第五章 日本経済の迷走の原因は「企業の再生」にある

(1) 会社更生法と民事再生法の違い

 従来の日本の企業再生の政策としては、会社更正法がありましたが、この制度では、会社は、経理上、開始決定によりそれまでの会社との関係はなくなり、新しい会社としてスタートすることになります。つまり、株主は株式を無くし、経営者は経営から排除され、市場からは一時的に去らなければなりませんでした。

しかし、民事再生法では、会社は開始決定により事業年度が終わりません。基本的に株主は同じで、経営者は経営から排除されず、市場での存続が可能となります。

 財産評定の制度では、会社更生法の財産評定は企業継続価値を基本としますが、民事再生法の財産評定は処分価格ですることが原則となっています。つまり、企業が持つ市場占有率を維持したまま、不良債権をオフバランス化することができるのです。

 会社更生法は、市場占有率の維持を再生の基本にしますが、民事再生法では、それに付け加えて不良債権をオフバランスすることを目的としています。

(2) 産業再生法に求めるもの

 産業再生法は、バランスシートの問題よりも、企業が不採算部門を切り捨てたり、新規事業に乗り出すなど,事業構造の転換を目指すリストラクチャリングを支援するものです。だから、合併、営業・事業用資産の譲受・他社株式の取得、資本の相当程度の増資などの支援策が盛り込まれたのです。

 つまり、民事再生法は、バランスシート型不況の、デフレに対応する政策であるのに対して、産業再生法は、リストラクチャリング(企業の再構築)の時代に対応する企業再生支援策であるのです。

これは、生産性の向上を主目的としていて、事業者が営んでいる事業の中で生産性の低い分野からの撤退・縮小を進め、より生産性の高い分野に経営資源を重点的に投入する、「選択と集中」を促進するための政策なのです。つまり、産業再生法は、国内における多角経営の企業から、国際競争力のある企業の育成への政策なのです。

(3) 産業再生法の評価

民事再生法が、バブルの崩壊の時代に対応した政策であるのに対して、産業再生法は、産業の空洞化の時代に対応するために、国内産業の生産性の向上をリストラクチャリングに求めた経済政策です。

 しかし、日本が、リストラクチャアリングに目を向けていた95年ぐらいから、世界の工場となりつつある中国に代表される生産拠点のグローバル化と、消費大国のアメリカを基軸とする世界経済は、世界の工業製品の生産力が過剰気味となりつつあり、需要に対して供給が上回るデフレーションが起きていました。

 日本は、下がり続ける物価に対して、1400兆円の個人資産を背景に、潜在需要はあるとして、需要創出政策を取ります。度重なる財政出動とプライマリーバランスの矛盾を抱える需要創出政策は、供給過多の経済状況を視野に入れることをしませんでした。

(4) 竹中金融・経済財政担当相の企業再生に求めるもの


 竹中金融・経済財政担当相の経済政策は、企業ビジネスの債権市場の原理を利用して、企業再生を図る経済政策です。企業再生ビジネスとは、倒産した企業の不良債権を安値で購入し、その資産を基に企業を再生し、その企業が株式を上場することで、その株式資産の値上りによる利益、つまり、キャピタルゲインを求めることです。

 竹中金融・経済財政担当相は、銀行を国有化してまでも、不良債権を債券市場に出して、債権市場原理によるリストラクチャリングで、企業の再生をしようとしました。しかし、債権市場の市場原理を利用して企業を再生するというのは、求めるものがキャピタルゲインであることは明白であり、これで活気づく市場は、ウォール街を中心とする金融市場だけです。

 この金融市場は、為替の取引高が貿易額の27倍である現実から、あきらかに実体経済とは乖離していて、日銀のダム理論は詭弁でしかないのです。

(5) 企業再生法は、平成の徳政令だ

 企業再生ビジネスは、企業の生産力調整を図り、スリムな企業体質にして、それを株式市場で評価してもらうものです。つまり、生産力が過剰である時代のビジネスモデルであるのです。

