個人献金と投票の義務化 |
- 日時: 2003/03/11
- 名前: hashimoto
- 今回の衆参補欠選挙は、政治と金の問題で、金を求める政治行動と、政治行動をするための金の使い方という問題が引き起こしました。政策秘書制度も、政治資金規正法も、ただ規制を強めても事態はかわらないのではないでしょう。それよりも、国会議員の報酬のあり方や、献金のあり方の根本的な概念が曖昧なのであり、議員報酬や献金の定義をきちんとしてから議論するべきではないでしょうか
私は、献金、そして議員報酬のあり方、そして国会議員と政党の関係にたいして、問題定義と結論を下記に記します。その上で、献金システムを提示したいと思います。それぞれの問題点にたいする批判や、結論にたいする批判を、個別にいただければと思います。 @ 企業の政治献金は合法か?
現行法で、企業献金は合法とされている理由は、政治資金改正法がその根拠だそうです。この中に、企業が献金できる最高限度額を規定していて、この条文の反対解釈で、企業献金は正当化されるのだそうです。
しかし、一方、企業とは「営利の目的で継続的・計画的に同種の経済行為を行う組織体」です。企業は、営利を目的としない行動は、株主や組合員への背信行為となります。つまり企業が政治献金をするならば、それが利益に結びつく政治行動がなければならないのです。しかし、企業を斡旋して報酬を受ける政治行動は民主主義では禁じられていています。 斡旋利得罪です。
また、「法人」の権利能力は、民法43条で、「社団法人は定款で、財団法人は寄附行為で定めた目的の範囲内において、権利を持ち義務を負う」としています。つまり、法人とは、自然人以外のもので法律によって権利能力を認められたものをいうのであり、「人」の持つ権利能力とは明確に区別されています。
つまり、仮、斡旋利得が合法としても、政治というものは、思想・信条が深く関わるものであり、「法人に政治に参加する権利」を認めたならば、法人には思想・信条の自由も持つことになります。これは、「国家の意思や政治のあり方を最終的に決定する権利」である主権が法人にも与えることになり、憲法前文の主権在民は否定されることになります。
A 議員報酬のあり方 市場経済においては、労働の価値は貨幣と等価交換されます。この原則に従えば、国会議員も労働の対価として報酬をもらえるわけです。市場経済では、自由競争が原則ですから、国会議員の報酬は、一律ではなく格差があってしかるべきでしょう。現行では、その格差は献金の額で決まっていますが、企業献金が市場経済で認められないとするならば、国からの議員報酬と個人献金で構成されるものとなります。 政策秘書制度などは、教育問題とおなじように「平等主義」の産物です。しかも、その制度が、実質的に秘書という既得権益を排出し、その権益は、永田町の年功序列と秘書という階級の固定化を招きました。加藤紘一氏を巡る疑惑の根本原因はここにあります。政策秘書制度が、議員報酬の平等化から生まれたものであるならば、この制度は、市場経済では否定されます。 これは、現行の議員報酬や政策秘書制度にたいする問題定義です。議員報酬に対して、戦後の平等主義を排除し、競争主義の導入こそが、政治と金の問題の解決策ではないでしょうか。
B 個人献金を義務化して議員報酬の原資とする
市場経済においては、労働の価値は貨幣と等価交換されます。この原則に従えば、国会議員も労働の対価として報酬をもらえるわけです。市場経済では、自由競争が原則ですから、国会議員の報酬は、一律ではなく格差があってしかるべきでしょう。
それでは、議員報酬をどのように決めるかですが、私は、法律で定めた個人献金の義務化を主張しています。国民の義務としての献金を、誰かしらの政治家に献金することを義務付けることで、現行の平等主義の議員報酬制度から脱却できます。
献金を受ける政治家は、議員にかかわらず登録制とします。当然、選挙に勝つ政治家は、それだけ、献金額が多くなるでしょう。そして、法律でその資金の使途を公開させることで献金した国民への説明責任をはたします。
支持率の高い政治家は、潤沢な政治資金をつかい、充実した政治スタッフを抱えることができるでしょうし、こうすることで、政党助成金や政策秘書制度などの、平等主義を否定することができると思います。
つまり、個人献金で得る議員報酬は、企業の売上金と同じで、そこから人件費やもろもろの諸経費を引いて、利益が議員の報酬にあたるとする企業会計を導入する。秘書制度はやめて、企画、営業、経理というような企業組織を導入する。故に、もろもろの議員手当てなどは不要となるということです。
