はじめに
インターネット革命といいますが、人類が「蒸気」という動力を手に入れた産業革命にたいして、「蒸気」に匹敵するものは何であるのか。この革命が、15世紀のルネッサンスという文化革命に匹敵するものである理由はなんであるのかを理解せずして、21世紀のビジョンは語れません。
人類が産業革命で、人馬や風力という動力から、蒸気という動力を手に入れたように、人々は、情報社会の世界で、インターネットによって、何を手に入れたのでしょうか。
私は、コンピューターとインターネットは、社会をどのように変えていくのか、人類は何を手に入れるのかということを、情報を4次元に分類することで、検証してみたいと思います。
1 技術の進歩を「革命」などと言ってはいけない
「パーソナルコンピューター」とは、個人用コンピューターを指します。価格面でも、性能面でも個人が専有して利用するのに向いています。OSも Windows 98SEやMac OS 9.xまでは、シングルユーザーを前提とした設計になっていました。しかし、現在では、Windows NTや、その流れを汲むWindows 2000、Windows XP、さらにはMac OS Xのいずれもがマルチユーザーを前提とした設計になっています。
これにたいして、コンピューターとは、電算機というイメージで、「汎用大型コンピューター」といって、「パソコン」とは一線を画しています。 これを受けて、そもそも、個人用コンピューターを指していたパソコンは、「処理」という仕事から、情報の受発信の道具として飛躍的に普及することになりました。
大型コンピューターも日々その能力は向上しており、遺伝子工学や宇宙工学をはじめ、原子力の開発などのシュミレーションの向上や、ナノテクノロジーなどの分野で、科学技術の進歩はめざましいものがあります。
しかし、この急激な時代の変化に、情報の概念が追いついていません。確かに、いわゆるパソコンは、情報を扱うコンピューターであると同時に、その処理能力の向上は、膨大な情報量をコントロールできるまでに至っていますが、「処理」と「情報」の区分、そして、「パーソナルコンピューター」と「汎用大型コンピューター」の区分が曖昧なまま、パソコンが社会に溢れ出しているのです。
そのためには、コンピューターの「処理」と「情報」の区分、そして「パーソナルコンピューター」と汎用大型コンピューターの区分をきちんと理解することが必要でしょう。この現状をきちんと認識することで、インターネットとコンピューターが、社会をどのように変えていくのかを見極めることができるのではないでしょうか。
インターネット革命を語るならば、「既成の制度や価値を根本的に変革すること」または「支配者階級が握っていた国家権力を被支配者階級が奪い取って、政治や経済の社会構造を根本的に覆す変革」という意味こそが「革命」であるからです。
2 考え方の基本となる言葉の概念
インターネットを論ずるまえに、「情報」、「放送」、そして「次元」と「革命」について、言葉の概念を共有しなければなりません。なぜならば、この言葉の概念が基本とならなければ、以下の論理は成立しませんし、この論に対する反論も出来ないからです。
【情報】
(1)事物・出来事などの内容・様子。
(2)ある特定の目的について、適切な判断や行動の意志決定をするための資料や知識。
(3)機械系や生体系に与えられる指令や信号。例えば、遺伝情報など。
【放送】
多数の人に同時に聴取されることを目的として、電波によって音声または音声と映像を受信装置に送ること。一定区域内の人々に対して有線で行われるものについてもいう。
【空間としての次元】
空間のひろがりの度合を表す数。例えば、直線上の点の座標は一つの数で表され、平面上の点の座標は二つの数の組で表され、空間の点の座標は三つの数の組で表されるので、それぞれ一次元・二次元・三次元であるという。一般に n 次元の空間や、無限次元の空間も考えられる。
【革命】
(1)支配者階級が握っていた国家権力を被支配者階級が奪い取って、政治や経済の社会構造を根本的に覆す変革。
(2)既成の制度や価値を根本的に変革すること。
3 四次元で捉える情報
次に、情報を次元として考え分類します。
