談合を否定するのではなく肯定しよう |
- 日時: 2004/03/22 15:10
- 名前: hashimoto
- 1 「民需」と「公需」の違い
高度に発達した資本主義と民主主義の国では、国税を資本とする「公需」と、企業の資本による経済活動の「民需」が、その国の経済の両輪となります。
「公需」は、社会資本の充実と、富の分配機能の経済であり、民需」は、利潤をもとめる経済活動です。そして、統制経済である「公需」にたいして、「民需」は自由経済です。
前者の「公需」では、行政サービスの側面と、税を投資することで、社会資本を整備する公共事業があります。公共事業は、社会資本の充実とともに、税の分配機能というものを忘れてはいけません。
「民需」では利潤を追求しますが、「公需」では、社会資本の充実と税の分配機能が優先されます。この意味で、公共事業に競争主義やコスト主義を持ち込むのはナンセンスといえます。従って、談合を悪とするのは間違っているのです。
2 税の分配機能としての公共事業
そもそも談合は、仕事を公平に分配するのが目的であり、税の分配という面から考えれば、合理的な考えでもあるのです。反面、政官業の癒着で、公共事業を食い物にするような談合は、一般市民レベルで容認できるものではありません。しかし、談合を悪と決め付けて、いわゆる入札形式を強化すれば、入札額が下がり、そのしわ寄せは、下請業者に押し付けられます。つまり、税の分配機能が歪んでくるのです。
市民の立場から考えれば、談合で、中間搾取をする政官業の利権構造の存在が許せないのであり、談合での中間搾取の構造をなくして、適正な価格で社会資本が整備されればいいのです。むしろ、地域経済の活性化のためには、仕事の持ち回りを否定してはなりません。
私は、かねてより、談合を否定するよりも、肯定することが肝要であると提言しています。国民にとっては、公共事業で不当な利益を業者側が受けなければいいのであり、下請け業者に対して、適正な価格で仕事が回れば、地域経済の経済効果も出てきて社会に利益が還元されるという考えです。
3 適正価格と監察制度
問題は、この適正価格なのですが、民需では、競争主義によって適正価格が求められていますが、これを「公需」持ち込むと、談合は独占禁止法違反となります。しかし、よく考えれば、国や自治体の事業は独占事業体であり、その存在自体が独占禁止法違反なのであり、「公需」に独占禁止法を持ち込むのは間違っています。
そうではなく、この適正価格に関しては、「公需」における適正価格は求めるものではなく、作っていくものではないでしょうか。それには、公共事業では、税がどのように使われたのか行政や国民が監視することが重要となるでしょう。投資された税金の流れを、請負業者が、主権者である国民に開示することで、税金の使途の責任を行政と国民が共有することで、適正価格が求められるという考えです。
公共事業において、公平に税の分配をする責任は、企業にあるのではなく、発注する行政や国民にその責任はあるのです。その責任をはたす制度が必要なのであり、いわゆる監察制度を充実させるべきでしょう。談合を規制するなどの、規制が必要なのではありません。
4 公共事業の単体での企業会計の導入と情報公開
具体的には、公共事業の単体での企業会計を導入し、発注物件ごとに、決算の作成と公開を義務付けるのです。見積り内容にそった下請けへの発注がされているかどうか、適正な資材の購入がなされているかどうか。企業利益はいくらだったか、公共事業の単体での決算書を主権者である国民に情報公開するのです。
また、見積にしても、役所が予算を設定するのではなく、入札で見積を有償で依頼した上で、ベースとなる予算を組むようにします。そして、発注段階では、実勢経済にあった見積もりで入札をさせるようにします。そうすれば、予算の段階で適正な予算が組めるし、入札額も適正な額が求められるでしょう。
ポルノ規制にしても、下手に隠すからやましい気持ちになるのであり、オープンにしたほうが、性教育にはプラスになることもあるでしょう。談合も同じで、下手に規制やらをするから、あの手この手で利権を生み出す結果となるのです。
そんな規制をするよりも、公共事業を単体の企業会計を導入し、それを情報公開することで、税の分配機能を監視することが必要です。そうすることで、利権となっている政官業の利権構造を排除することができるのではないでしょうか。
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