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「検察」と「警察」の職務を明確にすべし
日時: 2004/02/23 16:32
名前: hashimoto

1 放火保険金詐欺事件で無罪判決、繰り返される冤罪事件

 2000年3月に東京都杉並区の自宅に放火し、火災保険金をだまし取ったとして、現住建造物放火、詐欺の罪に問われた無職高野利幸被告の判決が23日、東京地裁であり、 大島隆明裁判長は「放火したという被告の自白は不自然で、建物の燃え方など客観的状況とも一致しない」と述べ、無罪を言い渡した。

 高野被告は2000年3月2日午後1時ごろ、同区下高井戸3で賃借していた店舗兼自宅に放火し、木造2階建て延べ97平方メートルを半焼させたうえ、漏電による出火と偽って、保険会社から火災保険金718万円をだまし取ったとして起訴された。 高野被告は警視庁高井戸署の任意の取り調べに、「2階の押し入れにあった灯油をまき、火をつけた」と自白したが、裁判では、一貫して犯行を否認してきた。

 消防署などの調査では1階が出火元と判定されたため、検察側は、2階への放火に加え、「1階にも手段不明の方法で放火」として起訴。公判でも1、2階の両方に出火元があったとする専門家の意見書を提出していた。

 これに対し、大島裁判長は、「実験結果などから、出火場所は1階だけだったと認められる」と指摘。灯油タンクが入っていた2階の押し入れについても、「鍵がかかっていた」と認定し無罪を言い渡した。

 火元の見解が真っ二つに割れること自体が不自然であるが、検察側の「1階にも手段不明の方法で放火」という起訴理由はあまりにも幼稚ではないだろうか。

 高野被告は2000年11月の逮捕以来、約3年3か月間にわたって拘置され、2002年10月までは家族との接見も認められなかった。

 これは、刑罰が確定していない段階で身柄を拘束する拘留に対して、保釈の請求があったときには、裁判所は法廷の除外事由が無い限りは保釈を許可しなければいけないのに、「否認している」ことのみをもって保釈を許可しないというのが裁判所と警察の間で慣例化しているという、恐ろしい暴力の現実があるのだ。

 日本の冤罪は、組織ぐるみの犯罪であり、それは、警察と検察の幼稚な論理展開と、それがもたらす人権侵害の責任を回避する行動が、冤罪を生み出しているのだ。

2 検察と警察の職務の違いを明確にするべし

 そもそも、「社会・公共の秩序を維持しその障害を除去するため」の警察と、「犯罪を捜査し、公訴を提起して、裁判の執行を監督し、また公益の代表者として法律によって与えられた権限を行使する」検察がきちんと分離して機能していないと言うことは多くの人に指摘されている。

 刑事訴訟法では、犯罪捜査機関は「検察官及び検察官の指揮を受けた検察事務官」と「司法警察職員」とに分かれている。司法警察職員は、「一般司法警察職員」と「特別司法警察職員」とに分かれているが、犯罪などの捜査は「一般司法警察職員」である警察官が担当していて、検察は警察の捜査を受けて、公訴の提起と公判の維持をしているのである。

 しかし、本来検察とは「犯罪を捜査し、公訴を提起して、裁判の執行を監督し、また公益の代表者として法律によって与えられた権限を行使する」ことを職務であるのに、日本では、「警察の捜査を受けて、公訴の提起と公判の維持する」ことにすりかわっている。

 現在日本の検察が本来の職務を遂行しているのは、脱税や汚職などの事件であり、検察の捜査権は、警察との裾分ができていて、その関係はズブズブの関係である。

3 基本に立ち返ることが重要だ

 私が思うには、一般の犯罪に関しては、治安を担当する警察の告発を受けて、検察が捜査権を行使するべきであり、その捜査に警察が協力するというのが本来の姿であろう。また、名誉毀損や保険金詐欺などの犯罪は、企業や市民の告訴を受けて、検察が捜査権を行使するものである。

 こうすれば、「犯罪を捜査し、公訴を提起して、裁判の執行を監督し、また公益の代表者として法律によって与えられた権限を行使する」という検察官の本来の職務になるわけである。

 このような制度の違いは、大日本帝国憲法下の旧刑事訴訟法では、検察は捜査の主宰者としての地位が剥奪されていたことを、戦後も引き継いでいるからであると思われる。

しかし、主権が国民になった以上、検察から捜査権を剥奪するのは、非論理的であり、警察が捜査の主体となるのも、権力の分立から考えて民主主義に反するのは明らかだ。検察と警察を分離して、刑事裁判の主体を、主権者である国民とすることが必要ではないだろうか。