【2003年1月】

1月31日(金)  トヨタの犯罪を無視する労働組合とメディア
>トヨタ自動車労働組合は29日、今春闘のベースアップ要求を見送り、年間1人平均6万円を暫定的に求める要求案を職場に提示。年間一時金は、昨年実績(約220万円)を上回る過去最高の「基準内賃金の5か月プラス55万円(約236万円)」を要求する。(毎日新聞)

 トヨタ自動車といえば、予算委員会で、奴隷社会のような長時間、サービス残業が問題提議された、日本のトップ企業です。

 この問題に取り組んでいる共産党の機関紙赤旗の昨年1月の記事では、「(共産党の活動で、)裁量手当が四万円上がった」という証言とともに、「毎月、八十時間前後の残業はしているのに裁量手当の約十五時間分の四万四千円しか支払われていません」とその実態を訴えています。

 この現状を考えれば、トヨタ自動車労働組合は、一時金で16万円の上積みを要求するよりも、不払いの残業手当てを要求したほうが、獲得する額は多いいのではないでしょうか。また、残業をなくせば、3割増しの雇用の場となりデフレ経済で苦しむ失業者の受け皿となり、また、いま、働いている方も、奴隷的な生活から解放されるでしょう。

 もっとも、中にはお金を稼ぎたいという人もいるでしょう。しかし、残業を際限なく認めるということは、サッカーの試合で、45分のハーフタイムを過ぎても、ゴールを認めているようなもので、アンフェアーな社会となります。

 トヨタ自動車の長時間労働、サービス残業の問題を取上げずに、一時金のアップを要求する組合側は、企業側の権益と連動しています。また、広告宣伝の大スポンサーであるトヨタ自動車の犯罪を報道しない日本のメディアの報道の姿勢はなんと無様でありましょうか。共産党の予算委員会の質疑以降、全トヨタ自動車労働組合のHPは閉鎖されています。彼等が、労働者の側の人間か、企業側の人間かということは、誰の目にも明らかです。

 既得権益側の報道しなしないメディアに、既得権益側の労働組合、そして、このような奴隷社会の企業のトップの奥田碩が、日本経団連の会長や、政府の諮問会議のメンバーなどになっているなど、日本社会は北朝鮮を批判できなくらい病んでいます。消費税を上げろとか企業献金を開始するとか、政治家気取りでいる奥田碩は、行政に踏み込んだあの鈴木宗男と同じです。

 また、トヨタ自動車は、労働生産性をあげるリストラクチュアリングに励んでいたのではなく、労働強化によって労働生産性を上げていたのであり、日本企業の信用を失墜する行為であり、サービス残業など、犯罪でしかありません。

 企業家としても失格であり、犯罪者である奥田碩を、内閣などに出入りさせていていいのでしょうか。共産党は、この奥田碩を証人喚問し、グループ企業のサービス残業と長時間労働の実態を明らかにして、組織犯罪の疑いがあれば告訴しなければなりません。また、この問題は、日本のリストラクチュアリングの実態も明らかにするものであり、日本経済の現状を知ることが重要であり、それが、経済再生の第一歩ではないでしょうか。

1月30日(木)  野中広務、おまえ馬鹿じゃないの?
 自民党の麻生太郎が、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設に批判的な発言をしたことに対し、野中広務が抗議の意味を込めて、党沖縄振興委員長の辞表を提出したという。

 移設に反対の麻生太郎は、こう着状態となっている普天間飛行場代替施設の使用期限を15年に制限する問題に関し、「15年かそこらでやめるものに、6000億円も7000億円も(建設費を)突っ込むのは世間では通らない」と語り、「時代が変わっており、なるべく効率がいいようにする努力は大事だ」と意見した。これに対して、自民党沖縄振興委員長である野中広務は、「「(普天間飛行場移設は)歴代の内閣が取り組んできた。国と国で決めたことなのに」として、麻生氏の発言に激怒し、委員長を辞任するという。

 しかし、民主主義の日本で、従来の政策に反対する意見がでたからといって、議論もせずに抗議するばかりで、挙句の果てには委員長を辞めるなどというのは、あまりにも子供じみてはいないだろうか。野中広務ら自民党の利権社会主義者は、法律で決めたこと事業や政策を既得権益として主張していて、高速道路でもダムでも、財政が破綻しようが、環境が破壊されようが、そんなことはおかまいなしで、決めたことを既得権益として主張するなどは、社会主義経済の計画経済と同じではないか。

 政策というものは、時代とともに変わるべきであり、麻生氏の問題提議を、自民党内で議論すればいいのだ。それを、議論もせずに意見を排除するなど何を考えているのだ。しかも派閥単位で、反対意見を封じ込めるようなやり方は、まるで小学生のイジメと同じレベルではないか。いまの永田町の国会議員は、多数決は民主的ではないとか、総理大臣の国会の解散権を否定したり、民間大臣であることを批判するなどと、彼等は、民主主義をどのように考えているのだろうか。

 戦後、GHQに押し付けらた愚民化教育は、いまの60代から70代の国民で完成していて、アメリカはこの結果に満足している。だから、イラクにもこの愚民化教育を押し付けようとしているのだ。しかし、マッカーサーも、これほどまでに愚民化教育がうまくいくとは思っていなかっただろう。かれらは、この成功の原因が、憲法9条にあることを認識している。憲法を解釈するという行動に疑問を持たない日本人は、論理や哲学を持たない国民となった。そして、与えられた教科書どうりに動く日本人は、彼らにとって、いわゆる”家畜”なのだ。

 自民党の野中広務や古賀誠などは、この愚民化教育の最高傑作だ。社会主義者でありながら、共産主義を批判したり、民主主義の基本である権力の分立や多数決の原理を知らずして民主主義を語る。この有様を満足して見守るアメリカの高官の姿を思うと、日本人としてはくやしいばかりではないか。

 日本国民は、まず、野中広務や古賀誠などの、家畜のような言動と行動を直視して、いままで与えられてきた物や考えを自分自身で見つめ直すべきだろう。そして、それを補助してくれるのがインターネットであり、国語辞典を片手に、論理や哲学を組み立ててみよう。

 そして、論理の整合性のないものをデタラメであることを理解し、そのデタラメを言う国会議員に、「おまえ馬鹿じゃないの」といえるようにならなければならない。日本の再生はそこから始まる。

1月29日(水)  神奈川県知事選挙での松沢氏待望論
 河野太郎氏のメルマガで、おもしろい意見がありました。

 一つは、政令指定都市の横浜は、財政的にも県から半ば独立していて、県庁所在地を横浜から帰るべきだという意見です。松沢氏が、神奈川県知事で、中田氏が横浜市市長という二大看板で、中央政府に対峙するという政治は、インパクトがあると思います。

 二つ目は、「議員からの陳情は全て文書で受け、文書で返答し、全てそれを公開すべき。」とし、「議会事務局も県庁とは独立した自前のスタッフで固めるべきだ。」と言う点です。

 昨日も、民主党の議員も予算質疑の中で、民間大臣へのパッシングをしていることに関して、「内閣の独立性を何と考えるのか」と問題提議しましたが、知事は議会から独立するのは当然であり、自前の政策スタッフを持つべきという意見は示唆に富むものです。

