日本経済を考える

 1 日本経済は、公需と官需の混合経済
 2 世界経済の中の、日本の高度成長経済
 3 アメリカの金融政策は日本の土地本位制から生まれた
 4 グローバリズムと反グローバリズム
 5 日本経済の現状認識と問題点
 6 供給と需要の状況をまず認識するべき
 7 日本経済の問題と原因
 8 不良債権は処理するものであり、問題の原因ではない
 9 インフレターゲット論
10  デフレという不況を受け入れよう
11 混合経済に求める、二大政党の可能性
12 答えは、教科書や参考書に書いてあるとは限らない
13 政府のデフレ対策を批判する
14 「公需」と「民需」という両翼のエンジン 

  日本経済、公需と官需の混合経済

 市場経済では、経済は、好景気と不景気を繰り返しすものであることは異論がないでしょう。この波をなくすことを目標としたのが、社会主義であり、統制経済と呼ばれるものです。

 社会主義国の統制経済は、ベルリンの壁の崩壊とともに否定されました。原因は、統制経済は利権を生み出し、その利権を制御できなかったからです。そして、利権に蝕まれる社会からは、経済の活力とモラルが減退するばかりであり、結果として経済は破綻しました。そして利権がはびこる社会主義は、民主主義と対立し、専制主義になりました。

 日本の経済の現状は、自由市場経済での民間企業の成長と、国税を原資とする統制経済市場の両輪で急成長した経済です。自由市場経済での企業の経済活動は、勤勉で培った技術を持つ零細企業が支えました。その勤勉な国民を前提とした源泉徴収のシステムや、道路特定財源などの税収を原資とする「公共投資」は、公共投資として投資され、この経済は、官僚によってコントロールされて統制経済が成立しました。日本は、自由経済市場である「民需」と、国税を原資とする統制経済の「公需」が高度成長を実現したのです。

 つまり、日本は、資本主義と社会主義経済の混在する経済であったのです。その意味で、日本経済を牽引してきたのを、自動車と家電とする従来の説は、市場経済での牽引役であり、日本経済全体を指す言葉として不適当でしょう。

 そしてこの「民需」と「公需」を支えたのが、護送船団方式といわれる銀行団でした。土地を担保として、その地価の上昇で、マネーサプライを増幅するというシステムの土地本位制は、日本の企業に、資金の安定した、持続的な供給を実現し、そして、急速な経済成長をもたらしました。

 日本の高度成長をもたらした要因は、「民需」と「公需」が噛み合うことで、資本主義経済の命題である景気の波を乗り越え、土地本位制による銀行の護送船団方式の間接金融システムは、土地をいう打ち出の小槌を振って通貨供給量を増やし、それを、市場経済と統制経済に持続的に供給しました。日本の企業は、株式という直接金融による資本の供給を受けず、きわめて安定した経営ができたのです。

2 世界経済の中の、日本の高度成長経済

 資本主義社会では、経済の好景気と不景気は、供給と需要の関係のバランスから生じるものです。そして、そのアンバランスからくる不況を、人々はアダム・スミス「見えざる神の手」よりも、政治的な解決を求めました。それが、ケインズの「有効需要の原理」であり、財政出動や金融政策でもとめる雇用=有効需要であり、そして、究極の需要創出である戦争でした。

 第二次世界大戦前は、アメリカは需要創出政策として減税をしましたが、不況を脱出できず、ドイツは、雇用を、官需=軍事に求め、まず雇用問題を解決し、経済を回復させました。結果として、アメリカは、財政や金融政策による需要創出に失敗し、雇用を優先したドイツの経済は回復したのです。ただ、その雇用形態が軍事で吸収したため、経済運動として究極の消費である戦争に走るのは当然といえば当然でした。

 日本は、経済の活路を、市場拡大策として、それを満州に求めましたが、アメリカによる経済封鎖で行き詰まり、経済原則を無視して、国内の経済の低迷による不満を、全体主義のはけ口に置き換え、それを、アメリカに向けました。結果は、日本は負けましたが、戦争は精神力ではなく経済力でで戦うものなのです。

 資本主義経済の矛盾が、戦争でしか解決できないとするこの命題は、資本主義社会が背負う十字架であり、第二次世界大戦後の、冷戦時代は、アメリカをはじめ西側の諸国はこの命題に取り組まざるをえませんでした。

 しかし、現実には、冷戦時代の、景気の波に悩むアメリカは、経済の矛盾を戦争に求めるしかなく、朝鮮戦争やベトナム戦争など、戦争による需要創出政策を繰りかえします。そして、欧州は、社会主義の影響を強く受けながらも、ユーロの構想を地道に歩みます。

 日本はというと、戦争を繰り返すアメリカの傘の下で、市場経済で得た資本を、公共投資にまわし、官需による統制経済の比率を高めていきます。日米安保条約は、政策的に日本の高度成長を側面から強力に支援したのです。ある意味では、資本主義社会の代表として、アメリカが戦争による需要創出政策をしていたその傘の下で日本ほど露骨に自己の繁栄のみを選択した国家はないでしょう。

 その傘の下にいた日本が、高度成長を果たし、その経済力が、アメリカ経済を脅かす存在になることを、アメリカが快く思うはずがありません。しかし、日本の高度成長は、アメリカを悩ませた景気の波がなく、世界恐慌を引き起こした株式の暴落もないことを、アメリカは認めざるを得ませんでした。


3 アメリカの金融政策は、日本の土地本位制から生まれた

 1970年代に、日本はアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国まで成長したとき、経済不信にあえぐアメリカは、日本経済を研究しました。彼らは、日本人の勤勉に着目し、年功序列と終身雇用制に着目しました。しかし、それ以上に、注目したのが、地価の上昇であり、土地を担保とする土地本位制とでもいうべき、金融システムではなかったでしょうか。

 なぜなら、土地担保自体の価値が年月とともに上昇し、同じ担保で融資の上乗せができるからです。日本の企業は、株式による資金調達をせずとも、間接金融による資本調達で十分だったのです。その間接金融で成長する市場経済と官需をもとめる統制経済市場の企業は、護送船団方式の銀行団からの安定した資金調達が得られ、持続的な経済成長が可能になったのです。

 アメリカは、資本主義経済圏の日本経済が、護送船団方式の銀行団を操る霞ヶ関の官僚が実効支配する統制経済の実態に気がつかないはずがありません。日本には、市場経済と官需をもとめる統制経済の混合経済であり、マルクスも予測していないこの経済システムをアメリカは発見しました。そして、この画期的な経済システムをもつ日本自身が、これに気がつかず、明治以来に政策である先進国に追いつけ追い越せで、今でもアメリカの背中を今も見続けているのは、なんと愚かなことでしょう。

 日本経済を研究したアメリカは、まず、日本企業の高い技術力で支えられた生産性の高さに対して、間接労働者の合理化で対抗しました。リストラ=事業の再構築です。1970年代それを支えたのが、巨人といわれるIBMであり、80年代には、あのマイクロソフトの出現で、その合理化は加速します。アメリカは生産性で日本を抜き返しました。(このリストラの解釈をいまだにできない日本人がいるのは、残念であり、リストラが教科書に載る日まで待たなければならないでしょう。)

 そして、日本の土地本位制による資産の増殖システムを、株式に求め、その価値を差別化するために、特許を奨励しました。産学共同のシステムは、技術力を高めるためではなく、米国企業の株式の価値を決定するためのものではなかったでしょうか。現実、アップルコンピューターは、ガレージから生まれ、ビル・ゲイツは大学研究者でもエリートでもありません。

 ドル本位制による資金調達は、株式と米国債をあやつり、株式を直接金融としての機能から、株式自体の価値を高めることによることによる資金調達のシステムにします。必要な資本を調達するために株式を発行し、それを貨幣と等価交換し、必要な資本を調達する株式のシステムから、キャピタルゲインを求める株式のシステムを構築しました。アメリカは、それを、市場経済として、規制緩和とともに、それを世界に押し付けます。

 日本の地価による資産の増幅によるマネーサプライの増幅を、アメリカは、株式に置き換えたのであり、株式は、資本を調達するシステムではなく、キャピタルゲインを求めるためのシステムは、金融市場を構築しました。エンジェルファンドの存在をみれば、彼らが、起業家に、直接資本の役目を果たしていて、投資家は、その事業が成功し、株式市場でのキャピタルゲインを求めていたではないですか。つまり、直接金融は、エンジェルファンドが受けているのであり、株式市場は、キャピタルゲインを求める場所となったのです。

 これは、株式市場に参加する企業だけが、株式市場のキャピタルゲインで得た資本を、新しい投資にまわすことができるのであり、株式市場は、本来の投資の目的から離れて、投資のための資本を形成するものになっていることに気がつかなければなりません。いまの、株式市場は、市場経済から資金を吸い上げる機関であり、企業も、増幅する資本を再投資しているのです。

 アメリカのいう市場経済と規制緩和は、資本の参入の規制を撤廃し、このドル本位制による金融システムに世界が参加することを強要するものでした。キャピタルゲインをもとめるこのシステムは、資本の寡占化を押し進めます。これは、産業が成熟して、その成熟した産業の実が落ちて、新しい産業が成長するという経済の運動ではなく、資本自体が際限なく膨張するシステムであり、それは、資本の寡占化を求めるものであります。その膨張した資本による消費を担うのが、アメリカであり、限られた先進国であるのです。


4 グローバリズムと反グローバリズム

 いまの経済の市場とは、金融市場を指すといって過言ではないでしょう。ウォール街を中心とする金融システムを中心とする経済は、アメリカンスタンダードであり、日本経済はその影響下にあります。

 アメリカンスタンダードとは、いわゆる「フリーライド(ただ乗り)論」を基本としています。それは、株式などの金融市場で世界中から資金を集め、アメリカがその資金で、消費大国となる経済システムです。カジノと化した金融市場は、実体経済の数十倍という通貨を動かしています。

 ベルリンの壁の崩壊以降の、東欧や、東南アジア、中国の資本主義経済への参入は、アメリカの消費大国を歓迎しましたが、中国を筆頭に生産力の上昇は、需要に対して供給側の生産力が上回る事態となり、デフレは世界的な経済問題となっています。

 世界的なデフレ傾向の中で、カジノ経済における通貨供給量を維持するために、いまの金融市場に参加する企業はリストラクチュアリングを競い合い、さらに、資本の寡占化への経済運動は、大企業どうしの業務提携や合併を突き動かしています。

 この経済行動が国境を越えて広がれば、いわゆる後進国は、先進国の企業を迎え入れるばかりで、その利潤は、現行のユダヤ資本や、アラブ資本、華僑資本などに吸い上げらます。その国の労働者は低賃金であり、雇用の枠はわずかです。この経済構造が、国境を越えて経済格差を生んでいるのです。このアメリカンスタンダードの「金融市場」が、国境を越えて普遍化することをグローバル経済としているのであり、この経済構造に対峙する勢力が反グローバリズムであるのです。

