頓珍漢な日本の憲法論議 |
- 日時: 2004/11/18 12:30
- 名前: hashimoto
- 1 「自由」とは基本的人権の行使をいう
「自由」とは基本的人権の行使をいうのであり、同時に、他人の基本的人権を侵害した場合には、刑罰という「責任」を取らなければなりません。基本的人権とは、思想、言論、宗教、表現、生存を指し、この行使を「自由」といいます。この意味で「自由と責任」は対で成立する概念であるのです
これに対して「利益を主張し、これを享受することのできる資格」である「権利」は、国家が国民に与えるものです。つまり人としての人権は、生まれ持って備わっていますが、権利は、国家が国民に与えたものであり、この違いは重要です。
この権利には、教育を受けたり、選挙に参加したり、そして出版をするなどの行為等々を指します。そして、「権利」の行使には、国家が法律で人に課す「義務」を伴います。つまり、「義務」を果たすことで、「権利」の行使を認められるのであり、「権利と義務」は一体のものなのです
この意味で、自分の責任として果たさねばならない事柄である「責務」とは意味が異なります。責務とは、人と人との約束は「自由」であるという私的自治の原則に基づく約束の履行であり、国家と国民の関係を律する法律用語とはなりません。
2 憲法の定義
これを踏まえて、「国家の基本的事項を定め、他の法律や命令で変更することのできない、国家最高の法規範」の憲法とは、国家が国民に与える基本的人権を定め、国家と国民の関係を「権利と義務」で表したものであるといえます。
君主制における憲法は、君主と国民のとの関係ですが、主権が市民にある民主主義国家では、「権力」の抑制と均衡のシステムや間接民主主義のシステムもこの憲法に内包されます。問題は、この政治システムも重要なのですが、憲法の基本である、国家が国民に与える基本的人権を定め、国家と国民の関係を権利と義務で表す憲法の存在がないがしろにされていることです。
基本的人権は権利ではないしこれには義務は伴ないません。そうではなくて、基本的人権の行使を自由といい、国家が国民に与える資格を権利というのです。そして、自由には他人の基本的人権を侵害したとき刑罰という責任を負わされるものであり、国家と国民との間の約束である義務を果たさなければ、権利の行使はできませんこの「自由と責任」と「権利と義務」の相関関係を条文化したものが憲法の基本であり、これが明確でない憲法は、憲法とはいえません。
3 資本主義と相性がいい民主主義
基本的人権の制約が多い国は、民主主義の度合いが低く、権利ばかりが先行し義務の伴わない国家は、既得権益が暴走する社会主義的な国家です。社会主義経済の国は、経済を支配するものが国税の裁量権であり、この裁量権は既得権益となり義務は放棄されます。資本主義経済でも既得権益は生まれますが、民主主義はそれを是正するシステムなのです。そして、そのシステムは、憲法を中心とした法治国家が機能していることが条件となるでしょう。
民主主義は資本主義との相性が良く、その民主主義の度合いは、基本的人権や権利の度合いで判断ができますが、問題は、「自由と責任」「権利と義務」という相関関係の基本的な概念を取り違えていると、元も子もなくなるということです。
日本国憲法は、アメリカの占領政策である憲法9条に振り回されていますが、基本的な「自由と責任」「権利と義務」の理解がされず、憲法の権利と義務には相関関係は見受けられません。これが、霞ヶ関と永田町の無責任という既得権益を暴走させ国を疲弊させてきたのです。第三章の国民の権利と義務の部分に、するどくメスを入れなけれれば日本の再生はあり得ません。
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