 小泉首相の失言で政局が動きそうですが、支持率の低下で小泉氏が失脚するとすれば、9月の総裁選挙後で、解散はないでしょう。また、仮に、解散総選挙があったとしても、菅直人民主党は、官僚政治は否定しないのではないでしょうか。なぜなら、菅直人は、自分ならば官僚をコントロールできるとしているからです。官僚の入れ替えがあっても、行政と国会の独立と均衡を求めないのならば、第二の自民党にすぎません。

 松沢氏が、霞ヶ関の官僚社会主義を否定するのならば、その突破口は、自身が言われているように、地方行政からの中央政府の突き崩すしかないないのではないでしょうか

 松沢氏が知事選挙に立候補するならば、”県庁移転”は、県民の顔を向けさせるインパクトがあるでしょう。中田市長の人気を利用すれば、横浜市という大票田も確保でき、県央地区の票田も必ず動きます。

 従来の選挙のプロは、無党派層のことを考えませんが、インパクトがあれば県民は国民に顔を向けますし、政治家はそのような姿勢で政治に臨むべきではないでしょうか。

 神奈川県の知事選挙に立候補してください。

1月28日(火)  駐米大使が、政府にイラク攻撃支持を意見?
>加藤良三駐米大使は27日午前、ニューヨーク市内で開かれた日本企業対象のセミナーの講演で、米国が対イラク武力行使に踏み切った場合の日本の対応について、「仮に武力攻撃が発生した場合は、日本はまず基本的立場を表明すべきだ」と述べ、「北朝鮮は核保有そのものを目的にしているとの見方が強く、米国の抑止力が必要だ。米国が行動をとる場合に国連安保理を通る保証はない。日本の(核やミサイルに対する)緊迫感が米国以外の国に共有してもらえるかどうか楽観できないので、日本にとって米国との関係は命綱だ」と速やかに米国支持の意思表示をすべきだとの考えを明らかにした。 (読売新聞)

 小泉政権は、アメリカの国際協調の姿勢とイラク側の国連決議に基づく査察の協力を支持するとして、アメリカのイラク攻撃には明確な姿勢を示さないことが、国益であると国会内で意見をしている。

 それなのに、そのアメリカ国内で、日本の駐米大使が、日本政府の姿勢を説明するのではなく、イラク攻撃を支持して、政府に意思表明を要請するなど、加藤良三というのは何様のつもりなのだろうか。お前はアメリカ人か。

 日本のトップが、中立の立場でいるべきと判断しているのに、国外で、しかも、イラク攻撃をする側のアメリカで、日本政府にアメリカ支持を意見するなど、政府は許してはいけない。

 このような売国奴が生まれるのは、大使の任命権が天皇にあるからで、いますぐに、この任命権を内閣に移すべきだ。奴らを諸外国で、王様にように振舞わせてはいけない。

 小泉内閣は、加藤良三駐米大使を日本に帰国させ、首相官邸の前で一週間正座させた上で、加藤良三の駐米大使の役職を解任しろ。外務省は腐っている。

1月27日(月)  憲法を無視して民主主義を捻じ曲げるな!
 予算委員会の中で、民主党の末松義規議員は、「選挙民をもっていないから」とか「政治責任がないから」と民間大臣は責任がないからと、川口順子外務大臣の回答に文句をいったり、原口一博議員は、小泉首相にたいして、「民間大臣を選んだのを後悔しているのではないのか」と、民間大臣の竹中平蔵大臣を間接的に批判するなど、民間大臣のパッシングが目に付く。

 しかし彼等は、内閣の独立性をどのように考えているのだろうか。

 憲法第66条の2項では「内閣総理大臣及びその他の国務大臣は,文民でなければならない」とし、第68条の1項では「内閣総理大臣は,国務大臣を任命する。但し,その過半数は,国会議員の中から選ばなければならない。」と明記されていて、民間人の大臣の起用は憲法で認められている。

 これは、民主主義の基本は権力の分立であり、内閣は、国会と連帯責任を持つが、内閣は国会から独立していて、そのために、国務大臣は文民と明記されているのではないだろうか。内閣の独立性がなければ、国会などは茶番劇であり、それでは、官僚社会主義を肯定することになるではないか。

 これでは、民主党が政権をとったならば、内閣はすべて民主党所属議員で埋まり、内閣と国会の権力は同一化されてしまう。これは、霞ヶ関の権力を永田町に移し変えるだけであり、権力の分立は成立しない。

 多数決は民主的ではないとか、内閣の解散権を否定するなど、社会主義者の自民党の族議員の政治レベルは、戦後GHQの愚民教育の集大成であり、日本の恥部であるが、民主党の若手議員までもが、権力の分立を理解できず、憲法を無視した質疑を国会で平然とするなど、この日本の政治レベルはどうなっているのだ。

 憲法に異議を唱えるのもいいでしょう。しかし、憲法を無視して民主主義を捻じ曲げるな!

1月26日(日)  民主党・大塚耕平氏のメルマガに意見する
 民主党の大塚耕平氏のメールマガジンで、竹森俊平という人が書いた「経済論戦は甦る」という本を取上げて、経済問題を論じていた。

 要約すると、マクロ経済政策の経済を、ジャンボジェット機に例えて、この飛行機は、財政と金融という両翼のエンジンで飛んでいるとしています。そして、ケインジアンは、財政というエンジンを担当し、マネタリストは、金融をいうエンジンを担当するパイロットだというのです。

 そして、わが日本号は、財政というエンジンは、利権という穴で燃料(国税)が漏れていて、それを補う金融のエンジンも出力はいっぱで飛行機は下降しているというのです。この状況に大塚氏は、飛行機と機長以下のスタッフを入れ替えることを提案しています。つまり、修理しながらの飛行は無理としていて、詰まるところ、政権交代を主張しています。

 しかし、これは従来の需要創出を基本とする経済政策の話であることに注意しなければなりません。デフレの原因が、「貨幣や信用供給の収縮によって、貨幣供給量が流通に必要な量を下回ることから生ずる物価下落」であるのならば、需要創出政策でもいいでしょうが、「供給が需要を上回るためにおきる物価下落」がデフレの原因であるとしたら、まず、するべきは生産力調整となります。

 つまり、経済をジャンボジェット機に例えるのはいいのですが、両翼のエンジンを、財政と金融とで分けてしまえば、供給過多による物価下落であるデフレを説明できないのです。(もっもと彼等に、供給過多によるデフレという概念がなければそれまでですが・・)

 そうではなく、経済をジャンボジェット機に例えるのならば、両翼のエンジンは、「公需」と「民需」とするべきではないでしょうか。そして、このエンジンをコントロールする油圧系統に、「財政」と「金融」があると考えるのです。

 日本の経済学者が、テクニカルな議論に終始するのは、飛行機全体の構造を知らないで、操縦室からしか経済を考えていないからです。

 「公需」と「民需」それぞれのエンジンを動かすのが国民の経済活動であり、その乗客は、働いている本人はもとより家族です。このエンジンのバランスを調整するのが政治であり、いまの日本経済は、「公需」のエンジンは燃料漏れしていて、「民需」のエンジンは、規制で錆びついていて、活力とモラルという潤滑油が切れている状況でありましょう。