 しかし、資本主義経済のスタンダードは、アメリカンスタンダードとは異なります。資本主義は、史的唯物論を否定することはできません。各国の資本主義の進化の違いが人類の悲劇の始まりではありますが、資本主義の唯物史観を否定することは、資本主義の抱える経済の矛盾を飛び越えて、絶望的な貧困を生み、そこから派生する憎悪は、人類を滅ぼすやもしれないのです。

 反グローバリズムの人々の主張する経済は、資本主義の原理に即した市場経済です。ベルリンの壁の崩壊で、社会主義は利権が制御できず、現実として階層化した社会が生まれ、非民主的な社会は、経済活動の活力とモラルが成立しないことが証明されました。民主主義と経済は、社会主義=統制経済を否定したのです。

 資本主義は、かつての資本階級と労働者階級という対立構造は、不労所得層と労働所得層に分類されることで、資本主義を悪とする概念は現代にはありません。ベルリンの壁の崩壊以降、自由経済を基調とする市場経済こそが、民主主義が成立する経済であり、資本主義の原理に立ち返ることが求められています。 

5 日本経済の現状認識と問題点

 ここで、日本経済に話を戻しますが、デフレを脱却する政策として、「インフレターゲット論」が政府や自民党からあがっています。これを後押しするのが竹中経済財政相でありますが、彼は、インフレ目標を掲げて、日銀が資金を潤沢に出せば、インフレになり、消費や設備投資が増えるとしています。この論の根拠は、今の経済状況は消費が回復しないからであり、デフレの脱却は消費の回復次第としています。

 しかし、日本人は1400兆もの個人資産を持ち、その半分が現金として保有しているのに、一向に消費が回復しないのは、なぜでしょうか。土地資産の下落で、消費マインドが落ちたからだとか、国の借金である赤字国債の天文学的な数字が、将来の増税につながるとする消費者の自己防衛の影響だとかいわれていたのはついこの前のことなのに、いま、さらなる金融緩和をするとはどういうことでしょうか。

 この個人資産は、バブル崩壊以降、右肩あがりを続けていることに私は、かねてから疑問を抱いていますが、ここにきて、マネーサプライを増やし、インフレを誘発するという政策は、1400兆の個人資産を論拠とした日本経済の不沈艦の論理はどこにいったのでしょう。日銀は、年初から、金はだぶついているとしているのに、何故、貨幣の価値は落ちずに、物価は下落したのでしょうか。何故、だいぶついた資金が投資に回らなかったのでしょうか。?

 まず現状認識として共有化しなければならない概念は、供給と需要の関係です。はたして、竹中経済財政相のいうように、潜在需要は供給を上回っているのでしょうか。それとも、供給が過剰なのでしょうか。企業は生産調整は何を意味しているのでしょうか。また、供給が過剰であるから、物価が下がっているのではないのでしょうか。

 竹中経済財政相も無責任なエコノミストも、この点を明確にしてから経済論をいうもの誰もはいません。はたして、供給は適正水準であり、潜在需要がマインドの影響で落ち込んでいるのか。そうであるから、消費刺激策による景気回復策をとるべきなのでしょうか。

 経済は、好景気と不景気が交互に繰り返される運動体です。そしてその運動は、産業が成長し、それが成熟したとき、その産業は淘汰され、新しい産業が生まれ成長するという運動の連鎖でありましょう。

 これを基本に考えれば、日本経済は、官需をもとめる統制経済での産業が成熟しているのに、その産業を公的資金の投入で延命させている現実があります。つまり、自由経済市場の経済が不景気の底であるのに、日本経済は、官需を市場とする統制経済との混合経済であるいため、いつまでたっても景気の波の底に達することが着ないのです。

 つまり、景気が反転することができないということになります。そして、その統制経済の構図は、特殊法人を頂点とするシンジケートを組織していて、利権が支配しているのです。その利権が支配する社会は、民主主義と対立し、経済の活力とモラルが後退し、経済と社会が破綻するのは、ベルリンの壁の崩壊が証明しています。

6 供給と需要の状況をまず認識するべき

 好景気と不景気を判断する基準は、供給と需要の関係であり、いまの日本経済において供給は需要を上回っている現実を認識するべきでしょう。その上で、過剰な供給にあわせて、需要を押し上げるのか、供給の生産調整をまって、あたらしい需要の創出を期待するか。まず、この選択を議論するべきでありましょう。

 この点は、まず市場経済の面から見ると、パソコンの登場で、情報処理技術による間接労働者層の合理化で、企業は生産性をあげたこと、そして、ホワイトカラーの労働者層が過剰になったこと。そして、かつての社会主義諸国が、市場経済への参入により、世界の工業製品の生産性が急激に上昇し、供給が過剰であること。そして、安い労働力を求めたための国内の産業の空洞化は、直接労働者層の過剰を生み出していること。等々を考えれば、供給は需要にたいして過剰であり、労働者も供給が過剰であるといわざるを得ないのではないでしょうか。

 そして、官需を市場とする統制経済かたみれば、土地本位制がバブルではじけて、土地という、打ち出の小槌がなくなり、投資するべき資本が調達できくなった時点で、統制経済側の、生産調整をしなくてはいけないはずでした。しかし、統制経済は、計画経済であり、法律で守られた官需による生産計画、つまり、道路建設やダム建設は止めることができませんでした。

 90年代から始まる赤字国債は、このような背景から生まれたのです。政府は、景気回復により税収が増えれば、国債の償還ができるのだからと、景気回復を旗印に赤字国債を発行し続けますが、官需の市場の原資は、土地本位制による、マネーサプライの増幅と市場経済の税収とで支えていたのであり、バブルで膨れ上がったのは、土地の価格だけでなく、官需を支える供給力も膨れ上がっていたのです。したがって、官需の市場で生きる企業は、生産調整をすることは当然であったのです。しかし、利権の侵された官僚シンジケートは、統制経済における計画経済を見直さず、赤字国債で、供給能力を維持しつづけた結果が、700兆を超える国債残高であるのです。

7 日本経済の問題と原因

 日本経済は、官需を市場とする供給と需要のバランスは、バブルがはじけてからは、需要創出のための投資する資本の原資が、国債に依存していること。そして、情報処理技術の進歩と、社会主義経済が崩壊し、それらの国が市場経済に流れ込んだこと。そして、グローバリズム経済の波及で、工業製品の生産性があがり、市場経済でも、供給が過剰になっていることを認識するべきです。

 その上で、過剰な供給に、需要を合わせて行くのか、供給の生産調整による需要のバランスをとるのか、この選択が、第一にあるのであり、財政出動による需要創出策と、供給の生産調整とでは、取るべき政策が全く異なってきます。

 第二章で、第二次世界大戦前の、アメリカとドイツの経済政策を例に出したように、需要創出政策は、財政出動や、消費刺激策として減税を行います。それに対して、供給の生産調整を見守るとすれば、それによって溢れる失業者の対策が、メインの政策となります。

 日本の経済政策は、まず、供給と需要のバランスシートをどのように改善させるかが前提であり、これを議論しないで、政策をぶつけあっても結論は出ないでしょう。たとえ多数決でどちらかの経済政策になろうとも、問題の根本となる原因を特定していないのであれば、また同じ過ちを繰り返すでしょう。

 日本経済の混迷の原因のひとつとして、官需を市場とする統制経済を支えた、土地本位制=バブルが崩壊したにも関わらず、計画経済の見直しをしなかったことです。それは、計画経済は、利権に蝕まれていて、その利権を求める官僚シンジケートは、赤字国債を発行して、計画経済を消化させていきました。官需の市場は、バブルで膨れ上がった、供給過剰の体質を、赤字国債で需要を支えたのです。

 そして、自由経済市場では、社会主義経済の崩壊で、自由市場経済は急激に膨張し、情報処理技術の進歩と、グローバリズムの進行は、工業製品の生産力を底上げして、世界の工業製品の供給は過剰となりました。その反面、増え続ける人口に対して、農産物などの供給は需要に追いつきません。

 日本経済は、統制経済と自由市場経済の混合経済でありますが、ともに、供給が過剰であり、デフレーションを起こしているのです。デフレの原因は、供給が需要を上回っていることと結論できるでしょう。

 そして、問題点は、官需の市場で生まれた利権であり、特殊法人を頂点とするシンジケートの弊害です。彼らの存在は、供給が過剰であるにもかかわらず、企業の淘汰を拒否して、赤字国債という麻薬中毒にしてまでも延命させています。この状況は、自由市場経済の企業の活力とモラルを失わせるものです。

 また、自由経済市場では、源泉徴収を基本とする日本の税制は、雇用者の促進を推し進め、かつて、日本再生の原動力となった零細企業や自営業の淘汰を進めました。それは、日本の高い技術力や活力を減退させ、間違ったリストラの概念は、終身雇用と年功序列を否定し、経験と知識で培われる技術を否定しました。日本の競争力はこうして失われたのです。

 日本経済の問題点は、官需の市場での利権を求める官僚シンジケートと、経済の好景気と不景気の波が、供給と需要のバランスを修正するものであるのに、統制経済と自由経済の混合経済である日本は、統制経済側が、赤字国債によって供給の生産調整をせず、いつまでたっても、景気の波の底に到達することができず、景気は上昇に転ずることができないのです。
 
8 不良債権は処理するものであり、問題の原因ではない

 バブルの崩壊以降、その価値を下げ続けている地価は不良債権となり、企業のバランスシートは、資産の部が下がり、一向の改善の気配を見せません。これを、資産デフレとか、バランスシート不況だとか言う人がいますが、冗談ではありません。土地価格は、需要と供給の関係で決まるのであり、これは土地本位制の負の遺産です。つまり、不良債権自体は結果であり問題ではありません。

 不良債権は、日本経済の足枷であるのは事実ですが、これは処理するべきものです。つまり、不良債権の問題は、日本経済の混迷する問題がもたらした結果であり負の遺産です。そして、それは、原因ではないということです。これは、日本が直面している日本社会の構造を変えるという構造改革と同列に論議されるべきものではないということです。

 財政も特殊法人も、年金も、そして不良債権も、糞も味噌も一緒にしてはいけません。不良債権は、処理であり、これは、テクニカルな問題でありましょう。

 私は、不良債権問題は、民主党の一時国有化の政策を支持しますが、金融政策には、与野党の枠にこだわらず民間からも専門家を入れて、対策チームを作るべきです。そして、官僚を制御するために法曹をメンバーに入れるべきです。不良債権の問題は、財務官僚が深く関わっていることは明白であり、自己保身のための行動をさせないためにも、法曹をメンバーに入れて、官僚の自己保身の行動を阻止するべきです。

 そして、この対策チームの責任者は国会議員を配置するべきです。ここだけは、判断業務から官僚を外すべきであり、それだけ緊迫した問題であり、無責任や責任転嫁で済まされる状況ではありません。

