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アメリカの軍産複合にぶら下がる日本経団連
日時: 2004/05/28 13:59
名前: hashimoto

@ 小泉政権の構造改革

 改革とは、基盤は維持しつつ、社会制度や機構・組織などをあらため変えることである。小泉内閣の「官」から「民」への構造改革は、霞ヶ関を頂点とするシンジケートに偏っている日本経済を、消費動向を追いかける民需主導の経済にシフトすることを意味している。

 問題は、社会基盤は維持しつつ、社会制度や機構・組織を改めるということである。つまり、日本型社会主義国の統制経済という経済基盤を維持することを前提としているのである。これを踏まえて、小泉内閣の構造改革をを考えると、「官から民へ」というのは、「無責任」と「利権」という既得権益を、「公益法人」から、大企業を中心とした「営利法人」に移し変えることをいう。

 つまり、規制緩和や既得権益の裁量権を、官僚から、「営利法人」である民間企業に移管しているだけであり、霞ヶ関を頂点とする利権構造を、日本経団連を頂点とする利権構造に代えているだけなのだ。

A 企業の政治献金は違法

 二年前に、経団連と財界労務部の日経連が統合して誕生した日本経団連は、企業献金を背景に、政治に関与する姿勢を明らかにした。経団連が政党の政策を評価し、これを参考に、企業や業界団体が政治献金をするというのだ。

 しかし、企業とは「営利の目的で継続的・計画的に同種の経済行為を行う組織体」だ。企業は、営利を目的としない行動は、株主や組合員への背信行為となる。つまり企業が政治献金をするならば、それが利益に結びつく政治行動がなければならない。しかし、企業を斡旋して報酬を受ける政治行動は民主主義では禁じられていている。 斡旋利得罪だ。

 また、「法人」の権利能力は、民法43条で、「社団法人は定款で、財団法人は寄附行為で定めた目的の範囲内において、権利を持ち義務を負う」としている。つまり、法人とは、自然人以外のもので法律によって権利能力を認められたものをいうのであり、「人」の持つ権利能力とは明確に区別されているのだ。

 つまり、仮、斡旋利得が合法としても、政治というものは、思想・信条が深く関わるものであり、「法人に政治に参加する権利」を認めたならば、法人には思想・信条の自由も持つことになる。これは、「国家の意思や政治のあり方を最終的に決定する権利」である主権が法人にも与えることになり、憲法前文の主権在民は否定されることになる。

 つまり企業の政治献金は、資本主義と民主主義の国家では成立せず、違法であるのだ。

B 国会議員のぶら下がり構造は変わらず

 今の永田町の権力闘争は、霞ヶ関を頂点とするシンジケートと、日本経団連を頂点とするシンジケートの争いであり、自民党も民主党も、共に党内でこの両派が対立している。つまり、従来、政策立案を含めて政治権力にいた霞ヶ関に国会議員がぶら下がっていた構図が、日本経団連の傘下の民間シンクタンクに、国会議員がぶら下がるという構図が、小泉内閣の構造改革である。

 民主党などは、このぶら下がりの枠に入れないから、政策立案能力をPRしているが、万が一、政権についたときは、民間シンクタンクが政策立案した政策を後押しするだけの与党となるだけである。

 与野党ともに、国民を連呼するが、彼らの呼びかけは、どちらかのシンジケートに属する国民であり、派遣社員や自営業者などのいわゆる無党派層の国民は、彼らの眼中にはない。

 権力にぶら下がる国会議員が、国会で茶番劇を繰り返しているような、天下泰平の世の中ではない。彼らは、議会制民主主義を何だと思っているのだろうか。

C 軍産複合がファッシズムを呼び込む

 戦前の日本もそうだったが、いまのアメリカのように軍産複合が、自国の権益や文化を押し付ける、ファッシズムを呼び込むのである。自由と責任とは対であるのに、他国の主権を侵害するアメリカが、イラク人に自由を与えたなど、こんな稚拙な詭弁は聞いたことがない。民主主義しかり、主権をイラク国民に与えても、アメリカが、イラクの石油利権を軍事力で支配していて、イラク国民に主権があると思うのだろうか。

 霞ヶ関の官僚が政治の実権を握る社会は、旧ソビエト連邦のような社会主義であり、社会は階級化し、民主主義は抑圧され、経済活力が減退し、社会モラルの崩壊は、管理強化という恐怖政治が始まる。また、軍産複合企業が政治の実権を握る社会では、他国の主権を侵害し、文化、経済の領域を広げる帝国主義を進め、内政的には、全体主義が進む。

 この全体主義は、カリスマ的な専制君主を中心に構築するものと、仮想敵国を作り、国民の怒りと視線をマインドコントロールするものがあり、これらを、複合的に使い分けることで、全体主義的・排外的政治理念であるファッシズムが生まれる。

D ネオコンを真似る日本経団連の奥田碩

 いまのアメリカは、メディアによるマインドコントロールで、ファッシズム化した世論形成が、ブッシュの石油利権のための戦争を支持している。戦前の日本といまのアメリカの違いは、自浄作用がいまのアメリカにはあることであり、インターネットは、メディアによるマインドコントロールの防波堤になっている。

 いまの小泉政権の経済政策は、竹中平蔵のアメリカの後追い論であり、「官から民へ」をスローガンに、「無責任」と「利権」という既得権益を、「公益法人」から、大企業を中心とした「営利法人」に移し変えている構造改革は、軍産複合のアメリカにぶら下がる日本経団連を生み出した。そして、その奥田碩は、戦後のGHQの家畜教育の傑作であるのだ。

 法人の権利能力も知らないで企業献金を主張する、奥田碩を首相官邸に出入りさせるなど、ドロボウに留守番をさせるようなものではないか。アメリカの後追いをすることが、知識人とする風潮は、奥田碩に、ネオコンと日本経団連をダブらせてしまった。馬鹿の思い込みほど厄介なものはない。権力を握ったかのように、ふんぞり返って座っている奥田碩の椅子を蹴飛ばすものはいないのか。

 日本をアメリカのようにしてはならないし、アメリカのように、メディアのマインドコントロールに対して、インターネットで見せる、反ブュシュ、反ファッシズムの声が、アメリカの民主主義の底力であることを、日本国民は理解することが重要だ。アメリカの民主主義は、日本よりも進歩しているのは確かだ。