刑事責任は誰に対して払うものなのか |
- 日時: 2004/12/01 13:56
- 名前: hashimoto
- 凶悪・重大犯罪に対する罰則強化や公訴時効期間の延長などを盛り込んだ改正刑法・刑事訴訟法と犯罪被害者の権利保護を目的とする犯罪被害者等基本法が、参議院で可決し成立したという。これにより、加害者への罰則強化と被害者支援の法整備が併せて進むという。
しかし、日本の刑法の根本的な問題点は、刑事責任というものが、国家に対する責任であり、主権者である国民=個人に対する責任ではないということだ。
犯罪者の刑事責任は誰に対して払うものなのか。これは、主権者に対して責任を払うのであり、戦前であれば、天皇に対して犯罪者は刑事責任を負った。従って、君主のために国民として社会に復帰することが責任を果たしたことになる。
しかし、主権が国民にある民主国家では、犯罪者は被害者である国民に対して責任を負わなければならない。そして、資本主義社会である以上、その責任とは、経済的な賠償で負うのであり、懲役などの社会的自由を奪うのは、この経済的な賠償を強制的に行わせるためと、治安維持のためであり、犯罪者の更生が第一義ではない。
戦後の日本は、責任という概念を捨ててしまい、いまの大人社会のように無責任・責任転嫁がまかり通る社会となった。刑事責任などもしかりで、主権者が天皇から国民に変わったのに、戦後の大人たちは、この違いを理解する能力が著しく劣っていた。これは、日本の歴史の不幸であり、社会主義と資本主義の違いも理解できずに、ただアメリカに盲従する日本を作り出したのである。
日本の刑事罰の考えが、主権者である国民に対する責任を問わず、国家に対する責任を求めているかぎり、犯罪被害者の権利保護など絶対にあり得ない。また、人権の行使を「自由」とし、他人の人権を侵害したときに刑事罰という「責任」を負うということを理解しないかぎり、何をしても無駄だ。
ちなみに、義務とは主権者=国家が国民に与えた社会的権利であり、国民はその行使にあたり国家に対する義務を払わなければならない。この「自由」と「責任」・「権利」と「義務」の相関関係を語る者は、日本の識者では皆無だ。
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