C 政党はシンクタンクであるべき 現在の政党は、選挙のための組織であるのではないでしょうか。そして、それを支えるのが政党助成金でしょう。この選挙のための政党の姿は、国会議員の活動を制限し、国会内の発言や採決をも制限しています。この党議拘束は、国会内での議員の発言と採決の自由を制限するものであり、憲法違反の行為です。 そうではなく、政党はシンクタンクであるべきであり、国家議員の発言や採決の判断のバックグランドとなるべきでしょう。政党の思想や政策を国会に反映させるためには、国会議員のスタッフを政党から派遣することでリンクされます。国会議員とシンクタンクとしての政党のスタッフが同体であれば、政権交代のときに、行政スタッフの入れ替えが可能となります。 これは、霞ヶ関をシンクタンクとしていることに対する問題定義です。霞ヶ関をシンクタンクとしていて、本当に政権交代ができるのでしょうか。また、菅直人氏のように、政権交代時100名以上の国会議員を。内閣に送りこむことは、国会議員の官僚化を意味しないのかという問題定義です。 D 投票は義務とするべき 従来の組織型選挙は、企業献金や団体からの献金によって成立していました。しかし、組織による選挙を否定することはできません。組織による選挙応援は資金が必要となり、必ず献金の抜け道が生まれるでしょう。問題は、組織型選挙が、選挙の結果を支配する社会構造に問題があるといえます。組織型選挙の影響力を弱める方法は、投票率を上げるしか方法はありません。 では、どうすれば投票率を上げることができるでしょうか。選挙カーで投票を呼びかけるのでしょうか。ちらしを配布するのでしょうか。私は、投票を義務化して、投票を棄権する人にはペナルティーを科せばいいと思います。 選挙権は、基本的人権の参政権の一つです。選挙権が権利であるならば、投票は義務であります。国民は義務を怠ったときは、ペナルティーを受けるのが社会のルールです。つまり、投票を義務とし、投票を棄権する行為にたいしてペナルティーを科すことはなんら問題はありません。 投票を義務化すれば、投票率があがり、組織型選挙の影響は小さくなるはずです。議員報酬を個人献金でまかない、投票を義務化すれば、いわゆる政治と金の問題は一蹴されます。 E 個人献金による議員報酬制度の提案 @からBの結論として、議員報酬は、国会議員の政治にたいする成果で格差があるべきであり、その報酬をきめるのは、個人献金であるということ。そして、政党助成金や政策秘書制度は、議員報酬の平等化で成立する制度であり、競争主義の市場経済ではその論理は成立しない。ということです。 個人献金で得る議員報酬は、企業の売上金と同じで、そこから人件費やもろもろの諸経費を引いて、利益が議員の報酬にあたるとする企業会計を導入する。秘書制度はやめて、企画、営業、経理というような企業組織を導入する。故に、もろもろの議員手当てなどは不要となるということです。
T 議員報酬は競争主義で格差を是とすること U 議員報酬は個人献金で成立するということ V 議員活動に企業会計や組織形態を導入すること W 政党はシンクタンクとして存在し、スタッフの派遣で、議員とつながること X 投票を義務とし、投票を棄権した場合は、ペナルティーを科す F 個人献金システムのあり方 T 個人献金は税金で強制徴収し、国に登録した政治活動家にたいして、献金をした人には、証明書を発行する U 強制徴収する献金額は、実際の献金額にたいして上乗せして徴収する。 V 献金をした人は、証明書と引き換えに、献金額との差額を受け取る たとえば、献金額を一人あたり、年額1000円と設定したとして、税金として徴収するのは2000円とする。献金をした人には、証明書を発行し、それと引き換えに差額の1000円を返金する。献金しない人は、他の人に政治を委託するわけだから、差額の1000円は、国が管理し、政治関係の予算として計上する。 登録する政治家は自由ですが、かならず、企業と同じように決算書の提出を義務付ける。登録は、国会議員、県議会議員、市議会議員と区別する必要があり、また、国会議員の場合は、一票の格差の反対の現象が起きるでしょう。現実的には、個人献金額は固定なので、支持率と同じになり、分配方式となるでしょう。また、最低額も決める必要があります。事務的には、コンピューターの進歩とその能力を考えれば問題はないでしょう。 G 投票の義務と棄権に対するペナルティーのありかた。 これも、投票したときに証明書を発行し、その証明書がない場合は、規定の金額を納税額に上乗せするようにします。上乗せする納税額は、選挙費用にたいする献金とし計上します。投票を棄権するということは、他の国民に政治を委託するわけですから、委託する費用として金額を支払うということです。
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