 そして、はっきりさせておくべきことは、この不良債権の処理がうまくいこうが失敗しようが、利権社会主義の弊害を除去し、供給と需要のバランスの改善を求める日本経済の構造改革は、推し進めるべきであるということです。不良債権の問題は、処理するべき問題であり、構造改革のための手段ではありません。

 不良債権の処理の動向に関わらず、特殊法人と供給側の生産調整は進めるべきで、この点を、はっきりさせないと、小泉内閣が不良債権処理に失敗して、その責任を取らざるを得なくなったとき、その後の政局は混乱するばかりとなるでしょう。

9 インフレターゲット論

 デフレを脱却する政策として、「インフレターゲット論」が政府や自民党からあがっています。これを後押しするのが竹中経済財政相ですが、インフレ目標を掲げて、日銀が資金を潤沢に出せば、インフレになり、消費や設備投資が増えるとしています。また、円安による、輸入品の価格上昇によるインフレ誘導もあります。

 インフレによる、国や企業のバランスシートの改善は魅力的でありますが、供給が需要を上回る状況ではインフレは成立しません。これは、労働力の供給も同じであり、労働力が過剰であるときに、金がだぶつけば、ハイパーインフレがおきます

 マネーサプライを増やして貨幣の価値を下げても、物価の下落が止まらなければ、信用不安による円安が起きて、自給率の低い日本では、農産物の輸入品価格が上昇し、物価は上昇しますが、それを支える購買能力があれば混乱はありません。しかし、消費が伸びなければ、信用不安がおきて、円安が加速し、国内の供給不足を引き起こし、インフレが加速します。ハイパーインフレです。

 インフレが成立する要件として、需要が供給を上回っていなければなりません。供給過剰の状態では、マネーサプライを増やしても、消費は伸びません。また、円安になれば、空洞化と自給率の低い日本は、輸入品価格が上昇し、物価は上昇しますが、そのインフレに耐えうる資産がなければなりません。また、円安は、輸出を増やし国内の経済が活発にするものですが、空洞化した日本の産業に、即効的な効果はあるでしょうか。

 竹中経済財政相は、「ファンダメンタルズ(経済の基礎的諸条件)から大きく離れていない」とインフレはコントロールできると言いますが、これは、1400兆の個人資産を論拠にしての発言でしょう。

 政府も、メディアもエコノミストも、消費が回復しないのは、財布の紐が硬いからだと、1400兆もの個人資産を持つ日本の国民に、その責任を押し付けてきました。しかし、本当にそうなのでしょうか。日本人の財布には、紙幣は入っているのでしょうか。

 戦後の記録を更新し続ける企業の倒産件数と負債金額、そして個人破産の急増に、地価の下落。このようなファンダメンタルズで、何故、個人資産は、右肩あがりなのでしょう。本当に、日本の消費が回復しないのは、消費マインドが落ち込んでいるからでしょうか。

 1400兆の個人資産が本当であれば、そしてこの数字の平均値が国民の多数を占めていれば、インフレをコントロールすることができましょうが、いまの日本では、産業の空洞化とリストラの進行で、労働力はだぶついています。彼らは、1400兆の個人資産を形成する平均的な日本人なのでしょうか。インフレに耐えることができて、たらふく食えるのが、高齢者や公務員ばかりであったならば、だぶついた労働者や失業者はどう思うでしょうか。

 インフレターゲットが、国や一部の企業のバランスシートの改善を求めるために行うのであれば、供給が過剰でも、金融政策でその方向に持っていくのは論理が通ります。しかし、1400兆円の個人資産の平均額が、日本人の平均的な資産と一致しなければ、物価の上昇に国民は耐えることが出来なければ、信用不安による農産物の供給不足が起きて、社会不安は増大し、持たざる側の国民は悲惨な生活を強いられることは確かです。そうなれば、大人しく自殺をしてくれる国民ばかりではないことを理解するべきです。アルゼンチンの経済不安による市民の行動は、決して他人事ではありません。

 物の供給と需要の関係も、労働力の供給と需要の関係も、供給が過剰なのです。意図的に円安に持っていっても、株価の上がる企業は限定されていて、物価の上昇による消費者の不安が増長するのは必至です。ハイパーインフレで喜ぶのは、国と赤字国債を蝕む官僚や公務員、そして銀行と一部の企業だけであり、忘れてはいけないのが、竹中経済財政相のお友達の日本マクドナルドだけではないでしょうか。

 円安を容認し、インフレターゲットの論拠となっている1400兆の個人資産が、本物であるかどうかが問題であり、この問題を定義をすることで、竹中経済財政相は、インフレが制御できなかったとき、自身のインフレターゲット論の責任転嫁ができないことを肝に銘じてほしい。

10 デフレという不況を受け入れよう

 官需を市場とする統制経済は、赤字国債という借金を原資にしていて、このような経済は、ベルリンの壁の崩壊という歴史事実が証明するように、成立しない経済であり、必ず破綻するということです。そして、統制経済が生み出す利権は、KSD事件や、外務官僚の不祥事、そして、「業際都市開発研究所」の事業形態や自治労の裏金の実態など、特殊法人を頂点とするシンジケートの、その腐敗した実態は隠しようがない状況です。

 今は、デフレであることを認識し、供給過剰を認め、成熟した産業の淘汰をすすめ、民需による新しい産業の出現を待つべきです。そして、官僚シンジケートの犯罪に立ち向かわなければなりません。

 したがって、取るべき政策は、まず特殊法人を頂点とする官僚シンジケートを解体し、統制経済時代の計画経済を白紙に戻すことです。この点では、小泉内閣の道路公団の切り込みは的を得ています。

 そして、生産調整にともなう労働力の過剰は、公務員をワークシェアリングすることで吸収するべきです。これにより、官業のリストラ=事業の再構築をはじめ、官民格差を解消することで、民間の活力とモラルを回復させます。

 「国債発行30兆円」を掲げる小泉内閣の予算案は、決して緊縮財政ではありません。日本経済の両輪である官需の市場は日本経済の両輪のひとつであり、この経済を切り捨てることはできないのです。ただ、この統制経済で生まれた利権が、日本経済の閉塞感の元凶であるのですから、利権をなくすことが急務です。そのためには、特殊法人などへの資金供給を断つことが絶対要件であり、この分の予算の削減は、実態経済には影響しません。

 特殊法人を頂点とする官僚シンジケートを駆逐し、そして、ワークシェアリングによって、雇用を維持し、経済の回復を待つべきです。新しい基幹産業の出現を信じるしかありません。日本人の潜在能力をプロパガンダするのではなく、国民一人一人が信じて、デフレという不況を受け入れることが大切だと思います

 そして、統制経済の利権は、源泉徴収の税制度にあることを認識するべきです。源泉徴収税収にシステムは、国民を労働者とすることで成立する制度であり、資本の寡占化を推し進めるものでしかありません。資本主義のなかで、資本家階級と労働者階級は、、階層間移動(資本家階層と労働家階層の行き来)が自由なものでなくてはならず、、それを阻害したり、絶対的なものとする社会は、経済の活力がなく、硬直した非民主主義の社会となるのです。

 このような、労働者からの税収システムである源泉徴収は、社会主義経済での税体系であり、自由経済の社会では弊害でしかありません。自由市場経済のなかで、資本家階層と労働家階層の行き来が自由である社会にこそ、経済の活力が生まれるのであり、戦後の高度成長を支えたのが、零細企業の町工場の技術であったことを思い出すべきです。

 デフレという不況を受け止めて、成熟した産業の淘汰を推し進め、ワークシェアリングで雇用を確保し、次の基幹となる産業の出現を待つべきです。そして、それを阻害する、特殊法人を解体することで、規制をなくし、利権で阻害された経済の活力とモラルを回復するべきです。

 そして、自由市場経済で活躍するのは、資本家階層と労働家階層の階層間移動が活発でなくてはならず、その阻害要因である、源泉徴収の税体系を廃止し、誰でもが参加できるシンプルな税体系を作るべきでありましょう。

11 混合経済に求める、二大政党の可能性

 日本経済が、自由経済を基調とする市場経済と、官需で成立する統制経済の混合経済です。日本経済の混迷の原因は、官需を求める統制経済が利権でがんじがらめになっていて、経済のバランスシートを無視しているからです。それが、自由経済の市場経済にも影響していて、日本経済の活力とモラルが失われているのです。

 市場経済で生み出される利潤を税金という形で、国家に吸い上げ、官需の市場に再分配されるのは決して間違った経済構造ではありません。日本の混合経済を認めたうえで、その運営をどうするかが政治の役目であり、それは統制経済と市場経済のバランスであるとすれば、それが政治に反映されるのが当然でありましょう。

 本来であれば、統制経済の利権を排除しようとする時、市場経済の国民からの圧力でその利権は排除されるものです。それを実現するのが政治力であります。しかし、日本の政治は、与党である自民党と野党との間に、この経済圏の区別はなく、統制経済と市場経済の利権や既得権益を丸呑みするのが、自民党であり、統制経済に属する自治労などの公務員が、野党で自民党と対峙しています。資本階級と労働者階級と対立の構造に縛られている、現在の政治状況は、統制経済で生まれた利権と、公務員も既得権益層であることを理解できません。

 この状況を打破するには、資本主義でも社会主義でもない、日本の混合経済をまず、認識して、国民一人一人がどちらの経済圏にいるのか、考える必要があります。そして、自分たちの立場を明確して、その上で、自分たちの属する経済圏の利益を主張するべきです。この二つの経済圏のバランスが、民主主義を成立させるでしょう。

 政治は、支持者の声を国政に反映する場です。いまの政治において、各政党は、統制経済と市場経済のどちらの声を代弁するのかを明確にするべきです。その上で、政治利権の違いを明確にするべきでしょう。いまの日本政治では、自民党も野党も、この経済圏の区別がつかず、自治労の労働組合は、自民党の族議員と同じ利権を守っていることに気がつかなければなりません。

 政治家が対立軸を求めて、それを国民に訴えるのではなく、国民一人一人が、混合経済の日本を理解し、自分がどちらの経済圏で生きているのかを理解するべきです。その声を政治に反映するのが政治であり政党の存在であるべきでしょう。そのバランスが日本経済の安定であり、それぞれの経済の修正をする作業は、両者が均衡した関係でなければなりません。

 日本が、統制経済と自由市場経済の混合経済であることを前提に、それぞれの市場の企業や国民を支持層として政党を構成し、官需と民需のバランスの交代が、政権交代となるような政治システムが二大政党ではないでしょうか。

12 問題や答えは、教科書や参考書に書いてあるとは限らない

 日本の政治家やエコノミストは、アメリカの後を追うことが知識人としての役目であるがごとく行動していますが、アメリカの経済が、日本経済から学んだ結果であるとすれば、何をかいわんやであり、日本の経済を総括しないで、デフレだとかケインズだとか声だかに叫んでどうなるというのでしょう。

