法曹の質・量を図るものは試験制度ではない |
- 日時: 2004/10/09 11:47
- 名前: hashimoto
- 政府は、今年4月に開校した法科大学院の修了者を対象に06年度から実施される新司法試験の合格者数を新試験と現行試験各800人の計1600人と発表した。法科大学院1期生の合格率は34%となる。
法務省に設置されている司法試験委員会は、法曹の質・量の充実を図る狙いから司法試験合格者を2010年までに3000人に大幅増員することを前提としているが、問題は、法曹の質・量を図るものは試験制度ではなく、利用者である国民であるということだ。
社会主義に染まった宦官どもには理解できないだろうが、自由経済社会では、需要と供給の関係の中で、競争主義が、製品やサービスの品質が維持し、技術が発達していく。一部の既得権益者を保護する規制社会では、健全は競争主義は生まれず、サービスや技術力は後退するのだ。
法曹社会もしかりで、試験制度で、供給側の保護をしているかぎり、健全な競争主義が生まれず、現在のように、義務教育にも届かない論理力しか持ち合わせない法曹人ばかりとなる。
法曹の質・量を測るのは試験ではなく、法曹の現場での利用者の評価だ。そして、法曹権力に対峙する立法府の監視によって、法曹の質・量は維持されサービスが向上するのだ。つまり、合格者数などの供給側を規制しないで、供給側の淘汰は、利用者である国民に委ねるべきであろう。
しかも、刑事事件と民事事件や、特許や医療、労働や環境など、訴訟の対象が複雑になっている現代社会では、各分野での訴訟は、その分野の専門家が行うべきであり、試験制度の従来のゼネラリストではなく、スペシャリストを求める試験制度にするべきであろう。
法曹人に完全なる人格を求め、閻魔大王気取りの法曹人を作ってはならない。このような驕りが、あの中坊公平のような愚者を生むのであり、21世紀の日本社会において、中坊公平のような輩を二度と社会に出してはいけない。
規制を掛ければ、健全な競争主義は生まれないのであり、これは、経済でも法曹社会でも通用する基本原則だ。これを論じないで、政府の司法制度改革を漫然と受け入れてはならない。
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