 いまは、一度、近くの空港に降りて修繕をするべきであり、あたらしい飛行機に乗り換えるなどというブッシュのようなならず者のようなことをするような軍事力は日本にはありません。

 飛行機の修理の間、機内食を国民で分けて(ワ−クシェアリング)耐乏生活に耐え、新しいエンジン(次世代の日本経済を牽引する産業や企業)を積んで、また大空に飛び立てる飛行機をつくる努力をするべきではないでしょうか。

 勉強するのもいいでしょう。しかし、大人たちは、現場から学ぶのであり学生とは違います。コックピットの操舵ばかり勉強していても、飛行機の構造を知らなければ、トラブルには対処できませんし、乗客に背を向けたいまの政治家には、問題の本質が見えないのでしょう。日本の政治家は、コックピットに中であれこれ考えているばかりで、エンジンの出力となる国民のスタンスを考えたり見たりすることができないのです

 教科書に頼らず、問題の根本原因を突き止める論理力と、問題を解決する能力が、いまの政治家に求められているのです。それには、経験で得られる知識の重要さが理解できるかどうかが、その能力を見極める分岐点となるでしょう。

1月25日(土)  イラク攻撃初日に巡航ミサイル300発計画
 世界から孤立するならず者のブッシュが、ミサイルの消費だけでも達成しようと、イラク攻撃を早める公算が大きくなってきた。

 メディアは、湾岸戦争では、もともとの命中精度を無視したミサイル攻撃を誤爆などという詭弁を使ったが、今度のイラク攻撃では、物理的ダメージよりも、心理的に壊滅的打撃を与えるとして、ミサイル攻撃を正当化しようとしている。しかし、花火を打ち上げるわけではあるまいし、どこに打ち込むというのだ。だいたい、それなら、トマホークから弾頭を外せ。

 世界は、ならず者のブッシュの戦争ビジネスを許してはいけない。ブッシュが、イラクにトマホークを打ち込むのならば、NATO軍は、アメリカの空母や艦隊にエグゾセを打ち込め。イーズス艦「きりしま」は、白旗をあげて、日本の補給部隊の盾となれ。ならず者に法や論理は効かない。

1月24日(金)  トヨタ自動車の過重労働の実態が意味する事
 1月23日の予算委員会で、共産党の山口富男氏の、長時間労働の問題提議は意味合いの深いものでした。

 それは、第一に、長時間労働の実態が、サービス残業で構成されていること。第二に、長時間労働が、大臣告知の残業協定で、法的に許されていること。第三に、この予算委員会で取上げている事例が、豊田労働基準局の資料に基づいていて、日本を代表するトヨタ自動車関連の企業城下町だからです。

 山口富男氏によると、豊田労働基準局調査では、この地域の年間労働時間数は、最大で、年3650時間、平均で、年2434時間だということです。これは、40年前の日本の平均労働時間と同じです。かつて高度成長時代は、供給側の生産力が需要に追いつかず、日本人は、働きすぎと世界から批判を浴びましたが、いまは、低賃金の海外の労働者に対抗するために、名目賃金を優先し、実質賃金をサービス残業で放棄しているのです。

 小泉首相は、政府は、年平均1800時間労働への取り組み姿勢として、「給料との兼ね合いもある」「労働者側が、給料は減るのは嫌だと言う問題もある」と答えましたが、この過重労働時間の実態が、サービス残業である現実は、労働者が、実質賃金を捨てて、名目賃金を取っていることを意味します。

 本来、残業のコストは割高であり、経営者側は、規定時間内で仕事が終わるようにするために、生産性の向上に取り組むのです。これでは、日本の生産性は、いつまでたっても改善されないではないですか。また、サービス残業などは、労働力のダンピングであり、しかも、長時間労働が、大臣告知で法的に容認されているということは、自由競争の経済圏では容認できるものではありません。

 しかも、この事例が、日本を代表する企業のトヨタ自動車であり、その会長の奥田碩は、日本経済団体連合会の会長であり、かつ、政府の経済財政諮問会議のメンバーでもあります。こんな企業の人間を政府内に入れていていいのでしょうか。ハンセン病や薬害エイズ、薬害ヤコブ病などで、旧日本軍の731部隊と同じ組織であった厚生省と、日本人を家畜か奴隷しか考えていない労働省が、合体した厚生労働省は、年金の横領をはじめ、その売国奴的な犯罪は目に余るものがあります。

 そして、その犯罪の一翼を担っているのが、連合などの労働組合であり、賃上げしか叫ばないその姿勢は、かつての総会屋と同じで、企業にしがみつくダニでしかありません。そして、そのダニに擦り寄る菅直人民主党の顔は、霞ヶ関と永田町を向いていて、国民の方には向いていないことを国民は注視しなければなりません。また、この予算質疑を取上げないメディアは、問題の本質を見抜けないのか、それとも広告掲載の顧客であるトヨタ自動車への遠慮があるのか知りませんが、メディアもまた、国民の方に顔を向けてはいません。

1月23日(木)  「レームダック」のブッシュと「ケイポン」アメリカの高官
 私は、アメリカのカジノ資本主義は、日本のバブル経済を基本に作られたという自説をもつが、最近のアメリカの高官の発言は、日本の官僚のように、論理の成立しない概念、つまりデタラメを公然というようになってきた。日本もそうだが、霞ヶ関の宦官官僚のように、デタラメなことを、さも正論のようにいう者を”馬鹿”というが、馬鹿を馬鹿といえない日本人を、アメリカ人は、日本の常識は世界の非常識と馬鹿にしていた。

 しかし、いまのアメリカの高官も、デタラメな論理を、公然と恥ずかしげもなく世界に言いふらすようになってきていて、アメリカの主張は、デタラメであり軽薄で、それを主張する、ブッシュはレームダック(歩行困難なアヒル)であり、アメリカの政府高官は、「ケイポン」(去勢された雄鶏)であるということは世界の常識になっている。

 ブッシュは16日に、「時間は尽きようとしている。ある時点で、米国の忍耐も限界に達する」と警告したそうだが、我慢の限界は、アメリカとイギリス、日本を除く、国際社会だ。だいたい、米国の忍耐が限界なのではなく、反戦のムードが膨らむ中、戦争のタイミングを失う、軍部と、軍事産業のロビィーストの利権への執着の我慢が限界なのだ。

 また、アーミテージ米国務副長官は21日、イラクの大量破壊兵器開発の証拠について「決定的な証拠がないという人がいるかもしれないが、あるのは証拠の煙ばかりだ」と述べイラク攻撃の正当性を主張している。しかし、判断の根拠となる証拠が「煙」となってしまえば証拠にならないではないか。大量破壊兵器開発があるかないかが争点になっているのに、あったという証拠ならば、日本だって攻撃されることになる。

