば、法人には思想・信条の自由も持つことになります。これは、「国家の意思や政治のあり方を最終的に決定する権利」である主権を法人にも与えることになり、憲法前文の主権在民は否定されることになります。
(3) シンクタンクとしての政党
現在の政党は、選挙のための党運営ではなく、有権者の声を政策に反映するシンクタンクとしての党運営に変えるべきです。現状では、霞ヶ関がそのシンクタンクの役割をしていて、政権交代があっても、シンクタンクとしての霞ヶ関の官僚はそのままなので、政策が劇的に変わることはありません。
しかし、政党がシンクタンクの役目を果たせば、政権交代は、政権のシンクタンクの交代を意味し、選挙で求める有権者の声を実現することができます。そして、国会議員のいる国会の上に政党が位置するのではなく、国会とシンクタンクは対等の関係であるべきでしょう。この関係の中で、霞ヶ関は、国会の下部組織として位置付けられるのです。
具体的に、国会議員と政党の関係を対等にするには、議会活動を支える政策スタッフのあり方を変えればいいと思います。それは、シンクタンクとしての政党は、政策スタッフを国会議員事務所に派遣することで、政党の主義主張を、議員の国会活動に反映させるという考えです。
政治家は、議員活動費の中から政策スタッフの人件費を政党に支払い、その政策スタッフの力を借りて、有権者の権益を政策に反映します。主義主張を同じにする政党から政策スタッフを派遣してもらうことで、国会で勢力を伸ばし、政党はその政策スタッフを派遣することで党運営をします。
(4) 政策秘書制度は即廃止へ
政策スタッフとは、現在の政策秘書と同じですので、政策秘書制度は廃止する必要があります。現在、政策秘書になるためには、 国家公務員1種試験並みとされる資格試験に合格するか、 選考採用審査で認定されればなることができます。そして、後者の選考採用の対象となるのは、公設秘書経験が10年以上あるか、司法試験または公務員1種試験などの合格者、または、博士号を持っている人となっています。
この選考採用の基準で、公設秘書経験が10年以上というのは秘書という職業の既得権益であり、家族を秘書にした場合に、政治家という職業が、閨閥で支配されることを意味するものであり、政治が世襲制となる温床です。また、司法試験または公務員1種試験などの合格者というのは、官僚の天下り先となるものであり、霞ヶ関との癒着の構造を形成するものです。
そもそも、秘書とは、「要職にある人に直属し、機密の事務や文書を扱い、その人の仕事を助ける役」です。問題は、国会議員の活動は、陳情や請願、そして、立法業務や、行政の監察など様々で、これらの仕事は、機密の事務や文書を扱う仕事ではありません。基本的に、議員個人の行動を支援する秘書と、いわゆるスタッフを分離するべきであり、国会議員事務所の運営全体を視野に入れるべきでしょう。従って、国会議員の世襲制や官僚の天下りの温床となる政策秘書制度は即廃止するべきです。
(5) 議員活動はNPO法に準ずるべき
そもそも議員は「篤志家」であるべきですが、その行動が無報酬であればその職業は、特権階級のものになるでしょう。なぜなら、そうであれば、被選挙権は労働所得で生活する一般市民ではなく、不労所得の人々だけの権利となるからです。「法の下の平等」の概念からすれば、篤志の行為は、無報酬で行われる奉仕とは区別しなければならず、この違いを明確にしない限り、議員のごっつあん体質はなくならず、政治と金の問題はなくならないでしょう。
主権が国民にある民主主義の社会では、篤志の行動に報酬があるべきであると同時に、その行動で利益を求めてはいけません。それは、利益を求めれば、斡旋利得が合法化されて議会制民主主義は崩壊します。利益を求めない活動であり、無報酬ではない活動は、まさしくNPOの概念であり、政治活動はNPOを代表する業種であるはずです。
しかし、日本のNPO法は、その対象業種が限定されているのもおかしいのですが、この中に議員活動が入っていないことが決定的におかしいと言わざるを得ません。NPO法の作成の段階で、政治活動を社会事業活動としなかった国会議員の論理力にはあきれるばかりであり、「篤志」と「奉仕」を一緒くたにするボランティアという概念は間違っています。