 いまの日本経済の混迷の原因を、日本経済の総括に求めず、経済学の本と、アメリカやイギリスの経済にその解決策を求める、政治家や経済学者、そしてエコノミストは、あまりにも無責任です。

 たとえば、リストラという概念もそうですが、情報処理技術の進歩は、間接労働者の合理化を推し進め、リストラを理解できなくとも、この流れは、否応なく日本経済に入り込み、学歴と資格で生涯賃金を得る社会は根底から崩れ去ろうとしています。

 しかし、年功序列や終身雇用は、高度成長を支えたファクターであり、リストラとは直接には関係はありません。年功序列や終身雇用は、経験で得られる知識と技術を支える概念であり、これは、日本の技術の後退をさせるものでしかありません。リストラの対象となる概念は、学歴と資格で生涯賃金が決まる社会という概念であるべきなのです。

 終身雇用や年功序列を否定し、リストラを首切りの代名詞としてしまう日本社会には、現状把握したりその根本原因を突き止めたりする作業はできないのでしょうか。問題解決には根本原因を明確にし、その原因を取り除く作業をいうのであり、資本主義の経済学を棒読みし、そして、アメリカ経済のあとを追いかけることからは何も問題は解決しないのです。

 過剰な供給にあわせて、需要を押し上げるのであれば、赤字国債を原資とする財政出動でありましょうし、供給の生産調整をまって、あたらしい需要の創出を期待するのであれば、新規産業を阻害する規制を取り払い、経済の下支えとして、雇用の確保に努めなければならなりません。

 この、供給と需要の関係を論じずに、また、官需を求める統制経済は、利権に蝕まれ、それは活力とモラルを減退させるものでしかないことを認識せずに議論しても、幼稚園児が、言いたいことを言っているのと同じではないですか。このような議論をして収入を得ている政治家や評論家や経済エコノミストを看過することはできません。

 原因は現状把握から求めるものであり、その原因から問題を解決することが現状の打開につながります。しかし、その問題や解決策の方程式は、教科書や参考書に載っているとは限りません。特に日本の経済から景気回復を学んだアメリカを教科書とする日本の経済学者やエコノミストは、灯台下暗しで、彼らの解決策が、市場経済の処方箋であり、市場経済と統制経済の混合経済の処方箋でないことが理解できないのです。アメリカの教科書は、混合経済である日本には通用しません。

 日本社会の病巣は、経済だけでなく、教科書と参考書がなければ何も意見のできない、学者や評論家に代表される大人社会にその根本原因があるといわざるを得ません。

13 政府のデフレ対策を批判する 
 
 小泉内閣は、「早急に取り組むべきデフレ対応策」を打ち出したが、市場の評価は冷ややかです。また、野党やエコノミストも、政府の無策を批判しています。しかし、政府も政治家もエコノミストも、デフレの定義が曖昧で、総じて消費刺激策しか打ち出せていないのが現実ではないでしょうか。 

 貨幣の価値が商品の価値を上回るから、商品の価格を下げてまで貨幣を集めようとします。この物価下落は、企業の利潤や労働賃金を押し下げ、新規投資や、消費行動を停滞させ、さらなる物価下落を引き起こします。それでは、なぜ、貨幣の価値が、商品の価値を上回ったのでしょうか。 

▼ デフレの定義 

 デフレの定義は大きく分けて下記の2つに分類されます。 

@ 有効需要が供給に対して不足することによる一般物価水準の下落である 

A 貨幣および信用供給の収縮によって、貨幣供給量が流通に必要な量を下回ることから生ずる一般的物価水準の下落のこと 

 竹中経済相や、エコノミストの大半は、デフレの根本原因として、Aの「貨幣および信用供給の収縮によって、貨幣供給量が流通に必要な量を下回ることから生ずる一般的物価水準の下落のこと」と捉えていて、土地や株価の下落に原因があるとして、不良債権が景気停滞の根本原因であるとしています。だから、量的金融緩和を行い、不良債権のオフバランス化による銀行救済のための公的資金投入と企業再生を、経済政策の柱としています。 

 今回、政府が出した「早急に取り組むべきデフレ対応策」は、空売り規制が新しく入ったぐらいで、政策自体は、従来の政策と変わりません。エコノミストも野党も、小泉内閣の経済政策を批判しますが、彼らもまた、デフレの原因を、政府と同じと考えているならば、仮に政権を取ったとしても、有効な政策は打てないでしょう。 

 この閉塞した経済状況を打破するには、@の「有効需要が供給に対して不足することによる一般物価水準の下落」をデフレの定義として、需要と供給のバランスの改善に取り組むべきではないでしょうか。 

 供給が需要を上回る状況は、情報技術の発達で、間接労働の合理化による生産性の上昇と、ベルリンの壁の崩壊で、社会主義国の労働者が、資本主義経済に流れ込んだことによる絶対的な生産力の上昇、そして、キャピタルゲインを求める金融システムによるカジノ経済を統治する、アメリカによる消費の引き受けの構造は、消費の頭打ちの状態であること。この諸関係から、世界全体が、供給が需要を上回っているデフレ構造ではないでしょうか。 

 また、日本経済は、蛸が自分の足を食べて生き長らえているように、国債という自分の体の一部を食べ続けて、肥大化した胃袋を満たしていたのであり、食べるべき自分の体がなくなってきている状態です。 

 デフレを供給が需要を上回っているのが原因だとすれば、供給側の生産調整をするしかありません。つまり、バブルで肥大化した胃袋を小さくすることであり、そのような企業は市場から撤退するしかありません。その反動による失業者の増大は、社会不安を引き起こすので、雇用の確保をしなければならないでしょう。しかし、従来の公共事業による雇用対策は、食べるべき蛸足がない状態ではできない状況であります。

▼ 経済の下支えは、消費の下支えから 

 いまの政府の経済対策は、オフバランスによる企業の再生と、生産調整という相反する政策を同時進行で行っていて、その振り分けが、政治主導で行われているから、市場から信頼されず、日本国民のモラルハザードを引き起こしています。 

 従来の財政出動では、モラルハザードを増大させ、経済の活力を失うばかりであることは、この10年間の経済状況が証明していています。いまは、経済の活力が「貨幣および信用供給の収縮」で引き起こされているのではないことを認識するべきではないでしょうか。 

 デフレの原因は供給が需要を上回っているからであり、生産調整を市場原理に任せるべきであり、それに伴う失業の問題を、従来型の公共事業で吸収してはいけません。雇用の確保は、公務員を中心にワークシェアリングで失業者を吸収するべきであり、官民の経済格差を逆転させて、民間の経済のモラルと活力を引き出させるべきでしょう。新しい有効需要の創出を、日本国民のモラルと活力に求めずどこにありましょうか。 

 政府も野党も、そして無責任なエコノミストのご都合主義の政策論はもう聞きたくはありません。問題解決は、その根本原因を突き止め、その原因を取り除く作業の中で、新しく生まれる問題を克服していくものです。しかし、いまの日本では、問題の根本原因を突き止めず、もぐら叩きのように、頭をだしている現象に場当たり的に対処しているにすぎません。 

 生産調整を推し進め、日本経済を牽引する新しい経済構造や産業の創出を市場に委ねることが肝要であり、その間の労働力の供給過剰となる問題、つまり失業問題は、公務員を中心とするワークシェアリングで吸収する。このワークシェアリングによって、日本経済の消費を下支えし、デフレの進行を緩やかにし、きたるべき上昇のときを待つ。 

 みなし公務員は、約2千万人ぐらいではないでしょうか。それと公共事業で生活する国民を入れても、約3千万人くらいではないでしょう。公務員のワークシェアリングを口にすれば、有権者の3割を敵にまわすことになります。これは、組織票であり極めて脅威でありますが、残りの7割の有権者は、きわめて厳しい環境にあり、無党派層はこれからの政局に大きな影響を及ぼすでしょう。 

 公務員のワークシェアリングを口にだせるかどうかは、日本再生の分岐点となるのではないでしょうか。 

14 「公需」と「民需」という両翼のエンジン

 民主党の大塚耕平氏のメールマガジンで、竹森俊平という人が書いた「経済論戦は甦る」という本を取上げて経済問題を論していました。。

 要約すると、マクロ経済政策の経済を、ジャンボジェット機に例えて、この飛行機は、財政と金融という両翼のエンジンで飛んでいるとしています。そして、ケインジアンは、財政というエンジンを担当し、マネタリストは、金融をいうエンジンを担当するパイロットだというのです。

 そして、わが日本号は、財政というエンジンは、利権という穴で燃料(国税)が漏れていて、それを補う金融のエンジンも出力はいっぱいで、飛行機は下降しているというのです。この状況に大塚氏は、飛行機と機長以下のスタッフを入れ替えることを提案しています。つまり、修理しながらの飛行は無理としていて、詰まるところ、政権交代を主張しています。

 しかし、これは、従来の需要創出を基本とする経済政策の話であることに注意しなければなりません。デフレの原因が、「貨幣や信用供給の収縮によって、貨幣供給量が流通に必要な量を下回ることから生ずる物価下落」であるのならば、需要創出政策でもいいでしょうが、「供給が需要を上回るためにおきる物価下落」がデフレの原因であるとしたら、まず、するべきは生産力調整となります。

 つまり、日本経済をジャンボジェット機に例えるのはいいのですが、両翼のエンジンを、財政と金融とで分けてしまえば、供給過多による物価下落であるデフレは説明できません。(もっもと彼等に、供給過多によるデフレという概念がなければそれまでですが・・)

 そうではなく、経済をジャンボジェット機に例えるのならば、両翼のエンジンは、「公需」と「民需」とするべきではないでしょうか。そして、このエンジンをコントロールする油圧系統に、「財政」と「金融」があると考えるべきではないでしょう。そして、「公需」と「民需」それぞれのエンジンを動かすのが国民の経済活動であり、その乗客は、働いている本人はもとより家族です。このエンジンのバランスを調整するのが政治でありましょう。

 この経済という航空機は右エンジンの「公需」の出力を上げれば左旋回し、統制経済が強く社会主義的となりますが、利権が制御が暴走して、経済の活力とモラルは低下して、エンジンは不完全燃焼を起します。一方、左エンジンの「民需」の出力をあげれば、社会は右旋回して、富の分配機能が停止して、社会資本への投資やサービスが低下し、富の格差は階級社会を生みだし、社会秩序は不安定となるでしょう。そして、社会秩序を保つために民主主義は抑圧されます。

 日本では、この航空機のコックピットが永田町であり、パイロットは国会議員です。彼等の役目は、この航空機の安定した飛行であり、急旋回したり、片肺飛行での不安定な飛行は、客室の国民を不安にさせます。要はバランスであり、パイロットはこの航空機の水平飛行を保つべきであり、安定した離発着に心がけなければなりません。

 しかし、戦後の高度成長期では、両翼のエンジンの数は、プロペラからジェットエンジンにかわり、高度とスピードは上がり、なおかつ、安定した飛行を続けてきましたが、バブル崩壊以降、右エンジンの「民需]]の経済は、故障しがちとなり、左エンジンの「公需」の出力を引き上げ続けてきました。しかし、高度は落ちて、スピードも出なくなりました。

