政治理念とスローガンは違う

一 政治とは
二 既得権益層とは
三 スローガンと政治理念の違い
四 原理資本主義とは
五 原理資本主義と非既得権者層
六 自由民主党に対峙する政治理念の私見

一 政治とは

 そもそも、政治というものは、国の中で、諸権力や諸集団の間に生じる利害の対立などを調整・統合することです。とってつけたような難しい言葉で政治を語らずとも、国民の中で、いろいろな集団の権益を政治で反映させたり、対立する集団との利害を調整することが政治であるとしたほうがシンプルでわかりやすいのではないでしょうか。

 その観点から日本の政治を考えてみると、いわゆる特殊法人を頂点とした官僚シンジケートに属する国民と公共事業に頼る企業の権益を代表する自民党を中心とする与党と、その労働者を支持母体とする野党第一党の民主党は、権力こそ与党と野党に分かれますが、求める権益は双方の集団は同じ方向を向いているといえるでしょう。


二 既得権益層とは

 私は、これを既得権益層と呼んでいますが、官僚シンジケートの傘下の企業と公務員、そして公共事業を事業の軸とする企業では、その経営者側と労働者側は「賃金」では対立するけれども、求める権益は規制で守られていて、企業も労働組合も既得権益者であるからです。

 かつて、高度成長期の日本では、自由民主党は、何でもありのコンビニエンスストア的な政治が成立しましたが、そもそも政治が「諸権力や諸集団の間に生じる利害の対立」であるとするならば、何でもありの利害の対立しない政治などはあり得ない話なのです。

 かつて、既得権益者層の中の対立を、与党対野党という対立構造で支えてきた茶番劇のような政治は現代では通用しません。与党は、前森喜朗首相のいうように「(投票に来ないで)寝ていろ」といのが本音であり、野党は、与党批判を繰り返すことで、無党派層の反与党票を期待しているだけです。そして、既得権益者の対立である従来の政治対立を存続することが、双方の支持者の権益を守るためであることは一致しています。


三 スローガンと政治理念の違い

 だから、政権交代を叫ぶ民主党も、何でもありのコンビニエンスストア的な政党を目指していて、彼らの視野は、投票率50%の枠内での椅子取りゲームでしかありません。さらに、政治家の政治理念は、「市民が主役の政治(民主党枝野幸男)」とか、「ひとりひとりが生き生きと生きやすい社会に!民主党小宮山洋子)」などなり、スローガンと違いがわからないという有様ではありませんか。

 もっとも政党の政治理念の同じであり、まさしく横並びの画一的なスローガンばかりであり、唯一、現状分析と、既得権益の構造から排除されてきた人々の立場にたつと表明した民主党の政治理念は筋が通っていますが、既得権益者である労働組合と同居するなど、理念と行動は支離滅裂です。


四 原理資本主義とは

 いまの日本の経済は、戦後のケイジアンの枠に縛られていています。デフレの原因を需要不足に求めたり、プライマリーバランスを考慮しない経済政策は、資本主義ではありません。私は、小泉内閣の均衡財政政策は支持しますが、竹中経済金融相は、日本経済のビジョンをカジノ経済に置いていることには反対です。

 経済が混迷している今こそ、資本主義の原理・原則に立ち返るべきであり、基本的概念と過去10年間の世界の歴史とを照らし合わせて、デフレ、資本、反グローバリズムなどの概念を理解するべきです。そこで、原理資本主義の概要を説明いたします。

 原理資本主義では、経済は資本が寡占していく過程で成長し、その産業の寡占が終わると、新しい資本の寡占が始まる。寡占が成長していく過程に規制や認可に統制経済が生まれるが、新しい資本の寡占が生まれるとき、そこは自由経済が必要となると考えます。経済の需要と供給のバランスは、資本の寡占化とその解体を交互に起き、そして技術も発達してきました。つまり、経済は、自由経済と統制経済を繰り返すことで成長するのです。

 また、統制経済では利権を生み、市場経済の自由は奪われていきますが、その利権をリセットするのが民主主義です。民主主義は、統制経済と自由経済のバランスを担う役目を持ち、資本主義の成長とともに、民主主義も成長します。

 高度に成長した資本主義と民主主義は、社会資本による経済の「公需」と民間資本の経済である「民需」という二つの経済を持つようになります。「公需」の割合が高い社会は、いわゆる社会主義経済であり「統制経済」が強く、民需の割合が高い社会は自由経済で、福祉や年金という社会保障制度も自己責任の割合の強い市場経済の社会となります

 統制経済と自由刑経済と、公需と民需のバランスが政治であり、国民は、自分自身がどの層にいるかを認識して、自己の権益を主張することが必要です。そして、国会議員は、どの層の国民の権益を代弁するのかを明確にしなければならず、その求める権益を主張する均衡とバランスを、民主主義の原理原則に求めなければなりません。


五 原理資本主義と非既得権者層

 原理資本主義では、経済政策は統制経済と自由経済は繰り返されるものであり、資本主義と民主主義の進歩と共に、公需と民需の二つの経済構造のバランスで成立する経済であるとしています。したがって、経済政策は、既得権益者である公需の側の国民と、非既得権益者である民需の側の国民の声のバランスが政治に反映されなければならないとしています。

 ですから、政党は基本的に、既得権益者の国民の声を政治に反映する政党と、非既得権益者の国民の声を政治に反映する政党とに大別されるべきです。そして、まず国会議員は、スローガンと政治理念の違いを認識して、まず、どの層の国民の声を代弁するのかそのスタンスを明確にするべきでしょう。選挙のためだとか、永田町の数合わせの理論で群れてはいけないのです。

