一 野田佳彦氏が就任した国民運動委員長とは何?
野田佳彦氏が就任した国民運動委員長という国民運動とは何なのでしょう。何の運動をするのかの情報がどこにもありません。民主党の支持者を増やす運動のことなのでしょうか。
今回の民主党の代表選挙で、選挙期間中に支持率が落ちたのは、国民が、民主党に対して期待していないと言う事を表しています。また、党員とサポーターの投票率が51%というのは、民主党支持者の中の無関心派が大勢を占めていることを物語っているでしょう。国民の支持もないのに、政権交代を叫び続けた民主党代表選挙の結果は、民主党支持者からも見放されたのです。
戦わずして自滅した民主党にとって、いま必要なのは支持率の回復が第一でありましょう。そして、求める支持者は、反自民党のスローガンだけでは、いまの小泉内閣と自民党の抵抗勢力の対立の政治構造からはじかれるのは当然です。国民は、三つ巴の政治対立など望んではいないし、そんなものは私だって理解できません。
民主党の基本理念では、民主党は、「これまで既得権益の構造から排除されてきた人の立場に立つ」と謳っているのであれば、この基本理念にそって支持者を求めていくべきであり、既得権益の構造にいる人々とは、一線を画する覚悟がなくては、政党の色はでません。
野田佳彦氏は、代表選挙で、その覚悟を主張してきましたが、「これまで既得権益の構造から排除されてきた人」を具体的に有権者に説明できませんでした。だから、今回の民主党の執行部人事の対立軸も、国民には、ただのイザコザにしか見えなかったのではないでしょうか。
二 国民運動の求める行動規範
まず、するべきは「これまで既得権益の構造から排除されてきた人」と「これまで既得権益の構造を享受してきた人」の分類を明確にすることが必要でしょう。その上で、「これまで既得権益の構造から排除されてきた人」の声が政治に反映されない現状を把握し、その原因を求め、それを打破する政策を持たなければなりません。その上で、「これまで既得権益の構造から排除されてきた人」の声を政治に反映する具体的な政策を提示すればいいのです。
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@ 「これまで既得権益の構造から排除されてきた人」と「これまで既得権益の構造を享受してきた人」の分類を明確にする
A 「これまで既得権益の構造から排除されてきた人」の声が政治に反映されない現状とその問題点
B 「これまで既得権益の構造から排除されてきた人」の声を政治に反映する具体的な政策
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私は、@に対しては、いわゆる市民と既得権権益層の概念を明確にするべきと考えます。そして、Aに関しては、組織型選挙中心の選挙システムにその根本原因を求めて、無党派層を政治に参加させる政策を立てるべきと考えます。Bの政策にたいしては、すで民主党内で出来ているはずです。
民主党は、@とAに対する取り組みに問題があったのです。問題解決の基本は、問題の根本原因を求め、その根本原因を解決し、様々な諸問題の解決や改良が出てくるのです。問題解決の順序を間違えてはいけません。
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@の問題は、市民と既得権権益層の概念を明確にする
Aの問題の原因は、組織型選挙中心の選挙システムにその根本原因がある
Bの解決策は、公的部門のワークシェアリングや、退職金の年金化などの諸政策などなど
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私は、@からBまで、下記のような提言をします。この提言は私見にしかすぎませんが、論理の構成が、ナンセンスであるという意見であればそれまでですが、@とAに対する取り組みはいらないとしたり、順序だててるべきものではないとするならば、是非ご意見をお伺いしたいと思います。
冒頭の野田佳彦氏の国民運動委員長という役職の国民運動というものが、国民と政治の関わりあいを深めようとするのが目的であれば、この提言はそれに即したものとはならないでしょうか。健全な野党があって民主政治は成立するのであり、国民の支持がなければ政権交代はありません。
以下は、@からBの論です。
三 市民と既得権益の定義
いまの政治のキーワードは市民と既得権益です。かつての資本対労働者という対立構造では、市民という概念を説明できない時代に入っています。