 原因は、、左エンジンの「公需」への過大な燃料供給は、燃料漏れを起こして、不完全燃焼が常態化し、エンジン出力は下がりつづけています。そして、一方の右エンジンの「民需」は、活力やモラルという潤滑油がなくなり、エンジンは焼きついているのです。

 いまは、一度空港におりて、オーバーホールをするべきであり、この修理が改革と言われています。しかし、小手先の修繕で、右エンジンに燃料を再注入して飛びたてとか、規制という錆びを取り除かず、新しい潤滑油を注ぐだけで、飛び立とうとすれば、この航空機は、左旋回するばかりで、デフレスパイラルの陥り、墜落するだけです。

 このオーバーホールの修理と応急修理とでは決定的に違うものであり、いまは、オーバーホールするべきでありましょう。左エンジンの「公需」では、燃料漏れであり、不完全燃焼の問題です。過剰な燃料の供給を止めて、燃焼効率をあげることです。そのためには、財政出動を抑えて、特殊法人シンジケートの解体が必要不可欠です。

 そして、右エンジンの「民需」では、規制という錆びを取り払うことが先決であり、それをしなければ、どんなに、新しい潤滑油を注しても、すぐに汚れてエンジンはまた焼きつくでしょう。 

 世界経済の中の、日本の高度成長経済

 資本主義社会では、経済の好景気と不景気は、供給と需要の関係のバランスから生じるものです。そして、そのアンバランスからくる不況を、人々はアダム・スミス「見えざる神の手」よりも、政治的な解決を求めました。それが、ケインズの「有効需要の原理」であり、財政出動や金融政策でもとめる雇用=有効需要であり、そして、究極の需要創出である戦争でした。

 第二次世界大戦前は、アメリカは需要創出政策として減税をしましたが、不況を脱出できず、ドイツは、雇用を、官需=軍事に求め、まず雇用問題を解決し、経済を回復させました。結果として、アメリカは、財政や金融政策による需要創出に失敗し、雇用を優先したドイツの経済は回復したのです。ただ、その雇用形態が軍事で吸収したため、経済運動として究極の消費である戦争に走るのは当然といえば当然でした。

 日本は、経済の活路を、市場拡大策として、それを満州に求めましたが、アメリカによる経済封鎖で行き詰まり、経済原則を無視して、国内の経済の低迷による不満を、全体主義のはけ口に置き換え、それを、アメリカに向けました。結果は、日本は負けましたが、戦争は精神力ではなく経済力でで戦うものなのです。

 資本主義経済の矛盾が、戦争でしか解決できないとするこの命題は、資本主義社会が背負う十字架であり、第二次世界大戦後の、冷戦時代は、アメリカをはじめ西側の諸国はこの命題に取り組まざるをえませんでした。

 しかし、現実には、冷戦時代の、景気の波に悩むアメリカは、経済の矛盾を戦争に求めるしかなく、朝鮮戦争やベトナム戦争など、戦争による需要創出政策を繰りかえします。そして、欧州は、社会主義の影響を強く受けながらも、ユーロの構想を地道に歩みます。

 日本はというと、戦争を繰り返すアメリカの傘の下で、市場経済で得た資本を、公共投資にまわし、官需による統制経済の比率を高めていきます。日米安保条約は、政策的に日本の高度成長を側面から強力に支援したのです。ある意味では、資本主義社会の代表として、アメリカが戦争による需要創出政策をしていたその傘の下で日本ほど露骨に自己の繁栄のみを選択した国家はないでしょう。

 その傘の下にいた日本が、高度成長を果たし、その経済力が、アメリカ経済を脅かす存在になることを、アメリカが快く思うはずがありません。しかし、日本の高度成長は、アメリカを悩ませた景気の波がなく、世界恐慌を引き起こした株式の暴落もないことを、アメリカは認めざるを得ませんでした。


3 アメリカの金融政策は、日本の土地本位制から生まれた

 1970年代に、日本はアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国まで成長したとき、経済不信にあえぐアメリカは、日本経済を研究しました。彼らは、日本人の勤勉に着目し、年功序列と終身雇用制に着目しました。しかし、それ以上に、注目したのが、地価の上昇であり、土地を担保とする土地本位制とでもいうべき、金融システムではなかったでしょうか。

 なぜなら、土地担保自体の価値が年月とともに上昇し、同じ担保で融資の上乗せができるからです。日本の企業は、株式による資金調達をせずとも、間接金融による資本調達で十分だったのです。その間接金融で成長する市場経済と官需をもとめる統制経済市場の企業は、護送船団方式の銀行団からの安定した資金調達が得られ、持続的な経済成長が可能になったのです。

 アメリカは、資本主義経済圏の日本経済が、護送船団方式の銀行団を操る霞ヶ関の官僚が実効支配する統制経済の実態に気がつかないはずがありません。日本には、市場経済と官需をもとめる統制経済の混合経済であり、マルクスも予測していないこの経済システムをアメリカは発見しました。そして、この画期的な経済システムをもつ日本自身が、これに気がつかず、明治以来に政策である先進国に追いつけ追い越せで、今でもアメリカの背中を今も見続けているのは、なんと愚かなことでしょう。

 日本経済を研究したアメリカは、まず、日本企業の高い技術力で支えられた生産性の高さに対して、間接労働者の合理化で対抗しました。リストラ=事業の再構築です。1970年代それを支えたのが、巨人といわれるIBMであり、80年代には、あのマイクロソフトの出現で、その合理化は加速します。アメリカは生産性で日本を抜き返しました。(このリストラの解釈をいまだにできない日本人がいるのは、残念であり、リストラが教科書に載る日まで待たなければならないでしょう。)

 そして、日本の土地本位制による資産の増殖システムを、株式に求め、その価値を差別化するために、特許を奨励しました。産学共同のシステムは、技術力を高めるためではなく、米国企業の株式の価値を決定するためのものではなかったでしょうか。現実、アップルコンピューターは、ガレージから生まれ、ビル・ゲイツは大学研究者でもエリートでもありません。

 ドル本位制による資金調達は、株式と米国債をあやつり、株式を直接金融としての機能から、株式自体の価値を高めることによることによる資金調達のシステムにします。必要な資本を調達するために株式を発行し、それを貨幣と等価交換し、必要な資本を調達する株式のシステムから、キャピタルゲインを求める株式のシステムを構築しました。アメリカは、それを、市場経済として、規制緩和とともに、それを世界に押し付けます。

 日本の地価による資産の増幅によるマネーサプライの増幅を、アメリカは、株式に置き換えたのであり、株式は、資本を調達するシステムではなく、キャピタルゲインを求めるためのシステムは、金融市場を構築しました。エンジェルファンドの存在をみれば、彼らが、起業家に、直接資本の役目を果たしていて、投資家は、その事業が成功し、株式市場でのキャピタルゲインを求めていたではないですか。つまり、直接金融は、エンジェルファンドが受けているのであり、株式市場は、キャピタルゲインを求める場所となったのです。

 これは、株式市場に参加する企業だけが、株式市場のキャピタルゲインで得た資本を、新しい投資にまわすことができるのであり、株式市場は、本来の投資の目的から離れて、投資のための資本を形成するものになっていることに気がつかなければなりません。いまの、株式市場は、市場経済から資金を吸い上げる機関であり、企業も、増幅する資本を再投資しているのです。

 アメリカのいう市場経済と規制緩和は、資本の参入の規制を撤廃し、このドル本位制による金融システムに世界が参加することを強要するものでした。キャピタルゲインをもとめるこのシステムは、資本の寡占化を押し進めます。これは、産業が成熟して、その成熟した産業の実が落ちて、新しい産業が成長するという経済の運動ではなく、資本自体が際限なく膨張するシステムであり、それは、資本の寡占化を求めるものであります。その膨張した資本による消費を担うのが、アメリカであり、限られた先進国であるのです。


4 グローバリズムと反グローバリズム

 いまの経済の市場とは、金融市場を指すといって過言ではないでしょう。ウォール街を中心とする金融システムを中心とする経済は、アメリカンスタンダードであり、日本経済はその影響下にあります。

 アメリカンスタンダードとは、いわゆる「フリーライド(ただ乗り)論」を基本としています。それは、株式などの金融市場で世界中から資金を集め、アメリカがその資金で、消費大国となる経済システムです。カジノと化した金融市場は、実体経済の数十倍という通貨を動かしています。

 ベルリンの壁の崩壊以降の、東欧や、東南アジア、中国の資本主義経済への参入は、アメリカの消費大国を歓迎しましたが、中国を筆頭に生産力の上昇は、需要に対して供給側の生産力が上回る事態となり、デフレは世界的な経済問題となっています。

 世界的なデフレ傾向の中で、カジノ経済における通貨供給量を維持するために、いまの金融市場に参加する企業はリストラクチュアリングを競い合い、さらに、資本の寡占化への経済運動は、大企業どうしの業務提携や合併を突き動かしています。

 この経済行動が国境を越えて広がれば、いわゆる後進国は、先進国の企業を迎え入れるばかりで、その利潤は、現行のユダヤ資本や、アラブ資本、華僑資本などに吸い上げらます。その国の労働者は低賃金であり、雇用の枠はわずかです。この経済構造が、国境を越えて経済格差を生んでいるのです。このアメリカンスタンダードの「金融市場」が、国境を越えて普遍化することをグローバル経済としているのであり、この経済構造に対峙する勢力が反グローバリズムであるのです。

 しかし、資本主義経済のスタンダードは、アメリカンスタンダードとは異なります。資本主義は、史的唯物論を否定することはできません。各国の資本主義の進化の違いが人類の悲劇の始まりではありますが、資本主義の唯物史観を否定することは、資本主義の抱える経済の矛盾を飛び越えて、絶望的な貧困を生み、そこから派生する憎悪は、人類を滅ぼすやもしれないのです。

 反グローバリズムの人々の主張する経済は、資本主義の原理に即した市場経済です。ベルリンの壁の崩壊で、社会主義は利権が制御できず、現実として階層化した社会が生まれ、非民主的な社会は、経済活動の活力とモラルが成立しないことが証明されました。民主主義と経済は、社会主義=統制経済を否定したのです。

 資本主義は、かつての資本階級と労働者階級という対立構造は、不労所得層と労働所得層に分類されることで、資本主義を悪とする概念は現代にはありません。ベルリンの壁の崩壊以降、自由経済を基調とする市場経済こそが、民主主義が成立する経済であり、資本主義の原理に立ち返ることが求められています。 

5 日本経済の現状認識と問題点

 ここで、日本経済に話を戻しますが、デフレを脱却する政策として、「インフレターゲット論」が政府や自民党からあがっています。これを後押しするのが竹中経済財政相でありますが、彼は、インフレ目標を掲げて、日銀が資金を潤沢に出せば、インフレになり、消費や設備投資が増えるとしています。この論の根拠は、今の経済状況は消費が回復しないからであり、デフレの脱却は消費の回復次第としています。

 しかし、日本人は1400兆もの個人資産を持ち、その半分が現金として保有しているのに、一向に消費が回復しないのは、なぜでしょうか。土地資産の下落で、消費マインドが落ちたからだとか、国の借金である赤字国債の天文学的な数字が、将来の増税につながるとする消費者の自己防衛の影響だとかいわれていたのはついこの前のことなのに、いま、さらなる金融緩和をするとはどういうことでしょうか。

 この個人資産は、バブル崩壊以降、右肩あがりを続けていることに私は、かねてから疑問を抱いていますが、ここにきて、マネーサプライを増やし、インフレを誘発するという政策は、1400兆の個人資産を論拠とした日本経済の不沈艦の論理はどこにいったのでしょう。日銀は、年初から、金はだぶついているとしているのに、何故、貨幣の価値は落ちずに、物価は下落したのでしょうか。何故、だいぶついた資金が投資に回らなかったのでしょうか。?