 無党派層を相手にしても選挙には勝てないというのであれば、与党である自由民主党として国会議員になればいいのです。既得権益者層の中での権力争いは、自由民主党の中の派閥争いで十分に事は足ります。いまは、無党派層の権益を政治に反映する政党が求められているのであり、無党派層の国民を信じないのであれば、政治家は、軽々しく国民などという言葉を使ってはいけません。

 繰り返しますが、政治というものは、国の中で、諸権力や諸集団の間に生じる利害の対立などを調整・統合することでしょう。とってつけたような難しい言葉で政治を語らずとも、国民の中のいろいろな集団の権益を政治で反映させたり、対立する集団との利害を調整することが政治であるとしたほうがシンプルでわかりやすいのです。


六 自由民主党に対峙する政治理念の私見

 以下に、原理資本主義を基本として、政権政党に対峙する政治理念の私見を述べます。これを、政治の素人が書いたものと一蹴するか、少しでも気になることが書いてるなと思うかは、読む人の自由ですが、少なくとも、いまの政治家のありきたりのスローガンとよりは現実的だと思うのですが・・・。

@ 日本の現状

 日本経済は、公需と民需とで成立する経済である。そして、この公需の比率が先進国よりも高いことをまず認識するべきでしょう。

 この分野で、特殊法人や談合などの経済モラルの崩壊を招き、かつて貨幣の信用収縮による不況の打開策としての公共事業の拡大は、土木・建設の産業の供給能力の過剰を招きました。

 また、民需の経済では、ベルリンの壁の崩壊以降、東側の社会主義諸国が、西側の資本主義経済圏に流れ込み、特に中国の生産力は、世界の工業製品の供給能力を著しく向上させています。

 日本の製造業は中国に進出して、国内の空洞化を促進して、中国の工業製品の輸入は、国内の物価を押し下げています。日本は、バブル崩壊以降の、内需拡大政策で肥大化した公需と、世界的な工業製品の供給過剰の民需の中で、いわゆるデフレスパイラルに陥っているのです。

A デフレ経済政策

 日本経済のデフレの原因は、供給能力が需要を上回っているのであり、供給側の生産調整は避けては通れません。かつて、石炭から石油へとエネルギー政策の転換をした時のように、公共事業への投資を減らし、公需に寄りかかる土木・建設業の企業を、市場原理に任せて淘汰させ、その人的資源を、他の産業に振り替えさせなくてはいけないのです。

 一時的に生まれる失業者は、公的部門のワークシェアリングで吸収するべきでしょう。公的部門に民間の労働者を入れることで、行政の無駄をなくし、行政のアウトソーシングとしてNPOを育てることができます。ワークシェアリングで入った民間の労働者を中心に、NPOを広げ、行政に競争と企業淘汰の概念を導入するのです。

 次世代の日本経済を牽引する産業は、民需の中から生まれることに期待するものであり、そのための、インフラ整備を行う必要があります。それは、規制緩和であり、担保主義ではなく銀行もリスクを負う金融システムであり、また、カジノ経済でのキャピタルゲインを求める金融機関とは別に、事業のもとでとなる資本を調達する機能の銀行システムの整備などです。

B インターネットと地方経済

 情報伝達の距離と時間の壁がゼロとなるインターネットは、情報を求めて都市に集まった人や金の流れを、地方に分散するものであり、各地方都市を結ぶ高度な交通インフラは、都市から地方への、物の物流を支えるでしょう

 そして、地方都市を中核に、小規模事業の起業を促進させて、経済の活力とモラルを再生させます。インターネットは、企業と企業を結び付けて、市場を形成することに期待するべきです。資本の大小に関わらず市場に参入することで、小規模事業者でも、消費者のニーズにあう商品を調達し提供できる社会に、地方経済のあるべき姿を求めます。

C 年金

 破綻している年金は、積立方式をやめて単年度処理とします。そして、退職金を分割支給にして、年金に組み込み、各種年金の一本化を図ります。厳しい市場経済をリタイヤした人々には、等しく生活の保証を約束します。富裕層は、それまでの財産で格差をもてばいいのであり、年金額での格差は求めません。ただし、経済状況に応じて年金額を変動することとし、高齢者の方も日本経済の責任を担ってもらいます。

D 教育

 教育では、「自由と責任」「権利と義務」の相関関係の概念を基本に、教育体系を見直して、学歴と資格で生涯賃金が決まる社会から、経験で得られる知識が、労働対価として得られる社会にかえます。経験で得られる知識が、労働対価となる社会は、日本の技術や伝統を守り、そして発展させるでしょう。年功序列を否定するのではなく、経験で得られる知識を評価する制度に挑戦するのです。

E 安全保障

 安全保証では、アジアを中心に、中立国としての地位をもとめ、その中立の姿勢を安全保障の基軸に据えます。軍事力の行使は、国連に委託します。そして、経済大国としての地位を求めません。内需を基軸にした経済社会と、中立を基本とする外交をして、世界のバランスの中軸となれる国家を目指します。

F 憲法について

 このあたらしい日本社会において、国民の行動規範となるような自主憲法の制定は必要不可欠です。「自由と責任」「権利と義務」の相関関係の概念を基軸に、日本国憲法を策定するべきであり、従来のように、憲法を慣習法としてではなく、成文法として位置付けする憲法を制定します。