○ 一次元的な情報
生命が、生まれながらに、受け継ぎ継承される情報。遺伝子。
○ 二次元的な情報
対面で伝達する情報。家族やグループ内の情報伝達から、距離を越えて情報を伝達するために発達した交通インフラ技術の進歩は、情報伝達のの距離と時間の短縮の歴史です。
○ 三次元的な情報
点から面へ情報を伝達する放送という情報形態。または権利としての放送。例としてラジオ・テレビなど
○ 四次元的な情報
事物・出来事などの内容・様子を時間を超えて伝達すること。文字の発明から紙媒体で、時間の空間を越えて情報を伝達する書物は、四次元の情報社会を構成していて、それが歴史という知識形態となっています。
4 次元別に考える、インターネットが革命である根拠
@ 一次元の情報
人類が、遺伝子情報の領域に踏み込んだのは、この四半世紀のことであり、それは、コンピューターの処理速度の技術革新によってもたされました。
代々、生物や動物が生命の誕生とともに受け継ぐ遺伝子情報は、スーパーコンピューターの登場で、人類がその情報を手に入れて、そして操作する時代になったのです。すでに、細胞内のDNAの配列は解明されて、さらに、その関連性の解析が進められています。
クローン技術も遺伝子情報の分野ではありますが、遺伝子情報を伝達する過程において、人間の意図が反映できるクローン技術に対して、遺伝子情報自体を、人間の手によって操作しようとする遺伝子情報の分野の違いは重要です。しかし、このクローン技術も、遺伝子情報の操作も、かつて神の領域とされてきたものであり、人類が営々と築き上げてきた倫理観や宗教観は一大転機に迫られるのは避けることはできなでしょう。
この意味で、この遺伝子情報の技術は、単に医療技術の分野にとどまらず、14世紀はじめに、西ヨーロッパに拡大した人間性解放をめざした文化革新運動である「ルネッサンス」に匹敵する文化革命であるでしょうし、、それは、コンピューターという存在抜きでは考えられないのです。
A 二次元の情報
人を媒介として伝達する「二次元の情報」は、交通インフラの進歩と技術革新の歴史であり、それは、人を運ぶ時間と距離の短縮の歴史であります。人の移動こそが情報伝達であり、情報は人を媒体として伝達されてきました。そして、その人を移動させるために、交通インフラが発展し、乗り物が発達してきたのです。
かつて人が歩いて情報を運んだシルクロード。そして、風の力を利用して海の航路を切り開いた大航海時代。そして、化石燃料から動力を生み出す産業革命以降、自動車や船舶は言うに及ばず、飛行機の登場で、世界の距離は飛躍的に縮まりました。この頂点が「コンコルド」であることを指摘するものはいませんが、コンコルドの乗客の9割がビジネス客であるのはこれを証明しているのです。
インターネットは、この人間が営々と挑戦してきた「二次元の情報」の距離と時間の壁をゼロとしました。現代では、文字、音声、映像を三次元の感覚で情報を距離と時間に関係なく手に入れられる時代なのです。この情報伝達の距離そ速度の壁が、あるのとないのとの歴然たる違いを認識しなければ、時代を読み取ることはできません。
B 三次元の情報
一つの情報を、多くの人々に拡散する情報は、いわゆる口コミや布教活動や演説などの形態から、電波の発明で、ラジオ放送へと発展していいきました。ラジオ放送の効果的に使った人物として、アドルフ・ヒトラーはあまりにも有名でしょう。
第二次世界大戦後に登場したテレビは、音声に映像を伴う放送を実現しました。そして、このテレビを利用したのは、今度は、政治ではなくて経済でありました。テレビの持つ音声と画像を伴う放送は、資本主義の先進国では、消費を促す宣伝効果として受け入れられ、消費市場の面を支配するテレビの広告効果は、消費動向と比例し、資本の寡占化を推し進めていきました。なぜなら、テレビで流す広告の権利は限られていたからであり、その権利を得るためには資本の寡占化と市場の寡占化が至上命題であったからです。
テレビに影響される消費動向は、物の価値に宣伝広告費の占める割合を高くし、宣伝媒体として選ばれた人々=芸能人と、広告を扱う企業関係者の富への偏重が大きくなり、それが絶対的な経済格差を生んでいくことになり、この経済格差が、カジノ資本主義と結びついて、実体経済と乖離した金融市場を形成していきます。