 まず現状認識として共有化しなければならない概念は、供給と需要の関係です。はたして、竹中経済財政相のいうように、潜在需要は供給を上回っているのでしょうか。それとも、供給が過剰なのでしょうか。企業は生産調整は何を意味しているのでしょうか。また、供給が過剰であるから、物価が下がっているのではないのでしょうか。

 竹中経済財政相も無責任なエコノミストも、この点を明確にしてから経済論をいうもの誰もはいません。はたして、供給は適正水準であり、潜在需要がマインドの影響で落ち込んでいるのか。そうであるから、消費刺激策による景気回復策をとるべきなのでしょうか。

 経済は、好景気と不景気が交互に繰り返される運動体です。そしてその運動は、産業が成長し、それが成熟したとき、その産業は淘汰され、新しい産業が生まれ成長するという運動の連鎖でありましょう。

 これを基本に考えれば、日本経済は、官需をもとめる統制経済での産業が成熟しているのに、その産業を公的資金の投入で延命させている現実があります。つまり、自由経済市場の経済が不景気の底であるのに、日本経済は、官需を市場とする統制経済との混合経済であるいため、いつまでたっても景気の波の底に達することが着ないのです。

 つまり、景気が反転することができないということになります。そして、その統制経済の構図は、特殊法人を頂点とするシンジケートを組織していて、利権が支配しているのです。その利権が支配する社会は、民主主義と対立し、経済の活力とモラルが後退し、経済と社会が破綻するのは、ベルリンの壁の崩壊が証明しています。

6 供給と需要の状況をまず認識するべき

 好景気と不景気を判断する基準は、供給と需要の関係であり、いまの日本経済において供給は需要を上回っている現実を認識するべきでしょう。その上で、過剰な供給にあわせて、需要を押し上げるのか、供給の生産調整をまって、あたらしい需要の創出を期待するか。まず、この選択を議論するべきでありましょう。

 この点は、まず市場経済の面から見ると、パソコンの登場で、情報処理技術による間接労働者層の合理化で、企業は生産性をあげたこと、そして、ホワイトカラーの労働者層が過剰になったこと。そして、かつての社会主義諸国が、市場経済への参入により、世界の工業製品の生産性が急激に上昇し、供給が過剰であること。そして、安い労働力を求めたための国内の産業の空洞化は、直接労働者層の過剰を生み出していること。等々を考えれば、供給は需要にたいして過剰であり、労働者も供給が過剰であるといわざるを得ないのではないでしょうか。

 そして、官需を市場とする統制経済かたみれば、土地本位制がバブルではじけて、土地という、打ち出の小槌がなくなり、投資するべき資本が調達できくなった時点で、統制経済側の、生産調整をしなくてはいけないはずでした。しかし、統制経済は、計画経済であり、法律で守られた官需による生産計画、つまり、道路建設やダム建設は止めることができませんでした。

 90年代から始まる赤字国債は、このような背景から生まれたのです。政府は、景気回復により税収が増えれば、国債の償還ができるのだからと、景気回復を旗印に赤字国債を発行し続けますが、官需の市場の原資は、土地本位制による、マネーサプライの増幅と市場経済の税収とで支えていたのであり、バブルで膨れ上がったのは、土地の価格だけでなく、官需を支える供給力も膨れ上がっていたのです。したがって、官需の市場で生きる企業は、生産調整をすることは当然であったのです。しかし、利権の侵された官僚シンジケートは、統制経済における計画経済を見直さず、赤字国債で、供給能力を維持しつづけた結果が、700兆を超える国債残高であるのです。

7 日本経済の問題と原因

 日本経済は、官需を市場とする供給と需要のバランスは、バブルがはじけてからは、需要創出のための投資する資本の原資が、国債に依存していること。そして、情報処理技術の進歩と、社会主義経済が崩壊し、それらの国が市場経済に流れ込んだこと。そして、グローバリズム経済の波及で、工業製品の生産性があがり、市場経済でも、供給が過剰になっていることを認識するべきです。

 その上で、過剰な供給に、需要を合わせて行くのか、供給の生産調整による需要のバランスをとるのか、この選択が、第一にあるのであり、財政出動による需要創出策と、供給の生産調整とでは、取るべき政策が全く異なってきます。

 第二章で、第二次世界大戦前の、アメリカとドイツの経済政策を例に出したように、需要創出政策は、財政出動や、消費刺激策として減税を行います。それに対して、供給の生産調整を見守るとすれば、それによって溢れる失業者の対策が、メインの政策となります。

 日本の経済政策は、まず、供給と需要のバランスシートをどのように改善させるかが前提であり、これを議論しないで、政策をぶつけあっても結論は出ないでしょう。たとえ多数決でどちらかの経済政策になろうとも、問題の根本となる原因を特定していないのであれば、また同じ過ちを繰り返すでしょう。

 日本経済の混迷の原因のひとつとして、官需を市場とする統制経済を支えた、土地本位制=バブルが崩壊したにも関わらず、計画経済の見直しをしなかったことです。それは、計画経済は、利権に蝕まれていて、その利権を求める官僚シンジケートは、赤字国債を発行して、計画経済を消化させていきました。官需の市場は、バブルで膨れ上がった、供給過剰の体質を、赤字国債で需要を支えたのです。

 そして、自由経済市場では、社会主義経済の崩壊で、自由市場経済は急激に膨張し、情報処理技術の進歩と、グローバリズムの進行は、工業製品の生産力を底上げして、世界の工業製品の供給は過剰となりました。その反面、増え続ける人口に対して、農産物などの供給は需要に追いつきません。

 日本経済は、統制経済と自由市場経済の混合経済でありますが、ともに、供給が過剰であり、デフレーションを起こしているのです。デフレの原因は、供給が需要を上回っていることと結論できるでしょう。

 そして、問題点は、官需の市場で生まれた利権であり、特殊法人を頂点とするシンジケートの弊害です。彼らの存在は、供給が過剰であるにもかかわらず、企業の淘汰を拒否して、赤字国債という麻薬中毒にしてまでも延命させています。この状況は、自由市場経済の企業の活力とモラルを失わせるものです。

 また、自由経済市場では、源泉徴収を基本とする日本の税制は、雇用者の促進を推し進め、かつて、日本再生の原動力となった零細企業や自営業の淘汰を進めました。それは、日本の高い技術力や活力を減退させ、間違ったリストラの概念は、終身雇用と年功序列を否定し、経験と知識で培われる技術を否定しました。日本の競争力はこうして失われたのです。

 日本経済の問題点は、官需の市場での利権を求める官僚シンジケートと、経済の好景気と不景気の波が、供給と需要のバランスを修正するものであるのに、統制経済と自由経済の混合経済である日本は、統制経済側が、赤字国債によって供給の生産調整をせず、いつまでたっても、景気の波の底に到達することができず、景気は上昇に転ずることができないのです。
 
8 不良債権は処理するものであり、問題の原因ではない

 バブルの崩壊以降、その価値を下げ続けている地価は不良債権となり、企業のバランスシートは、資産の部が下がり、一向の改善の気配を見せません。これを、資産デフレとか、バランスシート不況だとか言う人がいますが、冗談ではありません。土地価格は、需要と供給の関係で決まるのであり、これは土地本位制の負の遺産です。つまり、不良債権自体は結果であり問題ではありません。

 不良債権は、日本経済の足枷であるのは事実ですが、これは処理するべきものです。つまり、不良債権の問題は、日本経済の混迷する問題がもたらした結果であり負の遺産です。そして、それは、原因ではないということです。これは、日本が直面している日本社会の構造を変えるという構造改革と同列に論議されるべきものではないということです。

 財政も特殊法人も、年金も、そして不良債権も、糞も味噌も一緒にしてはいけません。不良債権は、処理であり、これは、テクニカルな問題でありましょう。

 私は、不良債権問題は、民主党の一時国有化の政策を支持しますが、金融政策には、与野党の枠にこだわらず民間からも専門家を入れて、対策チームを作るべきです。そして、官僚を制御するために法曹をメンバーに入れるべきです。不良債権の問題は、財務官僚が深く関わっていることは明白であり、自己保身のための行動をさせないためにも、法曹をメンバーに入れて、官僚の自己保身の行動を阻止するべきです。

 そして、この対策チームの責任者は国会議員を配置するべきです。ここだけは、判断業務から官僚を外すべきであり、それだけ緊迫した問題であり、無責任や責任転嫁で済まされる状況ではありません。

 そして、はっきりさせておくべきことは、この不良債権の処理がうまくいこうが失敗しようが、利権社会主義の弊害を除去し、供給と需要のバランスの改善を求める日本経済の構造改革は、推し進めるべきであるということです。不良債権の問題は、処理するべき問題であり、構造改革のための手段ではありません。

 不良債権の処理の動向に関わらず、特殊法人と供給側の生産調整は進めるべきで、この点を、はっきりさせないと、小泉内閣が不良債権処理に失敗して、その責任を取らざるを得なくなったとき、その後の政局は混乱するばかりとなるでしょう。

9 インフレターゲット論

 デフレを脱却する政策として、「インフレターゲット論」が政府や自民党からあがっています。これを後押しするのが竹中経済財政相ですが、インフレ目標を掲げて、日銀が資金を潤沢に出せば、インフレになり、消費や設備投資が増えるとしています。また、円安による、輸入品の価格上昇によるインフレ誘導もあります。

 インフレによる、国や企業のバランスシートの改善は魅力的でありますが、供給が需要を上回る状況ではインフレは成立しません。これは、労働力の供給も同じであり、労働力が過剰であるときに、金がだぶつけば、ハイパーインフレがおきます

 マネーサプライを増やして貨幣の価値を下げても、物価の下落が止まらなければ、信用不安による円安が起きて、自給率の低い日本では、農産物の輸入品価格が上昇し、物価は上昇しますが、それを支える購買能力があれば混乱はありません。しかし、消費が伸びなければ、信用不安がおきて、円安が加速し、国内の供給不足を引き起こし、インフレが加速します。ハイパーインフレです。