 フランスのいうように、アメリカが、イラクが大量破壊兵器開発を持っているということを証明すればいいのだ。それを証明できず、証拠の煙だなどと、アーミテージ、お前は、馬鹿か。ブッシュがイラクを攻撃したければ、イラクが、大量破壊兵器を持っているということを証明すればいいのだ。核開発を公言する北朝鮮には見て見ぬふりをして、イラク攻撃に執着するブッシュには、テロも正義も関係はない。

 かつて、ヒットラーは、ムッソリーニを伴ない、欧州の支配を目論んだ。ナチスに占領されたフランスは、アメリカの参戦で開放されたが、今世界は、カジノ資本主義と石油というエネルギー資本の覇権かけて、ブッシュとブレアが、軍事力行動を起こそうとしていて、フランスはアメリカと対峙している。第二次世界大戦を引き起こしたドイツとイタリアの同盟関係は、いまは、アメリカとイギリスの関係なのだ。

 難民問題で苦悩する欧州各国は、国粋主義者が台頭し、反カジノ資本主義者と反アメリカで世論は形成されている。アジア経済のキーマンである中国は、アメリカの消費を支える供給国からの脱皮を図っていて、流入したユダヤ資本の乗っ取りを目論でいる。

 このような世界情勢の中で、竹中平蔵は、日本経済を、バブル経済からカジノ資本主義に構造改革し、金融市場で資金を日本に集めて、その資金で、中国を中心にアジアの製品を輸入して、消費する役割を日本が担うことをビジョンとしている。しかし、世界は、反カジノ資本主義であり、反アメリカだ。アメリカかぶれした竹中平蔵のカジノ資本主義への経済改革は、かつて、ファッシズムが世界から否定されたように、カジノ資本主義は世界から否定される。

 小泉純一郎は、かつて、西独伊の三国同盟の歴史を反省し、世界と協調することが必要だと論じた。しかし、それはアメリカと協調することではないことに気が付いてほしい。少なくとも、日本は中立であるべきだ。日本国民は、イラク攻撃に反対するべきです。ヒットラーのような独裁者のブッシュに迎合してはいけないということは日本の歴史が証明している。


1月22日(水)  岡田克也の拉致問題への問題提議は正しい
 民主党の岡田克也の拉致をめぐる政府批判で、同じ民主党内部でもこの発言に批判が出ていますが、拉致問題に関しては、日本の報道はきわめて主観的、かつファッシズム的であり、ポピュリズム的であるという問題提議は間違っていません。

 日朝の国交正常の主目的は、東アジアにおける日本の安全保障であり、拉致問題はその障害です。国民の側とすれば、拉致問題で北朝鮮を批判するのは当然ですが、その前に、この問題を、他人事のようにほったらかしていた外務省や政府の責任を強く追求するのが先決ではないでしょうか。政府とメディアのプロパガンダで、この責任を北朝鮮に振り向けていることの恐ろしさを意見することは間違っていません。

 北朝鮮問題では、日本の経済援助というカードは、ロシアを中心とする欧州に持っていかれ、拉致問題を解決する糸口はありません。日本国民が、北朝鮮に対して、東アジアでの日本の安全保障よりも、拉致問題を優先するならば、それこそ、石原慎太郎のいうように、戦争をする覚悟で主権を主張するべきなのです。

 その覚悟もなく、経済援助という外交カードもない状態で拉致家族問題は行き詰まり、東アジアでの軍事的緊張が高まる事態を引き起こしたのは、責任と言う概念のない外務省と、対北朝鮮外交の見通しを誤った日本政府の失態以外なにものでもないではありませんか。

 安倍普三などは、ただのメッセンジャーでしかありません。拉致問題は完全に行き詰まっていて、東アジアでの日本の発言や存在は、世界は誰も注目しません。まして、北朝鮮の反アメリカへの強硬姿勢も、イラク問題と関連付けせず、いまだに、拉致問題を中心に報道する日本のメディアは、なんと視野に狭いことでしょうか

 外交の基本は自国の権益であり、それは、東アジアの軍事的緊張の緩和です。拉致問題は、日朝国交化正常交渉の障害であり、目的ではありません。また、拉致問題に関しては、この問題を放置していた日本政府にも責任があり、その責任を受けてこの問題を解決するのならば、軍事行動を辞さない覚悟が必要です。それとも、東アジアの軍事的緊張を回避するのが目的であるならば、取るべき行動はまったく違うものになります。

 その意味で、政府は、北朝鮮外交に失敗したのは明白であり、拉致問題を棚上げにしてその責任を先送りする安倍普三の無責任を批判するべきであるし、メディアを利用してその責任を回避することを目的とした、政府のプロパガンダを野党は、強く牽制するべきではないでしょうか。

1月21日(火)  「7条解散」はおかしいだと、綿貫民輔!
 綿貫民輔は20日、首相の衆院解散権について、「憲法7条に基づく解散は、政府が勝手に思いついたら解散やるぞということで、本当はおかしい」と述べ、「行政府が立法府に命令をするのは考えられない」と指摘した。

 しかし、内閣は、国会議員の半数以上で組閣し、立法府である国会と連帯責任を持つものであり、立法府は、内閣不信任で、行政府を、内閣は、衆院議員の解散権で、国会との権力の均衡と抑制を持つ権力の分立が民主主義の基本だ。

 綿貫民輔なるものは、「政府が勝手に思いついたら解散やるぞ」などは許されないというが、そんな行政府であるならば、内閣不信任案を行使するべきではないのか。もしかして、こいつは、与党第一党の党首が、内閣総理大臣であると思い込んでいるのではないだろうか。9月の自民党総裁選の結果に小泉純一郎は従うべきだと考えているのではないだろうか。

 綿貫民輔もそうだが、日本の国会議員は、社会主義と資本主義の区別も理解できないということは、世界の常識であるが、民主主義の基本である権力の分立も理解できないという新事実は、欧米諸国はもとより北朝鮮の金正男もびっくりするだろう。

 あのね、綿貫民輔さん、内閣が国会を解散し、その審判を選挙で国民に問うことは、民主主義では当然です。そうでなかったら行政府と立法府との権力の均衡が成立しないでしょう。

 だいたいだな、綿貫民輔よ、こんな基本的なことを、憲法9条のような、馬鹿げた解釈論など持ち込むな、馬鹿者。おまえらが、民主主義を否定し、国家社会主義を目指すのならばそれでもいい。しかし、それならば、自由民主党など、自由と民主主義の看板を下ろせ。

 あー、でも、そうか、こいつらは、社会主義と資本主義の違いも理解できない連中だったんだな。どうしようもないな・・・。

1月20日(月)  廃棄物の運搬を環境省が何故規制するのか
 引っ越し業者に廃棄物処理法を厳格に適用するという環境省の新方針に、業者などの間から反発が広がっている。このようなことになったのは、2年10月、日本通運が、顧客の事業所から出たごみを別の業者を通じて不法投棄していたことが明るみに出たことが発端であるらしい。

 この不法投棄等は引っ越しのごみではなかったが、環境省は他の引っ越し業者も不法投棄をしている可能性があると、無許可で引き取った場合には5年以下の懲役か1000万円以下の罰金の規定がある廃棄物処理法を厳格に適用する方針に転換。マニュアルを作り、都道府県を通じて、正しい処理方法を広報する準備をしている。

