国会の空洞化は、法案ありきの議論が原因 |
- 日時: 2002/12/12
- 名前: hashimoto
- @ 「法」と「制度」
「法により国家権力が行使される国家」と定義される法治国家の中で、立法機関である国会は、国権の最高機関とされています。しかし、国会議員の憲法51条の「議員の発言・表決の無責任」は、党議拘束でその自由と権利が奪われ、国会は、本来行政側である霞ヶ関の官僚に牛耳られていて、国家議員にとって、国会は権力をめぐる駆け引きの場でしかなくなっています。
私は、党議拘束は憲法違反であるとし、国会議員は、有権者の声を受け、一人一人の判断と論理で、国会の発言と表決に参加するべきだと主張しています。しかし、そのまえに、法治国家として、「法」と「制度」の相関関係の定義を明確にするべきかもしれません。
「法」とは、行動や判断の基準です。日本国憲法には欠如していますが、本来、基本的人権である自由と、他人の人権を阻害したり否定してはいけないという責任。そして、国家が国民に与える権利と、その権利を行使する国民が国家に提供する義務。この「自由と責任」「権利と義務」の関係を成立させるのが、国家最高の法規範である憲法といえると考えます。
日本では、憲法を上位法として、法律を下位法と位置付けしていますが、この場合の法律とは、国家・社会・団体を運営していく上で、制定される法や規則である「制度」といいかえることができます。国家と国民の行動の基本となる法規範である憲法と、国家・社会・団体を運営していく上で、制定される法や規則である「制度」の違いを、上位法と下位法というように法という言葉でひと括りにするのではなく、上位法の憲法、下位法の「制度」と分けるべきではないでしょうか。
A 機能不全の国会の現状
この違いを明確にしないから、立法機関である国会の議論は成立しないのです。国民の権益を政治に反映するために送り出された国会議員が、国会ではイデオロギーの議論に終始して、権益の主張は、国会外の政党内で議論をしているというのが日本の政治の現状ではないでしょうか。制度を議論するときは、イデオロギーは関係なく、権益のぶつかりでいいのです。それには、どの層の権益を代表しているかというスタンスが重要となります。
しかし、いまの小泉政権に対峙するのは与党内野党である自民党の抵抗勢力であるという構図と、支持率が5%前後の野党第一党の民主党は、政権交代を叫ぶばかりで、均衡財論者も積極財政論者であるケイジアンは、与野党内に混在しています。彼らは、永田町の論理で動いているのであり、国民の声である権益はその眼中にはありません。
政治はどの層の国民の権益を主張するかというスタンスが必要であり、それを実現するためにイデオロギーが必要となります。東京大学出身者の哲学の底流にある「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」という「一般人民は、選ばれた者によって行うべき道を与えられるが、何故それを行うのかということは知らせても意味がない」という教えは、どの国民の権益を代表するかというスタンスを庶民に問わなくてもいいと言っているわけではありません。そうではなくて、そのスタンスを理解してもらい、それを実現するイデオロギーは、(エリートに)一任しろというものではないでしょうか。
B 三権分立をその基本概念から見直そう
国会は憲法や制度という法を審査・監視するとことであり、法律を作るところではありません。新しい制度や現行制度の問題点を議論する場であり、憲法の改正の是非は当然です。従って、国会は立法機関ではなく、上位法である憲法と、下位法である制度を、審査・監視して、改善したり修正する機関とするべきでしょう。
そこで議論されるのは、違憲行為の監視とか、現行憲法の問題点や改善点を議論するべきであり、問題点と方向性の議論が集約したならば、それを、事務方に法案化させればいいのです。そして、下位法である制度に関しては、まず問題提議がまずありきで、現行制度の問題点や改善の提案の是非を議論するべきで、法案の提出が先にありきではいけません。法案の提出が先にありきになるから、事務的処理が先行してしまい、結論ありきの議論となってしまうのです。
そして、具現化した法律を審議・審査するのが司法です。司法は、国会で作られた論理と、事務方の作成する法律との整合性を審査・審議して、その正当性を判断します。司法が、この法案に異議がある時に行使するのが「違憲審査制度」となります。
法案を作成するものが権力を握るという政治では、行政、国会、司法と官僚が実効支配してしまうのは当然です。そうではなくて、国会は、憲法や制度にたいして、提案や改善点を指摘する場であり、それを具現化する法を審議、審査するのが司法の役割であるとするべきでしょう。そして、行政は、国会が定めた憲法や制度に枠組みで、外交や内政の行政権を行使するとするべきです。これならば、三権分立は成立します
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