現代の社会構造は、株式の配当や利子・家賃・地代などの労働しないで収入を得る「不労所得者」と、労働の対価として所得を得る「労働所得者」との階層の分類を基本とすべきでしょう。(いわゆる肖像権で収入を得ている芸能関係者は、前者の「不労所得者」に分類されます。)その上で、後者の労働所得の階層を市民と定義するべきでしょう。
市民を労働所得者層と定義したとして、今度は、その市民のなかの既得権益者か非既得権益者かに市民は大別されます。なぜなら現代は、公需と民需で成立する経済社会であるからです。
いまの日本の政治は既得権益者寄りの社会であり、公需や寡占化した企業の労働所得者の声を政治に反映する政党が自由民主党です。しかし、民主党の支持団体の労働組合も、公需や寡占化した企業の労働所得者であり、社会的な分類では同じ階層なのです。
市場経済社会では、「不労所得者」と「労働所得者」という階層の対立が基本であり、「労働所得者」のなかに、既得権益層と非既得権益層の対立があります。政治において市民の定義は、後者の「労働所得者」を指しています。鈴木宗男の支持者も市民であり、町のラーメン屋の店主もまた市民なのです。そして、鈴木宗男の支持者は既得権益者であり、町のラーメン屋の店主は非既得権益者なのです。
これを踏まえて今の日本を考えれば、自由民主党と民主党は、それぞれに都合よく国民や市民の声の代弁者になっていて、実際には、ともに既得権益者層に軸足を置いているのではないでしょうか。このことを、国民は感性で感じているからこそ、自由民主党の対立軸の政党として民主党を認めないのです。非既得権益者層の市民は無党派層として存在しています。
公需と民需のバランスで成立する経済社会では、市民は、既得権益層の声と、非既得権益者層の声に分かれるのであり、それぞれの市民の声を政治に反映する政党があってしかるべきです。その意味では、既得権益層の市民の声を政治に反映する政党と、非既得権益者層の声を政治に反映する政党が二大政党は合理的な政治システムといえます。
そして、その政治構造のなかで、基本的な階層対立である、「不労所得者」と「労働所得者」の対立は、税体系を軸にその均衡は保たれるのです。それが税の中立を意味します。そして、その緊張が健全な民主主義を支えるものではないでしょうか。
四 従来の選挙と政治は、既得権益層の中での政治対立だった
政治は、国民の権益を国政に反映することです。そして、その権益が国民の中で様々であるから、選挙で国会議員を選らびます。
これを踏まえて、現状の日本の政治を考えると、いままでは、既得権益層の中で、個別の既得権益層の声を代表する人を、国会に送り込むことが選挙の主流ではなかったでしょうか。大企業も中小零細企業も、そして労働組合も、組合や協会という組織をつくり、それぞれの権益を守ってくれる政治家を国会に送り込むことが政治であり選挙でありました。
産業別、事業規模別と縦横にグループを作り、彼らの権益を政治に反映するのが自民党であり、そこの属するおる同組合の声を主張するのが野党ではなかったでしょうか。
つまり、日本の政治は、既得権益層の中での政治対立だったといえるのです。既得権益層の中の政治対立でしかなかったから、何でもありの自民党を中心とする政治が続いたのです。そして、国民は、既得権益層のどこかに所属することを求められ、それを支えたのが学歴社会であり、それを管理する制度が、源泉徴収制度でありした。
五 日本再生で必要な、選挙と政治のあり方
これに対して、その組織に属さない人々は、無関心派とか無党派層として存在していましたが、中小零細企業の淘汰や、終身雇用や年功序列の崩壊、そして、単なる人員整理という合理化であった日本のリストラは、この無党派層を押し上げました。彼らは、既得権益を擁護する組織外の人々であり、非既得権益層です。
現代は、この非既得権益者層の声を代弁する政治家や政党が求められているのではないでしょうか。政権交代を訴える民主党が、国民に支持されないのは、従来の既得権益層の中での政治対立という構図に原因があるのではないでしょうか
いまは、既得権益層と非既得権益層の政治対立を国民は求めているのであり、既得権益層の中での、政治対立の時代を、終わらせる時代ではないでしょうか。
国会議員は、どちらの層の国民の声を代弁するかを明確にするべきです。なんでもありの政治姿勢で、すべての国民を対象に選挙をしていては、いけないのです。それでは、二代政党政治など、絵に書いた餅でしかありません。
どちらの層の国民にスタンスを置く政治家を選ぶのが、選挙であり、そして、選ばれた国会議員は、そのスタンスを基準にして、各論での経済政策を選択することが政治ではないでしょうか。