 そもそも、本来運送業の業務は、国土交通省の陸運局の管轄であり、環境省が関与していることが間違っている。廃棄物処理の施設やその過程を法律で規制することが第一義であり、運搬などは運送業の仕事であり、環境省が関与することではない。運送業者は、廃棄処分場までの運搬を請け負うべきであり、廃棄物の処分を請け負ってはいけないのだ。

 したがって、不法投棄を規制するならば、廃棄物を依頼した側が、廃棄物処理場まで持ち込まれたかどうかまでの流れをチャックするべきだろう。運搬業者を規制するのではなく、廃棄物の流れを報告するシステムを作るべきではないか。

 規制緩和が叫ばれている中で、霞ヶ関の宦官官僚どもは、何が問題で、何を解決しなければならないのかという問題を解決する能力が欠如している。この程度の連中が、行政の中枢に居座るから、日本経済は停滞するし、何よりも世界から、「日本の常識は、世界の非常識」と馬鹿にされるのだ。

 霞ヶ関の宦官官僚を北朝鮮におくり、拉致された日本人と交換してもらおう。売国奴の宦官官僚は、北朝鮮ではまだ使えるかもしれないし、第一、売国奴の宦官どもが日本にいることが汚らわしく不潔だ。ゴキブリやネズミ以下の害虫である宦官官僚は駆除なくして日本の再生はあり得ない。

1月19日(日)  菅直人の”不順異性行為”は健在
 昨年の民主党代表選挙討論会で、菅直人に対して「民主党の政策は、”不順異性行為”ではないか、イタリアの”オリーブの木”が政権をとればイタリア、ブレア政権が出来ればイギリスとあっちこっちの政策に目移ろいしているのではないなか」という質問が出た。

 政権のありかたについてイタリアがどうだとか、ブレアはこうだったと自慢げに喋っていた菅直人は、この質問が理解できないと一蹴し、不順だか不純だかわからなかったが異性行為をしているのは自民党だと論旨を挿げ替え、さらに、政党の再編という政権政党として脱皮しなのかという質問には、そんなことは必要ないと一方的に捲し立てていた。質問者があきれて、回答をさえぎろうとしても、青筋をたてた”キレ菅”はとても醜かった。

 そして、今年、民主党の代表に復帰した菅直人は、2003年度定期党大会で「日本経済再生プラン」として提案した7項目の前段が、あの長野県知事の田中康夫知事の政策とまったく同じだった。イタリアの”オリーブの木”が政権をとればイタリア、ブレア政権が出来ればイギリス。長野モデルが成功すれば田中県政と、菅直人の”不順異性行為”は健在だ。

1月18日(土)  笑うしかない、国会議員の教育レベル
 ゼネコン汚職のあっせん収賄罪で懲役1年6月、追徴金1000万円の実刑判決を受け、最高裁で上告を棄却された中村喜四郎被告側は17日、決定を不服として最高裁に異議を申し立てた。この後に及んで、なんと往生際の悪い奴だろうか。

 中村喜四郎は、1000万円の現金授受を認めたが、公取委への働き掛けの請託はなかったとして無罪を主張していたが、本当に自分の罪が、冤罪だと思っていたのだろうか。そうではなく、実刑後の選挙で当選しているのだから、いわゆる「禊は済んだ」ということで、少なくとも、実刑判決はないと考えていたのではないだろうか。

 報道によると、国会では、常に背筋を伸ばして座り、どこかの馬鹿とは違い無駄口もせず、静かに本会議に聴き入っていたという。中村喜四郎は、国会で模範議員でいれば、刑務所に行かなくても済むと本気で思っていたのではないだろうか。そうだとすれば、中村喜四郎の政治とは、罪を償うためだったということになる。

 茨城7区の有権者も、選挙で勝てば、実刑判決はないだろうと本気で考えていたのだろう。中村喜四郎は、実刑判決をのがれるために選挙運動をして、国会では模範議員でいればいいと本気で考えていただけに、今回の最高裁の上告棄却は、中村喜四郎にとっては、信じられないことなのだろう。

 だが、政治家の罪は、選挙で白黒をつけられるとか、出席率とか態度で評価してもらおうとかの行動様式は、協調と恭順を叩き込んだ愚民教育の弊害の最たるものであり、日本の国会議員の教育レベルが、この衆愚政治での教育のエリートであるという現実は、実におぞましいことだ。

 そういえば野中広務や古賀誠のように、真っ赤かな社会主義者が、共産主義を批判したり、多数決を堂々と否定したりする連中が民主主義を掲げているなど、永田町では、概念ばかり先行し論理がないという、ナンセンスな政治が、堂々と行われれいる。

 そして、このナンセンスな政治をナンセンスだと理解できない国会議員ばかりの永田町の常識は、世界の非常識となっている。日本の将来は、笑うしかないのだろうか。

1月17日(金)  経済産業省の新信用保険制度の創設は詭弁だ
 経済産業省は、金融機関だけではなく、ノンバンク、商社も対象に、公的信用保証制度とは別の仕組みで、新しい信用保険制度を創設すると発表した。経済産業省の説明では、保証人や担保がない緊急融資を想定しており、機動的に融資を受けたいと考える中小企業のニーズに対応するとしている。

 しかし、日本の信用保証制度は、保証協会の保証人に個人保証や第三保証人を強制していて、保証協会が、債務を肩代わりしても、結局は、個人や第三者保証人に、債務の全額を求償権として行使するもので、公的機関の債権回収機関に過ぎないのが現実だ。

 本来、保証制度とは、保険制度のように、保険料を徴収して、会員の中で事故が起きた時、その資金で資金を融通するというものであるはずだ。しかし、日本の保証制度は、保証料を徴収するが、債務にたいするリスクは、保証協会の個人保証や第三者保証人に転嫁していているだけではないか。だいたい、なんで保証料を徴収しているのか説明できる者がいるのだろうか。説明できないのであれば、これは詐欺行為でしかないではないか。

  貸し渋り対策として行った、「中小企業金融安定化特別保証制度」でも、民間金融機関の債務を信用保証協会が肩代わりしただけであり、債務のリスクを信用保証協会が被ったわけではない。つまり、金融機関を国が助ける制度だったのであり、中小企業を助ける制度ではなかったのが現実である。このような日本の公的保証制度を、ノンバンク、商社も対象にするということを、「中小企業のニーズに対応する」などというのは詭弁以外なにものでもない。

 お前ら官僚は、どこまで、国民を馬鹿にすれば気が済むのだ。まして、このような売国奴官僚のレクチャーを受けて、「中小企業の方のため」とか押し付けがましいことを言う、平沼赳夫経済産業大臣や、高市早苗経済産業副大臣は、何を考えているのだ。

 教えられたことを覚えたり理解するだけのエリートは問題の根本原因を知ろうとはしない。まして、自分で商売もしたことのない連中が、現場を知らずに、官僚の描いた経済政策に自己陶酔している。世界では、彼等の存在は、宦官として認知されていて、間違ってもエリートではない。宦官官僚どもに操られる政治家の、教育レベルは最低だ。日本の教育改革は、霞ヶ関と永田町の家畜並の教育レベルを、嘲り笑い、悲しむことからはじめなければならない。