政治は経済活動を基本に考えなければならず、無報酬の活動で社会が成立するならば、その国家は共産主義でなくてはならないでしょう。議員活動は法人組織でするべきであり、それはNPO法に準ずるべきです。
(6) 議員活動を支えるのは個人献金という税金で
選挙によって選ばれる議員は、その報酬は国民が負担するものですが、その負担率は一定ではありません。こんがらかった糸のような議員の報酬形態は、議員を選ぶのは国民であるのに、その活動を支えるのが国民以外に権利能力を持つ、法人や国家の献金であるからではないでしょうか。
この意味で、現在の政党助成金はナンセンス以外のなにものでもありません。だいたい、本来約款などで権利能力が制限されている法人が、政治に関与できるはずがないのに、企業献金が日本の政治を支えているのはおかしいのです。
政党の活動は別として、議員活動の負担は、国民が平等に負担するべきでしょう。なぜなら、国民の権利として選挙権が与えられているのですから、その選挙で選ばれた議員の活動は、国民が負担するのは当然だからです。つまり、選挙権という「権利」に対して、議員一人一人の、政治活動の資金の負担は、国民の「義務」であると考えるのです。この意味で、献金は個人献金でしか成立しえないといえるでしょう。
このような基本概念に従い、議員活動のシステムを考えると、まず、議員活動にいくら必要であり、納税者一人当たりいくら負担すればいいのかという話になります。
たとえば、国会議員の場合、議員事務所を統括する事務所責任者と財務責任者、そして、議員の秘書と事務員、そして政策スタッフの人件費と事務所などの諸経費を総経費とします。仮に、スタッフの総数を最低8人として、平均年収700万で人件費が年に5600万円。事務所などの諸経費が、月に200万として年に2400万円。議員の報酬を2000万として計年1億円とします。衆参の議員の総数は726人ですから、総額は726億円。これを、納税者数で割ると、約6500万人(?)として、一人当たりの負担額は約1100円となります。
これは国会議員活動の負担額ですが、これに、県議会議員や市町村議会の議員の分も合わせた額が、政治に参加する権利に伴う国民の負担額となります。この額を単純に税金として徴収すればいいのです。そして、内訳として明細を国民に告知することで、政治に対する関心も高まるのではないでしょうか。
もちろん選挙などにはお金がかかりますが、これは、個人献金を中心に構成するものであり、選挙活動と議員活動を一緒にしてはならないし、会計上もきちんと区分けするべきでしょう。このように政治活動の定義をして、自由経済のルールに従い、NPO法人としての議員活動を考えればいいのです。
(7) 国会議員事務所の運営制度を確立するべし
国会議員事務所は、立法府での仕事のスタッフと、地元での選挙対策を担当するライン、そして、議員の行動を補佐するセクレタリー、そして、資金管理をするマネジメントときちんと分業して、議会活動をする上での最低限のスタッフを、国は国会議員に与えるべきです。
つまり、議員活動を政治資金規正法や公設秘書制度などで規制するのではなく、議員活動の定義を明確にして、議員活動を支えることを基本として制度を考えなくてはいけません。選挙で選ばれた国会議員に政治活動の権利を保障すると同時に、その活動の内容を国民に公開する義務を持たせるのです。
国が決めた最低限の議員事務所の運営費を国が負担し、国会議員に、NPO法に準じた収支報告書の提出を義務づける。そして、国が保障する運営費に個人献金による収入を足して、スタッフを増員するのも、そして、議員自身の報酬もスタッフの給与も、その国会事務所の自由裁量とするのです。国会議員事務所の収入の格差が、その議員やスタッフの報酬に比例することを認めるのです。
こうすることで、国会議員事務所同士の競争意識が芽生え、議会活動に活力が生まれるでしょう。また、NPO法に沿った収支報告書を義務化することで、不正なお金の流れも蓄財もなくなるでしょう。政治資金規正法も公設秘書制度もいらないのです。制度はシンプルにするべきであり、問題に蓋をするのではなく、問題が起きないようにすることが重要なのです。