 インフレが成立する要件として、需要が供給を上回っていなければなりません。供給過剰の状態では、マネーサプライを増やしても、消費は伸びません。また、円安になれば、空洞化と自給率の低い日本は、輸入品価格が上昇し、物価は上昇しますが、そのインフレに耐えうる資産がなければなりません。また、円安は、輸出を増やし国内の経済が活発にするものですが、空洞化した日本の産業に、即効的な効果はあるでしょうか。

 竹中経済財政相は、「ファンダメンタルズ(経済の基礎的諸条件)から大きく離れていない」とインフレはコントロールできると言いますが、これは、1400兆の個人資産を論拠にしての発言でしょう。

 政府も、メディアもエコノミストも、消費が回復しないのは、財布の紐が硬いからだと、1400兆もの個人資産を持つ日本の国民に、その責任を押し付けてきました。しかし、本当にそうなのでしょうか。日本人の財布には、紙幣は入っているのでしょうか。

 戦後の記録を更新し続ける企業の倒産件数と負債金額、そして個人破産の急増に、地価の下落。このようなファンダメンタルズで、何故、個人資産は、右肩あがりなのでしょう。本当に、日本の消費が回復しないのは、消費マインドが落ち込んでいるからでしょうか。

 1400兆の個人資産が本当であれば、そしてこの数字の平均値が国民の多数を占めていれば、インフレをコントロールすることができましょうが、いまの日本では、産業の空洞化とリストラの進行で、労働力はだぶついています。彼らは、1400兆の個人資産を形成する平均的な日本人なのでしょうか。インフレに耐えることができて、たらふく食えるのが、高齢者や公務員ばかりであったならば、だぶついた労働者や失業者はどう思うでしょうか。

 インフレターゲットが、国や一部の企業のバランスシートの改善を求めるために行うのであれば、供給が過剰でも、金融政策でその方向に持っていくのは論理が通ります。しかし、1400兆円の個人資産の平均額が、日本人の平均的な資産と一致しなければ、物価の上昇に国民は耐えることが出来なければ、信用不安による農産物の供給不足が起きて、社会不安は増大し、持たざる側の国民は悲惨な生活を強いられることは確かです。そうなれば、大人しく自殺をしてくれる国民ばかりではないことを理解するべきです。アルゼンチンの経済不安による市民の行動は、決して他人事ではありません。

 物の供給と需要の関係も、労働力の供給と需要の関係も、供給が過剰なのです。意図的に円安に持っていっても、株価の上がる企業は限定されていて、物価の上昇による消費者の不安が増長するのは必至です。ハイパーインフレで喜ぶのは、国と赤字国債を蝕む官僚や公務員、そして銀行と一部の企業だけであり、忘れてはいけないのが、竹中経済財政相のお友達の日本マクドナルドだけではないでしょうか。

 円安を容認し、インフレターゲットの論拠となっている1400兆の個人資産が、本物であるかどうかが問題であり、この問題を定義をすることで、竹中経済財政相は、インフレが制御できなかったとき、自身のインフレターゲット論の責任転嫁ができないことを肝に銘じてほしい。

10 デフレという不況を受け入れよう

 官需を市場とする統制経済は、赤字国債という借金を原資にしていて、このような経済は、ベルリンの壁の崩壊という歴史事実が証明するように、成立しない経済であり、必ず破綻するということです。そして、統制経済が生み出す利権は、KSD事件や、外務官僚の不祥事、そして、「業際都市開発研究所」の事業形態や自治労の裏金の実態など、特殊法人を頂点とするシンジケートの、その腐敗した実態は隠しようがない状況です。

 今は、デフレであることを認識し、供給過剰を認め、成熟した産業の淘汰をすすめ、民需による新しい産業の出現を待つべきです。そして、官僚シンジケートの犯罪に立ち向かわなければなりません。

 したがって、取るべき政策は、まず特殊法人を頂点とする官僚シンジケートを解体し、統制経済時代の計画経済を白紙に戻すことです。この点では、小泉内閣の道路公団の切り込みは的を得ています。

 そして、生産調整にともなう労働力の過剰は、公務員をワークシェアリングすることで吸収するべきです。これにより、官業のリストラ=事業の再構築をはじめ、官民格差を解消することで、民間の活力とモラルを回復させます。

 「国債発行30兆円」を掲げる小泉内閣の予算案は、決して緊縮財政ではありません。日本経済の両輪である官需の市場は日本経済の両輪のひとつであり、この経済を切り捨てることはできないのです。ただ、この統制経済で生まれた利権が、日本経済の閉塞感の元凶であるのですから、利権をなくすことが急務です。そのためには、特殊法人などへの資金供給を断つことが絶対要件であり、この分の予算の削減は、実態経済には影響しません。

 特殊法人を頂点とする官僚シンジケートを駆逐し、そして、ワークシェアリングによって、雇用を維持し、経済の回復を待つべきです。新しい基幹産業の出現を信じるしかありません。日本人の潜在能力をプロパガンダするのではなく、国民一人一人が信じて、デフレという不況を受け入れることが大切だと思います

 そして、統制経済の利権は、源泉徴収の税制度にあることを認識するべきです。源泉徴収税収にシステムは、国民を労働者とすることで成立する制度であり、資本の寡占化を推し進めるものでしかありません。資本主義のなかで、資本家階級と労働者階級は、、階層間移動(資本家階層と労働家階層の行き来)が自由なものでなくてはならず、、それを阻害したり、絶対的なものとする社会は、経済の活力がなく、硬直した非民主主義の社会となるのです。

 このような、労働者からの税収システムである源泉徴収は、社会主義経済での税体系であり、自由経済の社会では弊害でしかありません。自由市場経済のなかで、資本家階層と労働家階層の行き来が自由である社会にこそ、経済の活力が生まれるのであり、戦後の高度成長を支えたのが、零細企業の町工場の技術であったことを思い出すべきです。

 デフレという不況を受け止めて、成熟した産業の淘汰を推し進め、ワークシェアリングで雇用を確保し、次の基幹となる産業の出現を待つべきです。そして、それを阻害する、特殊法人を解体することで、規制をなくし、利権で阻害された経済の活力とモラルを回復するべきです。

 そして、自由市場経済で活躍するのは、資本家階層と労働家階層の階層間移動が活発でなくてはならず、その阻害要因である、源泉徴収の税体系を廃止し、誰でもが参加できるシンプルな税体系を作るべきでありましょう。

11 混合経済に求める、二大政党の可能性

 日本経済が、自由経済を基調とする市場経済と、官需で成立する統制経済の混合経済です。日本経済の混迷の原因は、官需を求める統制経済が利権でがんじがらめになっていて、経済のバランスシートを無視しているからです。それが、自由経済の市場経済にも影響していて、日本経済の活力とモラルが失われているのです。

 市場経済で生み出される利潤を税金という形で、国家に吸い上げ、官需の市場に再分配されるのは決して間違った経済構造ではありません。日本の混合経済を認めたうえで、その運営をどうするかが政治の役目であり、それは統制経済と市場経済のバランスであるとすれば、それが政治に反映されるのが当然でありましょう。

 本来であれば、統制経済の利権を排除しようとする時、市場経済の国民からの圧力でその利権は排除されるものです。それを実現するのが政治力であります。しかし、日本の政治は、与党である自民党と野党との間に、この経済圏の区別はなく、統制経済と市場経済の利権や既得権益を丸呑みするのが、自民党であり、統制経済に属する自治労などの公務員が、野党で自民党と対峙しています。資本階級と労働者階級と対立の構造に縛られている、現在の政治状況は、統制経済で生まれた利権と、公務員も既得権益層であることを理解できません。

 この状況を打破するには、資本主義でも社会主義でもない、日本の混合経済をまず、認識して、国民一人一人がどちらの経済圏にいるのか、考える必要があります。そして、自分たちの立場を明確して、その上で、自分たちの属する経済圏の利益を主張するべきです。この二つの経済圏のバランスが、民主主義を成立させるでしょう。

 政治は、支持者の声を国政に反映する場です。いまの政治において、各政党は、統制経済と市場経済のどちらの声を代弁するのかを明確にするべきです。その上で、政治利権の違いを明確にするべきでしょう。いまの日本政治では、自民党も野党も、この経済圏の区別がつかず、自治労の労働組合は、自民党の族議員と同じ利権を守っていることに気がつかなければなりません。

 政治家が対立軸を求めて、それを国民に訴えるのではなく、国民一人一人が、混合経済の日本を理解し、自分がどちらの経済圏で生きているのかを理解するべきです。その声を政治に反映するのが政治であり政党の存在であるべきでしょう。そのバランスが日本経済の安定であり、それぞれの経済の修正をする作業は、両者が均衡した関係でなければなりません。

 日本が、統制経済と自由市場経済の混合経済であることを前提に、それぞれの市場の企業や国民を支持層として政党を構成し、官需と民需のバランスの交代が、政権交代となるような政治システムが二大政党ではないでしょうか。

12 問題や答えは、教科書や参考書に書いてあるとは限らない

 日本の政治家やエコノミストは、アメリカの後を追うことが知識人としての役目であるがごとく行動していますが、アメリカの経済が、日本経済から学んだ結果であるとすれば、何をかいわんやであり、日本の経済を総括しないで、デフレだとかケインズだとか声だかに叫んでどうなるというのでしょう。

 いまの日本経済の混迷の原因を、日本経済の総括に求めず、経済学の本と、アメリカやイギリスの経済にその解決策を求める、政治家や経済学者、そしてエコノミストは、あまりにも無責任です。

 たとえば、リストラという概念もそうですが、情報処理技術の進歩は、間接労働者の合理化を推し進め、リストラを理解できなくとも、この流れは、否応なく日本経済に入り込み、学歴と資格で生涯賃金を得る社会は根底から崩れ去ろうとしています。

 しかし、年功序列や終身雇用は、高度成長を支えたファクターであり、リストラとは直接には関係はありません。年功序列や終身雇用は、経験で得られる知識と技術を支える概念であり、これは、日本の技術の後退をさせるものでしかありません。リストラの対象となる概念は、学歴と資格で生涯賃金が決まる社会という概念であるべきなのです。

 終身雇用や年功序列を否定し、リストラを首切りの代名詞としてしまう日本社会には、現状把握したりその根本原因を突き止めたりする作業はできないのでしょうか。問題解決には根本原因を明確にし、その原因を取り除く作業をいうのであり、資本主義の経済学を棒読みし、そして、アメリカ経済のあとを追いかけることからは何も問題は解決しないのです。

 過剰な供給にあわせて、需要を押し上げるのであれば、赤字国債を原資とする財政出動でありましょうし、供給の生産調整をまって、あたらしい需要の創出を期待するのであれば、新規産業を阻害する規制を取り払い、経済の下支えとして、雇用の確保に努めなければならなりません。