1月16日(木)  独裁国家の中国と、ならず者のG・ブッシュ
 中国の文筆家陶海東氏がネット上で発表した文章を理由に国家転覆扇動罪で逮捕、起訴されたという報道記事があった。 米国の人権団体「中国人権」によると、昨年11月以来、「ステンレスのネズミ」というペンネームで当局を風刺する文章を発表していた北京師範大学生劉荻氏や、ウェブサイト「民主と自由」を主宰していた李毅斌氏など逮捕が相次ぎ、ウェブ上の言論への締めつけが強まっているという。

 基本的人権の言論の自由を阻害する国家は、独裁主義国家であり、反民主主義の国家だ。このような民主主義の後進国との格差を是正することが、国際平和を実現するという目的で国際連合は作られた。

 この国際連合の常任理事国に、なぜ、民主主義の後進国の中国がいるのだろうか。反民主主義で独裁国家の中国が、国連の常任理事国でいいとすれば、ブッシュを筆頭に、ならず者達に、世界の平和を委ねることになる。国連は、イラクの査察や、北朝鮮の核問題と同じレベルで、中国の、基本的人権である言論の自由を阻害する行為を、厳しく咎めるべきではないだろうか。

1月15日(水)  民主党政権を夢想することは、政治ではない
 民主党の03年度活動方針案は、、政権交代実現に全力を挙げるとしながら、「次なる政権党として十分な信頼を勝ち得ていない」、「国民の支持を急速に失っている」と総括し、「結党以来最大の危機」を乗り切るための党改革を訴えるとしている。

 しかし、「国民の信頼を勝ち得ていない」とか「失っている」とか反省するならば、まず、信頼を取り戻すのが先決であり、それに全力を挙げるべきであり、その結果として政権交代が見えてくるのではないのか。

 それなのに、菅直人は、代表に就任以来、「構成大臣を譲ったのだから総理をゆずれ」「来年の納めは総理官邸でしましょう」と気分は総理大臣になっていて、総理大臣の予行練習のつもりか伊勢神宮の参拝まではじめてしまった。菅直人は、内閣解散と衆議院選挙があれば、菅直人政権はまちがいなしと確信している。

 選挙を求心力に集まった民主党は、選挙がなければ組織が成立しない。また、選挙のために現政権転覆の動きを加速させていくしかない。この運動は、民衆から孤立した組織では、そのエネルギーは内側にまわりだし、組織はカルト化する。民主党は、日本経済の崩壊を期待しているし、外交を内政に持ち込むという禁じてを打つことも厭わない。

 しかし、日本経済が崩壊してまでも、政権交代を望む国民は、民需で生計を立てている国民は望んでいない。また、菅直人のドン・キホーテぶりに、眉をひそめる国民も少なくないはずだ。まして、組織票ほしさに連合に擦り寄るなどの行動など、無党派層を無視する菅直人民主党は、選挙で国民の信任を得られる確立は、限りなくゼロに近い。

1月13日(月)  社会主義者の古賀誠の、自分勝ってな言い分
>自民党の古賀誠前幹事長は13日午後、福岡県柳川市内で開いた後援会の新年会であいさつし、今後の政局について「極めて厳しい経済状況の中で、この時期に解散を議論すべきではない。解散は今年いっぱいあるべきではないし、やるべきではない」と述べ、年内の衆院解散・総選挙に反対する考えを明らかにした。(時事通信社)

 自民党の社会主義者の古賀誠は、年内の衆院解散・総選挙に反対する考えを強調しているが、古賀誠らの主張する社会主義経済から、資本主義経済への転換を進める小泉純一郎を引きずり降ろし、真っ赤かな社会主義経済を復活させようととするならば、衆院解散・総選挙で国民の審判を問うべきではないか。

 選挙は嫌だ、小泉内閣も駄目だなど古賀誠の論理は、まだ、ソビエトやルーマニアのような一党独裁の完全な社会主義国家ではなく、民主主義も残っている日本では通用しない。資本主義と民主主義のお面をつけた、自民党の社会主義者の古賀誠や野中広務や亀井静香の連中が、、選挙とか民主主義とか理解できずに、「独裁政治」など口に出すわ、共産党を批判するわなど、世界の識者には、この連中を、クレージーとしか見えないだろう。

 日本の霞ヶ関と永田町の常識は、世界の非常識であるのは世界の常識であるが、政治、経済の基本概念を共有できない日本の政治家は、常識以前の問題であり、とても、政治・経済に口を出すレベルではない。公共事業を都道府県に持ち帰るだけの営業マンが、政治家ぶるから、日本は資本主義もどきの社会主義になるのだ。

 国会議員ならば、政治・経済の基本概念ぐらいは理解しとかんと、日本国民の面汚しとなるばかりだ。これは、与野党の国会議員に言えることであり、誰でもいいから、社会主義経済でもなく、カジノ資本主義論者でもない、資本主義経済論者はいないのか。

1月12日(日)  北朝鮮の外交は、瀬戸際外交なんかではない
 北朝鮮のNPT脱退宣言などの、ブッシュを挑発する行為は、ロシアやフランスを中心とする欧州各国の後ろ盾があるからで、「瀬戸際外交」などではない。

 欧州各国は、イラク攻撃には反対だ。なぜなら、中東での紛争での難民の受け入れは経済的に限界で、また、国粋主義者の反米感情を抑えきれない。一方、中東のアラブ資本は、アメリカのカジノ経済を求めているが、経済格差の対極にいる貧困層は、イスラム教と結びついて、外交上は、反アメリカとならざるを得ない。

 この状況で、北朝鮮の核問題は、イラク攻撃を牽制するカードであり、北朝鮮は、ブッシュとのチキンゲームの参加報酬として、人道的支援名目の経済支援を取り付けている。

 今回の小泉純一郎のロシア訪問は、欧州各国の反アメリカの意思を通告されただけで、拉致問題の糸口を期待していた日本側は、プーチンにいいように使われた。日本側は、川口外務大臣を、急遽フランスに行かせるなど大慌てだが、紛争を極東アジアに持ってこさせるとは、日本の外交は何をしているのだろうか。

 拉致問題は、日朝正常化交渉の障害であり目的ではないのに、マスコミや政治家は、拉致問題ばかり取上げていた。ここまできたら、拉致問題の解決も、核の問題も、戦争による解決を否定してはありえないだろう。核問題に脅されて、拉致問題を封印することは、日本外交の死を意味するからだ。日本政府と国民はその覚悟があるのだろうか。

1月11日(土)  北朝鮮のNPT脱退宣言は、欧州の権益と一致する
 欧州の右翼の台頭とイラク攻撃反対の動きは連動している。欧州の移民政策に対する反発は、アメリカが仕掛ける戦争による難民の受け入れが欧州に偏っているからだ。欧州の国粋主義者は、反イスラムであり反アメリカだ。 また、フランスとロシアは、イラクの石油の供給を受けていて、ブュシュの戦争ビジネスは自国に権益を阻害する。

