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竹中平蔵の、あまりにもお粗末な経済講義
日時: 2003/05/16 10:13
名前: hashimoto

3月30日、竹中平蔵を招いた新時代政策研究会のデフレ対策勉強会が、奈良市で開かれた。県内の行政関係者、経済団体代表者ら約500人が参加。国の経済政策の方向を聴くとともに、地域の課題を竹中大臣に説明し意見を交換した。この中で、竹中大臣は、日本経済のデフレ状況について「デフレは給与の低下を招き、企業が抱える負債の実質的な増大につながる」と説明したという。

 竹中平蔵の「物価の下落は、消費者側である国民にとっていいことではなく、給与の低下を招く」という意見であるが、経済活動における生産性の向上による製品単価の下げを否定し、実質賃金を考えない竹中の意見は、とても経済学者とは思えない。まず、デフレに対する経済状況の現状把握を議論せず、各論をしても、問題の解決にはならないことに気が付く知識人が誰もいないのは、悲劇なのか喜劇なのか。

 まず、デフレには、下記の二つの原因がある

@ 貨幣および信用供給の収縮によっておきる物価の下落
A 供給が需要を上回ることでおきる物価の下落

 @における物価の下落は、物よりも貨幣の価値が高くなるために、在庫を一掃して貨幣を求めるなどの経済行動が起きる。そして、生産量の低下と労働市場を収縮が相互作用しながら下降していくことがデフレである。このような経済状況では、給与の低下は、実質賃金で考えるべきであろう。経済が上向けば、労働力の需要が増し、賃金水準は回復するのであり、物価と賃金水準が連動することは少しもおかしくはない。

 問題は、失業者の増大などで、消費の収縮がおき社会不安が増大することだ。この意味では、デフレ対策としては、消費を下支えすることが重要だ。具体的には、雇用を生み出すための財政出動や、ワークシュエアリングとなる。前者の場合、投資する事業がない場合、一番効果的なのは、戦争という消費行動であることを忘れてはいけない。重要なのは、雇用数の確保であり、賃金の確保では決してないということだ。わかるか竹中さん。

 次に、Aにおける需要と供給の関係では、ベルリンの壁の崩壊以降の資本主義全体の供給能力の向上に注目するべきだ。カジノ資本主義で膨張した通貨供給量は、無限の消費を約束したかのように錯覚させ、世界の工業生産量を飛躍的に高めたが、エンロンの崩壊などで、そのカジノ資本主義がほころびかけている。

 この状況で、中国のSARS問題は、その供給能力を直撃し、急激な供給力の低下は、経済活動が停滞しているにもかかわらず、インフレが進む現象となり、スタグフレーションという最悪の状況になりかねない。

 日本では、バブル崩壊で、@の貨幣および信用供給の収縮がおきたが、財政出動などの需要創出策でデフレを防いでいたが、98年以降は、産業の空洞化で、需要の伸びが鈍化する中、輸入などで供給が増え、物価の下落がはじまった。需要サイドの政策も、いまのプライマリーバランスの状況では、財政出動を許す状況ではない。

 このように、過去10数年の経済を検証し、経済状況とデフレの根本原因を議論するべきなのに、この議論をせずに、各論でつばぜりあいをしているから、井戸端会議のような経済論争が続くのだ。

 問題の解決は、現状把握と、問題の根本原因を突き止めることが最重要なのだ。与えられた教科書を丸暗記させた日本の教育は、答えをもってくるのは得意だが、問題の原因をつきとめる意味もやり方も知らない。

 竹中平蔵をはじめ、いまの日本の知識人たちは、戦後の愚民化教育の結晶であり、彼等に、論理や哲学はない。論理と哲学なくして、問題の原因を突き止める作業をのぞむことは100%できず、日本再生は絶望的だ。

 まず、いまするべきは、雇用の確保であり、アメリカのように戦争という市場で吸収するか、さもなくば、ワークシュエアリングで雇用を確保し、消費の下支えをするべきだ。日本の場合は、公務員の給与を70%減らし、その分を新規雇用にまわせば、130万人の雇用が確保できる。

 そして、企業再生ではなくて、起業の促進をもとめるべきなのだ。企業の再生では経済の活力とモラルはうまれない。いまの日本経済に必要なのは、経済の活力とモラルだ。そして、資本の調達手段である金融システムを再構築し、規制を取り払い、自由経済の中に、次の日本経済を牽引する企業や産業に期待するべきだ。

 ワークシェアリングによる雇用の確保による消費の下支えをし、既得権益を排除し、自由経済の中に、日本経済を牽引する企業や産業に期待する。そのためには、裸の王様が裸であることを堂々といえるように、日本が、利権社会主義であることを国民は理解し、政治は、社会主義か資本主義かの二者択一の選択を国民に求めるべきである。