放送という三次元の情報の分野では、ラジオからテレビの歴史を理解することはとても重要であり、放送の権利について考察することも重要です。それが理解できなければ、インターネットが、この三次元の情報でいかに革命的なのかを理解することはできません。
インターネットは、ラジオやテレビなどで、ごく限られた人々に握られていた放送する権利を、一般市民レベルで開放したのであり、21世紀の政治で、この権利を権力で独占したり抑制することは困難となるでしょう。インターネットは、放送の権利を一般市民に開放したのです。この意味でインターネットは、「支配者階級が握っていた国家権力を被支配者階級が奪い取って、政治や経済の社会構造を根本的に覆す変革」である革命といえるのである。
C 四次元の情報
文字の発明で、人類は情報を時間を超えて伝達する手段を得ました。それは、紙の発明で書物となり、産業革命で輪転機が発明されたことで、新聞を媒体として情報を手にする人々は格段に増え、情報を得るタイムラグも技術革新で縮まっていきました。人々は能動的に情報を得る手段として書物や、新聞などを求めたのです。
時代という空間を越えて情報を伝達する書物や記録媒体としての新聞などのメディアは、デジタル化されることで、人々は、自宅にいながらにして、その情報を手に入れることができるようになりました。ラジオやテレビは情報を一方的に押し付けましたが、インターネットは、人々の能動的な情報の垣根を取り払ったといえるでしょう。
5 正しい現状認識なくして、21世紀の未来はない
情報伝達という二次元の情報と放送と三次元の放送。そして時空の空間を流れる情報の四次元の情報が、パソコンの世界に混在するようになり、人々は、その空間でリアルタイムに情報を得ることができるようになりました。むしろ、情報は、次元を超えた無次元の世界に混在しているのであり、この次元を超越した情報社会が21世なのではないでしょうか。人々は、廉価なお金で手に入れられるパソコンという道具で、無次元という空間で情報を扱う事ができる時代になったのです。
情報伝達の距離とスピードを求めた時代は、その壁がゼロになることで、社会インフラの概念も技術も「既成の制度や価値を根本的に変革すること」である革命とつながり、放送の権利を一般市民が手に入れたことは、「支配者階級が握っていた国家権力を被支配者階級が奪い取って、政治や経済の社会構造を根本的に覆す変革」である革命なのです。
そして、遺伝子情報への人の介入は、従来の倫理観や宗教観の根底を覆すものであり、人々は新しい倫理観や宗教観を作り出さねばならなくなるでしょう。21世紀に、第二の釈迦やキリストやアラーは出現するのでしょうか。
このように情報を次元で捉え、何がどのように変わったのかを検証することで、インターネットやコンピューターの存在を正しく理解できると同時に、現状を正しく認識することで、問題の本質を直視することで、未来が見えてくるでしょう。けっして、コンピューターの処理速度の進歩や、通信販売の延長であるインターネットショッピングを「革命的」などと、軽率に発言することはしてはなりません。
6 市民レベルの放送の権利」と「情報の共有化」
インターネットは、いままで知識人と出版社が握っていた文字情報の伝達手段や、ラジオやテレビなどの、放送の権利を、一般市民が、インターネットというツールで自由に使える時代を実現しました。
インターネット社会では、誰でもが、文字情報や音声や映像、動画などの情報の受発信が可能であることです。いままで、出版社やテレビなどに独占されてきた限られた人々に与えられていた情報を発信する権利が、市民レベルに与えられたのです。
19世紀半ばに登場したテレビは、映像という情報を放送することで、資本主義社会において、人々の消費活動を著しく高めました。テレビ広告です。このテレビ広告の権利は、チャンネルの数に限られていたために、それを求めて、資本は寡占化に拍車をかけました。人々はテレビ広告によって消費行動を意図的に操作されたのです。インターネットは、この放送の分野で、いわゆるメディアの放送の権力を一般市民に開放したのです。