 難民問題や、石油の供給問題など、欧州各国は、イラク攻撃を回避することを希望している。反面、東アジアでの紛争は、欧州経済にはプラスであり、アメリカには打撃となる。欧州は、北朝鮮に関しては、人道的支援を拡大している現実があり、ロシアを通じて欧州との外交ルートは開かれている。

 この状況に中で、イラクの査察で、大量破壊兵器の開発を示す「決定的な証拠」は見つからなかったことを受けての、北朝鮮のNPT脱退宣言は、アメリカを挑発するものであり、「ならず者」と北朝鮮を呼び、反テロ戦争を掲げたブッシュは、北朝鮮を無視するわけにはいない。

 つまり、北朝鮮のNPT脱退宣言などによるアメリカへの挑発は、東アジアの緊張を高めることになり、イラク攻撃を牽制するカードとなる。そして、これはロシアやフランスなど欧州各国の権益と一致することを理解するべきだ。

 アメリカ、イギリス、日本以外は、反アメリカだ。日本のメディアは、テロと戦争の区別もせず、アメリカ追従の世論操作をしていて、反グローバリズムや、欧州の難民問題に起因する国粋主義の動きを報道しない。北朝鮮といえば、拉致問題ばかりで、欧州各国の行動や権益を整理しようとはしない。つまり、戦前の言論統制と同じであり、ブュシュのテロ戦争というファッシズムに日本国民は洗脳されている。

 かつて、ドイツ、イタリア、日本という三国同盟の状況が、アメリカ、イギリス、日本という関係になっているのではないのか。いや、日本はアメリカの51番目の州でしかないのか。日本は世界と協調しなければならず、孤立してはいけない。それは、小泉純一郎のいうように、アメリカと協調するのではなく、アメリカと距離を置なければならない。

1月10日(金)  菅直人が闇金融視察当日に受けたレクチャー
 毎日と朝日新聞で9日、民主党の菅直人が、東京・JR神田駅周辺の「闇金融」を視察したことが記事に書かれていた。ここで、。菅氏は、闇金融問題について「厳しい経済情勢で、銀行が通常の金融業務をできなくなったのが原因」(毎日新聞)とし、「小泉さんも闇金融被害者の相談窓口に来られたら、国民の生活の実態が分かるのではないか」(朝日新聞)と語ったという。

 しかし、この日の菅直人のHPでは、「今日午後、神田にヤミ金融問題の視察に出かける。事前の打ち合わせで「090金融」という耳慣れない言葉を聞いた。」と書いていて、闇金融視察の当日まで「090金融」の存在を知らなかったことがわかる。

 闇金融問題は、故石井紘基衆院議員が取り組んでいた問題で、「090金融」などは、新聞、テレビ報道でも、認知されている言葉ではないのか。その「090金融」を、視察当日にレクチャーを受け、市民の窮状に耳を傾けるなど、菅直人は一体何様のつもりなのか。実態経済や市中の社会状況を知らずに、政治・経済を語るな!。

1月9日(木)  麻生太郎のナンセンスな消費税引上げの主張
 自民党は、消費税を内税方式に一本化した上で、消費税の引き上げを検討しているという。また、年金の財源としての目的税化には否定的であり、複数税率も検討していると報道があった。

 まず、消費税を内税方式に一本化するのならば、売上税に名称変更したほうがわかりやすい。また、「非課税取引」とか「対象外取引」の枠はもうけず、また、免税事業者の設定などは廃止するべきでしょう。一万円でも売上を上げたならば売上税を支払うとし、そのかわりに法人所得税などは廃止するべきだ。複雑な税体系は、利権の温床となるばかりであり、シンプルな税体系では、政治介入ができなくなるからだ。

 また、売上税率の構成に、公務員の支払い給与や、年金の割り当て分など、売上税率の原価計算を明確にする。予算に必要な税額に応じてその税率が変動性することを前提に、税率は、単年度ごとの改定とするべきだ。経済状況に応じた税による経済政策の道を作ることは、時の政権の経済政策の責任を明確にすることができる。また、売上税の原価を明確にすることで、国民の納税意識の向上も期待できる。

 このような抜本的は税制を自民党が定義しているのかと思うと、必ず、その期待を裏切ってくれるのが自民党であるが、この消費税の値上げの主張する麻生太郎は、なんと、「10%に上げても、食料品だけ5%で据え置くとかいろんなやり方がある」と述べたという。あのね、複数税率というのは、物品税に逆戻りすることと同じであり、何より、その税率を巡って新たな利権が生まれるのは見え見えではないか。

 麻生太郎は、ナンセンスな主張を、いろいろ理屈をつけて正論のようなものの言い方をするが、はっきり言って、こんな浅はかで勉強をしていない政治家も珍しい。いくら、資産家の息子といえ、何も知らんくせに、偉そうに政治を語るな。馬鹿者!

消費税から売上税へ
http://link-21.com/masahiro/proposal/patio.cgi?mode=view&no=2

1月8日(水)  日本の政治で、蚊帳の外の菅直人民主党
@ 日本は、既得権益者層と非既得権益者層に分かれる

1 官僚シンジケートに属する企業、および大企業と、その労働者および公務員

2 いわゆる自由経済でいきる中小零細企業と、その労働者

A 上記の1と2の国民を代弁する政党と政治家

1 の国民は、いわゆる、既得権益者層。この企業側の声代弁するのは、自民党の亀井静香や古賀誠。そして、民主党の羽田孜。そして、この労働者の声は、労働貴族上がりの民主党の国会議員

2 1の国民と2の国民を明確に分けて、そのスタンスを表明する政党がいない。
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 日本の政治家は、20世紀に作られた政治対立である、資本家階級と労働者階級という政治教科書とおりの政治をしていて、小泉純一郎が、2の国民に顔を向けた政治姿勢を評価できない。

 自民党の族議員も、民主党の労働貴族上がりの議員は、無党派層など眼中になく、小泉純一郎を支持する国民を、馬鹿呼ばわりしている。

 しかし、政治は、有権者の権益を政治に反映するものであり、既得権益層の声だけを政治に反映させているいまの与野党などに、無党派層は何の期待も持たないし、持てないのだ。

 既得権益者層と非既得権益者層の権益は、足して2で割るようなことは不可能であり、二者択一の政治がもとめられるのに、多数決の原理原則も理解できない、古賀誠のような国会議員が永田町でウロウロしている。

 菅直人自信はすでに総理大臣になっているのであり、そのつもりでいるから、「構成大臣を譲ったのだから総理をゆずれ」「来年の納めは総理官邸でしましょう」という発言になり、伊勢神宮の参拝まではじめた。こんな自慰行為に耽る菅直人を日本国民が支持するのだろうか。

 外交でも昨年の瀋陽の総領事館事件でも、中国の公安当局と連携して日本の外交官の醜態を世界に発信させ、そして、今度は、民主党の首藤衆院議員が、アメリカの攻撃が懸念されるイラクにのこのこ出て行き、イラクの副大統領から、対日批判を引き出しだして、反小泉を強調している。外交を内政に利用するなど、持っての他ではないか

 日本の政治は、小泉政権と与党内野党の対立の政治であり、菅直人民主党は蚊帳の外だ。民主党内の心ある議員は、党議拘束を無視して、一人一人の意思で、国会の表決に臨むべきだ。