 企業再生法は、この生産力調整の時代に適応したものであり、今までのリストラクチャリングを目的とする産業再生法とは、根本的に異なる政策なのです。

これは、企業の倒産で不良債権として債券市場に出る、土地を含めた日本の資産を、外資ファンドに支配させないために、この不良債権を政府が買い取ることを主目的としているのです。つまり、企業再生ビジネスを官主導でやろうという訳です。これは言い換えれば、平成の徳政令です。

(6) 何故、企業再生なのか

 不況の原因がバブル崩壊後の信用収縮から、生産性の低さによる企業競争の欠如、そして、今の世界的な供給過剰によるデフレ不況へと推移している状況で、利権しか見えない永田町の国会議員は、いまだに、資産デフレを口にしています。

しかし、日本の経済官僚は、民事再生法、産業再生法、そして、銀行の国営化による不良債権処理政策と、経済状況に即した経済政策をとっていると思います。つまり、現在の不況が、供給過剰が原因であることは、経済官僚側も理解しているのです。

 ただ、私が問題とするのは、この政策の基軸となるのが、企業の再生であるということです。これは、企業の持つ市場のシェアの現状維持をスタートラインにしているのです。

 「経済は資本が寡占化していく過程で成長し、その産業の寡占が終わると、新しい資本の寡占が始まる」という資本主義の原理からいえば、寡占化した資本のリセットを市場原理以外の権力で止めてしまうことは、新しい資本の寡占が始まる動きを封印してしまうのではないかということです。

 市場をリセットすることで、資本が成長することが経済の活力を生み、寡占化していく過程こそが競争原理を生むのではないでしょうか。

(7) 資本主義の原理と基本に立ち返ろう

 目標とする市場(自動車等)があった時代や、供給が需要を超えない時代には、市場を、官がコントロールする統制経済も有効であったかもしれません。しかし、世界的に生産力が過剰である状況の中で、日本は、市場を自分達で開拓しなければなりません。この市場を開拓するのに必要不可欠なのが、経済の活力でありモラルでありましょう。

 企業を再生するのではなく、企業の淘汰を受け入れ、市場をリセットすることで、新しい資本が生まれ、寡占化していく過程の中で、活力とモラルが生まれ、その活動が新しい市場を生み出すのではないでしょうか。

 今は、資本主義の原理と基本に立ち返るべきです。ケインズ主義者も、複雑な計算式で経済を表す近代経済学者も、今は、資本主義の原理と基本に立ち返るべきではないでしょうか。

 資本のあり方と、その調達手段としての直接・間接金融機関の仕組み。そして、カルテル・トラスト・コンツェルンなどの意味するもの。インフレとデフレ。倒産と戦争。そしてワークシェアリング等々の概念を、資本主義の基本に照らして共有化し、議論するべきです。

(8) 日本経済のキーワードは、活力とモラルです

 日本社会は、社会主義経済と資本主義経済が混在しています。今の日本の閉塞感は、世襲政治の永田町と、官僚シンジケートを頂点とする公需の社会主義経済の国民と、民需の資本主義経済のもとにいる国民との経済格差に原因があります。
 
 社会主義経済の側では、既得権益側に入るという競争原理が活力であり、その中に入れば、後は組織を守ることがモラルなのです。資本主義経済では、資本が寡占化していく過程が活力を生むのであり、民主主義的な経済活動がモラルを生むのです。

 日本の経済政策は、「企業の再生」に焦点を当てているのに根本的な間違いがあります。そうではなくて、資本主義の原理と基本に立ち返り、経済の活力とモラルの再生をキーワードに政策を立て直すべきです。 。

第一章 原理資本主義

第二章 時代が加速している21世紀

第三章 ベルリンの壁の崩壊から学ぶ経済のあり方

第四章 日本経済を考える

第五章 日本経済の迷走の原因は「企業の再生」にある

第六章 新日本列島改造論

第七章 担保主義に代わる金融システムの提言

第八章 経済の元凶である退職金と年金制度

第九章 政権交代の主役は国民である

第十章 永田町に競争主義の導入を

第十一章 政策提言

第十ニ章 CDS債が核のボタンであるという意味

著者からのメッセージ

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