政策を選択する側ではなく、作る側に偏りすぎるから、政治と評論が混在してしまうのではないでしょうか。この違いを明確にしないから、政治と国民が乖離して、国会議員は評論家と同じレベルで国民はみてしまうのです。政治と評論の違いをわからないようでは政治はできません。
政治家は、既得権益層と非既得権益層のどちらの権益を代弁するのか、そのスタンスを明確にするべきです。そして、選挙は、そのスタンスを有権者に説明し、彼らの権益を国政で実現することを有権者に約束することが選挙運動であるべきです。そして、その結果が選挙であるべきです。
人柄とか知名度が先行する日本の選挙事情は、国民の側にその責任を押し付けずに、このスタンスを明確にしない政治家の側に、責任があることを理解していただきたいとおもいます。
六 個人献金を軸とした議員報酬制度と投票の義務化
今回の衆参補欠選挙は、政治と金の問題で、金を求める政治行動と、政治行動をするための金の使い方という問題が引き起こしました。政策秘書制度も、政治資金規正法も、ただ規制を強めても事態はかわらないのではないでしょう。それよりも、国会議員の報酬のあり方や、献金のあり方の根本的な概念が曖昧なのであり、議員報酬や献金の定義をきちんとしてから議論するべきではないでしょうか
私は、献金、そして議員報酬のあり方、そして国会議員と政党の関係にたいして、問題定義と結論を下記に記します。その上で、献金システムを提示したいと思います。それぞれの問題点にたいする批判や、結論にたいする批判を、個別にいただければと思います。
@ 献金について
市場経済社会においては、企業献金は成立しません。なぜかというと、企業が政党に報酬や対価を求めずに資金を提供することは、株主に対する背信行為になるからです。また、国会議員が、資金の提供をうけてその企業に見返りをすれば斡旋利得罪が成立します。つまり、企業側からも国会議員の側からも、市場経済では企業献金は成立しません。
与野党ともに、企業献金を認めるとする方たちは、この意見にどのように反論するのでしょうか。
A 議員報酬のあり方
市場経済においては、労働の価値は貨幣と等価交換されます。この原則に従えば、国会議員も労働の対価として報酬をもらえるわけです。市場経済では、自由競争が原則ですから、国会議員の報酬は、一律ではなく格差があってしかるべきでしょう。現行では、その格差は献金の額で決まっていますが、企業献金が市場経済で認められないとするならば、国からの議員報酬と個人献金で構成されるものとなります。
政策秘書制度などは、教育問題とおなじように「平等主義」の産物です。しかも、その制度が、実質的に秘書という既得権益を排出し、その権益は、永田町の年功序列と秘書という階級の固定化を招きました。加藤紘一氏を巡る疑惑の根本原因はここにあります。政策秘書制度が、議員報酬の平等化から生まれたものであるならば、この制度は、市場経済では否定されます。
これは、現行の議員報酬や政策秘書制度にたいする問題定義です。議員報酬に対して、戦後の平等主義を排除し、競争主義の導入こそが、政治と金の問題の解決策ではないでしょうか。
B 政党はシンクタンクであるべき
現在の政党は、選挙のための組織であるのではないでしょうか。そして、それを支えるのが政党助成金でしょう。この選挙のための政党の姿は、国会議員の活動を制限し、国会内の発言や採決をも制限しています。この党議拘束は、国会内での議員の発言と採決の自由を制限するものであり、憲法違反の行為です。
そうではなく、政党はシンクタンクであるべきであり、国家議員の発言や採決の判断のバックグランドとなるべきでしょう。政党の思想や政策を国会に反映させるためには、国会議員のスタッフを政党から派遣することでリンクされます。国会議員とシンクタンクとしての政党のスタッフが同体であれば、政権交代のときに、行政スタッフの入れ替えが可能となります。
これは、霞ヶ関をシンクタンクとしていることに対する問題定義です。霞ヶ関をシンクタンクとしていて、本当に政権交代ができるのでしょうか。また、菅直人氏のように、政権交代時100名以上の国会議員を。内閣に送りこむことは、国会議員の官僚化を意味しないのかという問題定義です。
C 投票は義務とするべき
従来の組織型選挙は、企業献金や団体からの献金によって成立していました。しかし、組織による選挙を否定することはできません。組織による選挙応援は資金が必要となり、必ず献金の抜け道が生まれるでしょう。問題は、組織型選挙が、選挙の結果を支配する社会構造に問題があるといえます。組織型選挙の影響力を弱める方法は、投票率を上げるしか方法はありません。
