利潤と賃金(2005/10/10)

資本主義では、利潤は、「労働力の搾取によって生み出される剰余価値の転化したもの」という考えがありますが、この考え方では、現代の労使関係を合理的に説明できません。利潤に対する新しい概念が必要です。

従来、一般会計では利潤とは、総収入から生産のための費用、つまり、賃金・地代・利子・減価償却費などを差し引いた残りとしていますが、私は、「賃金」と地代・利子・減価償却費などの経費を別にするべきだと考えます。これは、今の付加価値額という定義とほぼ同じですが、私は、総生産額から原材料費と機械設備などの減価償却分を差し引いた、人件費・役員報酬費・株主への配当金を利潤とするべきだと考えます。

 

経済活動で生み出される労働力の対価として受け取る報酬や、役員報酬、そして、株主の配当金は、消費活動や投資活動として経済を循環します。企業活動における報酬がなければ、税金も集められず消費もできません。

このように、人件費・役員報酬費・株主への配当金を仮に、「利潤」と定義したとして、今度は、その報酬の分配が問題になります。企業活動で生まれる利潤は、その労働力を提供する労働者と、経営陣、そして、資本を提供する株主があって初めて生まれるものであり、どれか一方が欠けても利潤は生み出されません。

利潤の配分で、賃金を低く抑えれば、労働者の労働意欲や企業への忠誠心がなくなり、経営は不安定になるでしょうし、役員報酬が不当に高かったり、株主への配当金の配分が高ければ、経済格差が広がり、社会不安が増すでしょう。利潤の額は、企業努力で格差があるのは当然であり、厳しい市場原理が経済の活力とモラルを維持するのです。企業ごとの人件費・役員報酬費・株主への配当金の分配率は、消費や投資を左右する経済の重要な要因となります。

私は、この人件費・役員報酬費・株主への配当金の分配率を、労使協議とするべきであり、その承認を得る場が、株主総会であるべきだと考えます。従来の賃金闘争ではなく、人件費・役員報酬費・株主への配当金の分配率を、経営側と労働組合で協議するべきであり、ベースアップの金額ではなく、分配率を争点とするべきでしょう。

そのためにも、一般会計で、利潤の定義を、人件費・役員報酬費・株主への配当金を差し引いた経費の残りと定義するべきです。収入から、人件費・役員報酬費・株主への配当金を差し引いた経費の残りを「利潤」と定義して、その分配率を労使で協議し、その承認を株主総会に委ねるのです。

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