 この、供給と需要の関係を論じずに、また、官需を求める統制経済は、利権に蝕まれ、それは活力とモラルを減退させるものでしかないことを認識せずに議論しても、幼稚園児が、言いたいことを言っているのと同じではないですか。このような議論をして収入を得ている政治家や評論家や経済エコノミストを看過することはできません。

 原因は現状把握から求めるものであり、その原因から問題を解決することが現状の打開につながります。しかし、その問題や解決策の方程式は、教科書や参考書に載っているとは限りません。特に日本の経済から景気回復を学んだアメリカを教科書とする日本の経済学者やエコノミストは、灯台下暗しで、彼らの解決策が、市場経済の処方箋であり、市場経済と統制経済の混合経済の処方箋でないことが理解できないのです。アメリカの教科書は、混合経済である日本には通用しません。

 日本社会の病巣は、経済だけでなく、教科書と参考書がなければ何も意見のできない、学者や評論家に代表される大人社会にその根本原因があるといわざるを得ません。

13 政府のデフレ対策を批判する 
 
 小泉内閣は、「早急に取り組むべきデフレ対応策」を打ち出したが、市場の評価は冷ややかです。また、野党やエコノミストも、政府の無策を批判しています。しかし、政府も政治家もエコノミストも、デフレの定義が曖昧で、総じて消費刺激策しか打ち出せていないのが現実ではないでしょうか。 

 貨幣の価値が商品の価値を上回るから、商品の価格を下げてまで貨幣を集めようとします。この物価下落は、企業の利潤や労働賃金を押し下げ、新規投資や、消費行動を停滞させ、さらなる物価下落を引き起こします。それでは、なぜ、貨幣の価値が、商品の価値を上回ったのでしょうか。 

▼ デフレの定義 

 デフレの定義は大きく分けて下記の2つに分類されます。 

@ 有効需要が供給に対して不足することによる一般物価水準の下落である 

A 貨幣および信用供給の収縮によって、貨幣供給量が流通に必要な量を下回ることから生ずる一般的物価水準の下落のこと 

 竹中経済相や、エコノミストの大半は、デフレの根本原因として、Aの「貨幣および信用供給の収縮によって、貨幣供給量が流通に必要な量を下回ることから生ずる一般的物価水準の下落のこと」と捉えていて、土地や株価の下落に原因があるとして、不良債権が景気停滞の根本原因であるとしています。だから、量的金融緩和を行い、不良債権のオフバランス化による銀行救済のための公的資金投入と企業再生を、経済政策の柱としています。 

 今回、政府が出した「早急に取り組むべきデフレ対応策」は、空売り規制が新しく入ったぐらいで、政策自体は、従来の政策と変わりません。エコノミストも野党も、小泉内閣の経済政策を批判しますが、彼らもまた、デフレの原因を、政府と同じと考えているならば、仮に政権を取ったとしても、有効な政策は打てないでしょう。 

 この閉塞した経済状況を打破するには、@の「有効需要が供給に対して不足することによる一般物価水準の下落」をデフレの定義として、需要と供給のバランスの改善に取り組むべきではないでしょうか。 

 供給が需要を上回る状況は、情報技術の発達で、間接労働の合理化による生産性の上昇と、ベルリンの壁の崩壊で、社会主義国の労働者が、資本主義経済に流れ込んだことによる絶対的な生産力の上昇、そして、キャピタルゲインを求める金融システムによるカジノ経済を統治する、アメリカによる消費の引き受けの構造は、消費の頭打ちの状態であること。この諸関係から、世界全体が、供給が需要を上回っているデフレ構造ではないでしょうか。 

 また、日本経済は、蛸が自分の足を食べて生き長らえているように、国債という自分の体の一部を食べ続けて、肥大化した胃袋を満たしていたのであり、食べるべき自分の体がなくなってきている状態です。 

 デフレを供給が需要を上回っているのが原因だとすれば、供給側の生産調整をするしかありません。つまり、バブルで肥大化した胃袋を小さくすることであり、そのような企業は市場から撤退するしかありません。その反動による失業者の増大は、社会不安を引き起こすので、雇用の確保をしなければならないでしょう。しかし、従来の公共事業による雇用対策は、食べるべき蛸足がない状態ではできない状況であります。

▼ 経済の下支えは、消費の下支えから 

 いまの政府の経済対策は、オフバランスによる企業の再生と、生産調整という相反する政策を同時進行で行っていて、その振り分けが、政治主導で行われているから、市場から信頼されず、日本国民のモラルハザードを引き起こしています。 

 従来の財政出動では、モラルハザードを増大させ、経済の活力を失うばかりであることは、この10年間の経済状況が証明していています。いまは、経済の活力が「貨幣および信用供給の収縮」で引き起こされているのではないことを認識するべきではないでしょうか。 

 デフレの原因は供給が需要を上回っているからであり、生産調整を市場原理に任せるべきであり、それに伴う失業の問題を、従来型の公共事業で吸収してはいけません。雇用の確保は、公務員を中心にワークシェアリングで失業者を吸収するべきであり、官民の経済格差を逆転させて、民間の経済のモラルと活力を引き出させるべきでしょう。新しい有効需要の創出を、日本国民のモラルと活力に求めずどこにありましょうか。 

 政府も野党も、そして無責任なエコノミストのご都合主義の政策論はもう聞きたくはありません。問題解決は、その根本原因を突き止め、その原因を取り除く作業の中で、新しく生まれる問題を克服していくものです。しかし、いまの日本では、問題の根本原因を突き止めず、もぐら叩きのように、頭をだしている現象に場当たり的に対処しているにすぎません。 

 生産調整を推し進め、日本経済を牽引する新しい経済構造や産業の創出を市場に委ねることが肝要であり、その間の労働力の供給過剰となる問題、つまり失業問題は、公務員を中心とするワークシェアリングで吸収する。このワークシェアリングによって、日本経済の消費を下支えし、デフレの進行を緩やかにし、きたるべき上昇のときを待つ。 

 みなし公務員は、約2千万人ぐらいではないでしょうか。それと公共事業で生活する国民を入れても、約3千万人くらいではないでしょう。公務員のワークシェアリングを口にすれば、有権者の3割を敵にまわすことになります。これは、組織票であり極めて脅威でありますが、残りの7割の有権者は、きわめて厳しい環境にあり、無党派層はこれからの政局に大きな影響を及ぼすでしょう。 

 公務員のワークシェアリングを口にだせるかどうかは、日本再生の分岐点となるのではないでしょうか。 

14 「公需」と「民需」という両翼のエンジン

 民主党の大塚耕平氏のメールマガジンで、竹森俊平という人が書いた「経済論戦は甦る」という本を取上げて経済問題を論していました。。

 要約すると、マクロ経済政策の経済を、ジャンボジェット機に例えて、この飛行機は、財政と金融という両翼のエンジンで飛んでいるとしています。そして、ケインジアンは、財政というエンジンを担当し、マネタリストは、金融をいうエンジンを担当するパイロットだというのです。

 そして、わが日本号は、財政というエンジンは、利権という穴で燃料(国税)が漏れていて、それを補う金融のエンジンも出力はいっぱいで、飛行機は下降しているというのです。この状況に大塚氏は、飛行機と機長以下のスタッフを入れ替えることを提案しています。つまり、修理しながらの飛行は無理としていて、詰まるところ、政権交代を主張しています。

 しかし、これは、従来の需要創出を基本とする経済政策の話であることに注意しなければなりません。デフレの原因が、「貨幣や信用供給の収縮によって、貨幣供給量が流通に必要な量を下回ることから生ずる物価下落」であるのならば、需要創出政策でもいいでしょうが、「供給が需要を上回るためにおきる物価下落」がデフレの原因であるとしたら、まず、するべきは生産力調整となります。

 つまり、日本経済をジャンボジェット機に例えるのはいいのですが、両翼のエンジンを、財政と金融とで分けてしまえば、供給過多による物価下落であるデフレは説明できません。(もっもと彼等に、供給過多によるデフレという概念がなければそれまでですが・・)

 そうではなく、経済をジャンボジェット機に例えるのならば、両翼のエンジンは、「公需」と「民需」とするべきではないでしょうか。そして、このエンジンをコントロールする油圧系統に、「財政」と「金融」があると考えるべきではないでしょう。そして、「公需」と「民需」それぞれのエンジンを動かすのが国民の経済活動であり、その乗客は、働いている本人はもとより家族です。このエンジンのバランスを調整するのが政治でありましょう。

 この経済という航空機は右エンジンの「公需」の出力を上げれば左旋回し、統制経済が強く社会主義的となりますが、利権が制御が暴走して、経済の活力とモラルは低下して、エンジンは不完全燃焼を起します。一方、左エンジンの「民需」の出力をあげれば、社会は右旋回して、富の分配機能が停止して、社会資本への投資やサービスが低下し、富の格差は階級社会を生みだし、社会秩序は不安定となるでしょう。そして、社会秩序を保つために民主主義は抑圧されます。

 日本では、この航空機のコックピットが永田町であり、パイロットは国会議員です。彼等の役目は、この航空機の安定した飛行であり、急旋回したり、片肺飛行での不安定な飛行は、客室の国民を不安にさせます。要はバランスであり、パイロットはこの航空機の水平飛行を保つべきであり、安定した離発着に心がけなければなりません。

 しかし、戦後の高度成長期では、両翼のエンジンの数は、プロペラからジェットエンジンにかわり、高度とスピードは上がり、なおかつ、安定した飛行を続けてきましたが、バブル崩壊以降、右エンジンの「民需]]の経済は、故障しがちとなり、左エンジンの「公需」の出力を引き上げ続けてきました。しかし、高度は落ちて、スピードも出なくなりました。

 原因は、、左エンジンの「公需」への過大な燃料供給は、燃料漏れを起こして、不完全燃焼が常態化し、エンジン出力は下がりつづけています。そして、一方の右エンジンの「民需」は、活力やモラルという潤滑油がなくなり、エンジンは焼きついているのです。

 いまは、一度空港におりて、オーバーホールをするべきであり、この修理が改革と言われています。しかし、小手先の修繕で、右エンジンに燃料を再注入して飛びたてとか、規制という錆びを取り除かず、新しい潤滑油を注ぐだけで、飛び立とうとすれば、この航空機は、左旋回するばかりで、デフレスパイラルの陥り、墜落するだけです。

 このオーバーホールの修理と応急修理とでは決定的に違うものであり、いまは、オーバーホールするべきでありましょう。左エンジンの「公需」では、燃料漏れであり、不完全燃焼の問題です。過剰な燃料の供給を止めて、燃焼効率をあげることです。そのためには、財政出動を抑えて、特殊法人シンジケートの解体が必要不可欠です。

 そして、右エンジンの「民需」では、規制という錆びを取り払うことが先決であり、それをしなければ、どんなに、新しい潤滑油を注しても、すぐに汚れてエンジンはまた焼きつくでしょう。