では、どうすれば投票率を上げることができるでしょうか。選挙カーで投票を呼びかけるのでしょうか。ちらしを配布するのでしょうか。私は、投票を義務化して、投票を棄権する人にはペナルティーを科せばいいと思います。
選挙権は、基本的人権の参政権の一つです。選挙権が権利であるならば、投票は義務であります。国民は義務を怠ったときは、ペナルティーを受けるのが社会のルールです。つまり、投票を義務とし、投票を棄権する行為にたいしてペナルティーを科すことはなんら問題はありません。
投票を義務化すれば、投票率があがり、組織型選挙の影響は小さくなるはずです。議員報酬を個人献金でまかない、投票を義務化すれば、いわゆる政治と金の問題は一蹴されます。
D 結論
@からBの結論として、議員報酬は、国会議員の政治にたいする成果で格差があるべきであり、その報酬をきめるのは、個人献金であるということ。そして、政党助成金や政策秘書制度は、議員報酬の平等化で成立する制度であり、競争主義の市場経済ではその論理は成立しない。ということです。
個人献金で得る議員報酬は、企業の売上金と同じで、そこから人件費やもろもろの諸経費を引いて、利益が議員の報酬にあたるとする企業会計を導入する。秘書制度はやめて、企画、営業、経理というような企業組織を導入する。故に、もろもろの議員手当てなどは不要となるということです。
まとめ
T 議員報酬は競争主義で格差を是とすること
U 議員報酬は個人献金で成立するということ
V 議員活動に企業会計や組織形態を導入すること
W 政党はシンクタンクとして存在し、スタッフの派遣で、議員とつながること
X 投票を義務とし、投票を棄権した場合は、ペナルティーを科す
E 個人献金システムのあり方
T 個人献金は税金で強制徴収し、国に登録した政治活動家にたいして、献金をした人には、証明書を発行する
U 強制徴収する献金額は、実際の献金額にたいして上乗せして徴収する。
V 献金をした人は、証明書と引き換えに、献金額との差額を受け取る
たとえば、献金額を一人あたり、年額1000円と設定したとして、税金として徴収するのは2000円とする。献金をした人には、証明書を発行し、それと引き換えに差額の1000円を返金する。献金しない人は、他の人に政治を委託するわけだから、差額の1000円は、国が管理し、政治関係の予算として計上する。
登録する政治家は自由ですが、かならず、企業と同じように決算書の提出を義務付ける。登録は、国会議員、県議会議員、市議会議員と区別する必要があり、また、国会議員の場合は、一票の格差の反対の現象が起きるでしょう。現実的には、個人献金額は固定なので、支持率と同じになり、分配方式となるでしょう。また、最低額も決める必要があります。事務的には、コンピューターの進歩とその能力を考えれば問題はないでしょう。
F 投票の義務と棄権に対するペナルティーのありかた。
これも、投票したときに証明書を発行し、その証明書がない場合は、規定の金額を納税額に上乗せするようにします。上乗せする納税額は、選挙費用にたいする献金とし計上します。投票を棄権するということは、他の国民に政治を委託するわけですから、委託する費用として金額を支払うということです。
七 退職金を年金化するべし (私見の政策の一例です)
退職金とは、長年の勤労に対する報償的給与です。報奨金とは、勤労や努力にむくい、それを高く評価することであり、それを対価に換えたものであります。資本主義経済の経済活動で得られる対価は、利潤と賃金であり、この賃金の中に、報奨金があるのは、問題はないのですが、ボーナスに見られる一時金と、退職金ではその性質は異なります。いうまでもなく、退職金とは、長年の勤労に対する報償的給与であり、年金として意味合いが強いものです。年金としての退職金が成立するには、熟練労働者を確保するためのコストは、退職金よりも高くなければいけません。
人口構造が、ピラミッド型の時代は、年功序列と終身雇用制度を完結するために、退職金制度は必要不可欠でありましたが、それは若年労働者の負担があって成立するのもであり、年金制度的な性格が強かったのです。しかし、人口構造が変化し、若年労働者層の負担による年金制度が不成立となった今、この退職金制度を存続する論拠はありません。
終身雇用と年功序列が崩壊した現在、この退職金制度だけが取り残されているのはおかしいのです。まして、雇用者層の人工構成が、ピラミッド型から釣鐘型(?)に変化した現在、退職金を支えた若年労働者層の低賃金だけでは支えることはできない現実を直視するべきでしょう。この状況は、公的年金の状況も同じであり、公務員を除く民間企業の若年労働者は、公務員の退職金と、年金を支える為の高い税を負担することは不可能です。