さらにインターネットは、情報を受信する側としては、地域や時間にとらわれず情報を共有することができる時代になったことが重要です。キーワードは情報の共有です。これは、従来の都市という概念を考えることで、この特徴を理解できるでしょう。
人という情報媒体が、高密度に集まったものが都市であり、その情報をもとめて連鎖的に人と物が集まり、世界はその都市と都市との情報と物を交流させるために、道路を作り、海路を切り開き、航空機による航路を地球上に張り巡らしました。コンコルドで運んだのはビジネスマンが90%以上であったのは、人=情報であったからです。
コンコルドは、20世紀型の情報員インフラの頂点であり、21世紀型の情報インフラでは、過去の遺物であり、コンコルドの引退は当然の帰結なのです。かつて人が移動して伝達した情報は、「時間と距離」の壁をゼロとしたインターネット環境で運ばれ、視覚的な情報も、動画やテレビ電話などの進歩で、「時間と距離」を越えて伝達できる時代なのです。人々は、交通インフラで作り上げた企業などのコミュニティーが、インターネットの世界で構築することができる時代になったのです。
このように考えると、インターネットのキーワードは、「市民レベルの放送の権利」と「情報の共有化」と言うことになります。
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ネット社会を理解せずに、情報教育は語れない
インターネット社会のキーワードは、「市民レベルの放送の権利」と「情報の共有化」です。これを情報教育という面で考えると、「放送の権利の開放」には、WEBページの作成する知識が必要が、また、情報の共有化については、文字情報による意思の伝達が重要になるのではないでしょうか。
前者の「市民レベルの放送の権利」の面での情報教育を考えると、インターネット社会に適応する教育とは、パソコンを使って情報を発信するという放送の権利と、情報社会での情報の取得の技術と位置付けするべきではないでしょうか。これは、ホームページの作成などの放送の分野での技術の取得と、テレビなどの受動的な情報の取得ではなく、インターネットを利用して能動的な情報の取得する技術が求めらます。
後者の情報の共有化について、文字情報による意思の伝達が重要になるという意見の根拠は、今後、テレビ会議など、会話形式で情報の交換や意思の伝達をする技術が進歩するでしょうが、会議に参加する人数は限られていて、もう少し多くの人々のコミュニティーで意思の伝達をしたいときには、文字情報の役割は大きくなると考えられるからです
このように考えると、地域や会社などのコミュニティーに参加する技術の取得として、先ほども説明したように、テレビ電話などの操作技術の取得ではなく、文字情報による意思の伝達が必要となるでしょう。そして、この技術をささえるのが、文章表現力や読解力となり、総合的な国語力といえます。技術の取得は訓練の要素が高いのですが、能動的な情報取得の行動や、基本的な国語力などは勉強であり、訓練と勉強の違いが理解できないと、日本の、21世紀のインターネット社会は、歪な社会となるでしょう。
このように考えると、現状の教育の現場では、インターネットが革命であることも検証せず、情報の歴史も学ぼうとする発想もありません。そして、こともあろうことか、学校教育の現場では、ワードやエクセルなどの一企業の、しかも他国の企業のソフトの習熟を教えている現状は絶望的です。
情報社会のおけるキーワードである「市民レベルの放送の権利」と「情報の共有化」という概念を、情報教育の基本として、情報を発信したり取得する技術や、文字情報の役割を理解することが教育であり、これはツールとしてのパソコンの訓練と位置付けするべきでしょう。そして、情報をもとめる好奇心や、基本的な国語力などの従来の教育を見つめなおすべきでしょう。
しかし、インターネット社会を自身の論理力で説明できず、論理を構成する国語力のない大人たちに、どうすれば子供達の教育ができるでしょうか。本当に勉強し直さなければならないのは、大人社会であり、教師なのではないでしょうか。
2003/09/10