公務員制度改革で問題点となっている、天下りのシステムは、複数の特殊法人を渡り歩いて高額の退職金を取得するシステムであります。外務官僚の公金横領や、公正文書偽造の犯罪が、内部処分で済まされるのは、日本の司法制度がいかに腐りきっているかを証明するものでありますが、司法官僚を中心に、官僚らが何を守っているのか注視すれば、それは、退職金であることに気がつきます。民間でもこの退職金制度を堅持している所もありますが、これは、労働者の意向よりも、、経営陣の意向が強いと考えるべきでしょう。ここに、経済の原理原則を無視した日本企業の経営の実態が見えきます。
まして、政府主導の派遣社員のシステムは、民間企業の、正社員の構成比率を押し下げ、退職金は、一部の経営者や、労働者幹部の既得権益となっている現実に気が付かなければなりません。公務員にいたっては、退職金は既得権益であり、官僚シンジケートの解体にともなう合理化は避けて通れず、激しく抵抗するでしょう。しかし、この退職金制度を残せば、官僚シンジケートの組織犯罪を増長させ、経済法則を無視した賃金体系は、民間企業のモラルと活力を奪い、日本経済は立ち直ることはできません。
高度な民主主義の国家は、年金制度が確立した国家であり、高齢者が安心して暮らせる国家は、社会秩序を維持するためには、必要不可欠です。高度な民主主義の年金制度は、格差があってはならず、厳しい競争社会を維持するためにも、高齢者を支える年金制度は平等でなくてはいけません。
いまのデフレ経済のなかで、厳しい生産調整のなかでの雇用状況を打破するための、ワークシュアリングを推し進めるべきと考えますが、そうであれば、この退職金制度を存続させることはできません。官業では、この既得権益を求めて、天下りなどの官僚シンジケートが生まれたのだから、この制度の廃止は、なりふり構わない抵抗をするでしょう。しかし、官僚シンジケートによる官僚らのための社会主義国家から、経済活動による利潤と賃金を求める、自由経済を基調とする資本主義国家への転換には、この退職金制度の廃止は、避けては通ることはできません。
この退職金制度をなくすために、まず、第一段階として、退職金の一時支給をやめて、分割支給へ切り替えるべきです。そして、第二段階として、退職金を年金と改め、公的年金とあわせて年金受給の上限を設ける。この上限は、公的年金を基準に設定して、退職金か公的年金かを選択するようにします。そのかわりに、最低基準を大幅に引き上げをしなければなりませんが、社会秩序の安定と、日本社会のモラルの回復を考えれば、割引現在価値の高い投資となり、経済は成立します。あくまで、基本は、年金は、国民にたいして公平に分配されるものであることを確立させなければなりません。退職金を払う余力がある企業や自治体は、その金を国家の年金制度に参画するべきです。
このようにすれば、退職金に群がる官僚シンジケートも、主目的がなくなり、退職金という既得権益の求心力ががなくなれば、官僚は烏合の衆となり、集団犯罪をする気も失せることでしょう。そして、格差のない安心な年金生活を実現することは、社会のモラルが確立し、厳しい競争社会を受け入れる素地を生み出すものとなるでしょう。
民主主義が高度に成長した国家は、健全な年金制度が必要不可欠でありますが、一部の既得権益者が蝕む退職金制度は、年金生活者の格差を生み出します。また、若年労働者の不満を増大させるものでしかなく、このような社会の行き着く先は、モラルを喪失した社会と、暴力と、規制で縛られた社会になるでしょう。
経済の原理原則が成立しない、報奨金制度=退職金制度は、利権社会主義国家の産物であり、この制度を壊すことは、自由経済の社会の構築に、避けては通れない道であります。高齢で、社会をリタイヤした人々は、公平に保証することを第一義に、年金制度の位置付けをするべきで、将来のビジョンを示さなければ、高額の税負担に若年労働者は納得しないでしょう。
日本の年金で作り出す社会のビジョンをはっきりさせ、制度を変えていく。この作業が、政治であり、ファイヤーとか掛け声をかけたり、人間性を訴えるだけでは政治は成立しません。政治は、利害を調節するのが主目的であり、8割の国民を満足させなければなりません。官僚シンジケートの解体は、公務員のリストラを伴うものでありますが、きちんとした社会ビジョンを示して、就業者総数の約一割の公務員の抵抗を押さえる事ができるかどうかで、日本の構造改革の成否が決まります。
9割の就業者層は、1割の官業のために生きるか、高度な民主主義を信じて改革に参加するかどうかを決断しなければなりません。これを理解せず、国民が、日本の再生に関わる政治への参加をしないようであれば、日本の再生はありえません。