1月7日(火)  詭弁を弄するな、なまくら坊主の笹森
 連合の笹森清は6日、連合新年交歓会で、「働く人たちの生活を守ることが最大の役割ならば、その思いをすべての政党にぶつけたい」と16日の自民党大会に出席すると表明した。

 カジノ資本主義にしろ、財政投資中心の社会主義者のケインズ政策にしろ、その恩恵にあたるものは、大企業であり、公共事業関連の企業とその労働者だ。この意味では、連合の笹森などの労働貴族は、自民党に擦り寄るのは当然といえば当然だ。

 需要創出政策しか考えられない菅直人は、政権交代をちらつかせ、既得権益者層を民主党に取り込もうとしているが、既得権益層の中でのパイの争いであるならば、結果は見えている。民主党政権を信じて、官僚から国会議員に鞍替えした連中は、まったくお疲れ様だ。無党派層にスタンスを置く政治家や政党が出てこないかぎり、政権交代はない。

 選挙を本業とするいまの国会議員には、無党派層など、その選挙マニュアルにはないのだからどうしようもない。くやしいが、政治に関しては、韓国がうらやましい。

 とにもかくにも、「雇用が守れるなら何でもやるべきだ」というのは、労働組合員である公務員と大企業の労働者での雇用をいっているのであり、無節操な国会議員が「国民」を乱発するように、なんでもかんでも労働者のためだとか、軽々しく労働者をくちに出すな、笹森!

P・S
 連合の笹森を、なまくら坊主というのは、信長に焼き討ちされた比叡山延暦寺を連合に例えているのであり、当時、酒池肉林の世界であったという比叡山は、労働貴族として労働者の踏み台にして権力に居座る連合幹部は、まさに、信長に焼き討ちされた延暦寺そのものです。



1月6日(月)  国民を小馬鹿にする、自由党の小沢一郎党首
 自由党のホームページから、小沢一郎党首の「新年の挨拶」を聞いた。私は、前から自由党の政策は評価しているのだが、小沢一郎の金権政治の臭いと、国民を小馬鹿にしたような発言など、その政治姿勢がどうしても好きになれない。今回の新年の挨拶の中でも、「主権者である国民は、政治理念や政策で、政治を選択するべきだ」と言ったかと思うと、昨日のNHKの日曜討論では、野党の選挙協力の話で、「政策では選挙に勝てない」というような発言をする小沢氏の政治行動に嫌悪してしまうのだ。

 さらに、小沢氏は「小泉首相に政策的には80%の国民が期待していないのに、その小泉内閣を50%の国民が支持するのが理解できない」と嘆いている。そして、国民に対して、「政治に何を期待するのか、また、政治の役割をどのように考えているのだろうか」と問い掛けていますが、投票率が低かったり、政治への関心が低いのは、国民の側の責任を強調する小沢一郎氏の政治家としての姿勢は容認できません。政治に無関心である国民を批判するのはいいのですが、国民に対して「政治とは」を問い掛ける前に、政治家自信が、政治とな何ぞやと言う答えをわかっているのでしょうか。

 私のような市民の側からすれば、政治とは、支持している有権者の「権益」を政治に反映する場であり、いろいろな権益を背負う国会議員がいるからこそ、間接民主主義は機能すると考えています。公共事業で生計を立てている人も、いわゆる民需の中で、経済活動をしている人も皆、国民です。いまの財政危機の日本の状況で、この両者の権益を同時に適える政治ができないから、経済の政治も混迷しているのであり、いまは、どちらかの権益を優先していくかという二者択一の政治が求められているのではないでしょうか。

 いまの日本の政党や国会議員は、国民のためとか、国民の声とか、やたら国民と言う言葉と使って、どの既得権益層の権益を政治に反映するのか、それとも非既得権益層の権益を政治に反映するのかというスタンスの違いを明確にしません。公共事業関係で生計を立てている企業と、そうではなく、いわゆる民需で生きる企業とでは、今の政治では、求める権益が違うのです。それなのに、いまの日本の政治は、自民党に企業献金をする大企業と、公務員と大企業の労働者が80%を占める日本の労働組合という、同じ権益を求める企業側と労働者側が、政治で対立しています。つまり、既得権益層の中での与野党の対立を政治と称しているのであり、非既得権益層の無党派層は、それこそ、「寝ていていい」と公然といえる日本なのです。

 日本では、特殊法人を中心とする公需の経済で生計を立てる企業と労働者の権益を政治に反映されても、これ以外の、すなわち非既得権益層の国民の権益を主張する政党がないのです。また、無党派層に、そのスタンスを明確にする国会議員もいません。敷かれた政治というレールの上で自己満足している国会議員ばかりではないですか。

 無党派層と呼ばれる国民は、非既得権益層であり、彼らは、自分たちの権益を主張してくれる政治をまっています。だから、既得権益層と対峙する姿勢を打ち出した小泉氏の支持が高いのです。

 あたり構わず「国民」を連呼する、従来の与野党の政治は、既得権益層の中での政治であり、その既得権益層からはじかれた無党派層の国民が急増していて、彼等は、そんな政治には何の希望も持ちません。この状況を、永田町で権力争いをしている国会議員が気が付かないことは、悲劇と越えて喜劇となって世界に見られています。

 政治家は、既得権益層か、非既得権益層のどちらの権益を政治に反映するか、そのスタンスを明確にするべきであり、どちらの権益も政治に反映しますなどという、御都合主義の政治にはもううんざりです。いまの日本の政治や経済状況の原因を国民の側だけに転嫁する小沢一郎に国民の支持が集まる訳がありません。二者択一の政治をしなければならない時代であることに気が付かない小沢一郎は、21世紀の政治に百害あって一利なしであり、この危機的な状況に登場してはならない政治家でありましょう。


1月5日(日)  敗訴者負担制度の是非について
 民事裁判において、弁護士報酬の敗訴者負担制度の導入は、弁護士報酬の高さから訴訟に踏み切れなかった当事者が、訴訟を利用しやすくする側面がありますが、その反面、見通しのない裁判に敗訴のリスクを考えると、応訴ができないという側面も考えられます。また、訴訟する側も、被告側が弁護団を組んで応訴してきた場合に、敗訴したときの金銭的負担は、逆に訴訟を躊躇することも考えられるでしょう。

 ただ、「市民が利用しやすい裁判制度を」という理念による司法制度改革の議論の中に、敗訴者負担制度の是非の議論が、どうも、法曹界の”市場”の中の議論であるような気がしてなりません。敗訴者負担制度の導入で、訴訟件数が減ることを心配する弁護側と、訴訟件数を少なくしたい検察側の主張には、国民は不在です。どちらも、法曹界の”市場”を対象に議論しているのであり、国民の視点にたった司法制度改革の議論とは程遠い議論でしかありません。

 そんなことよりも、司法と国民との距離が乖離しているのが根本的な問題でありましょう。そして乖離の原因の一つとして、日本の裁判制度が慣習法であり、規範となる法体系でないことが挙げられます。

 本来、規範としての法があれば、民事上の裁判にそれほど労力をかける必要はないのに、判例主義の慣習法では、規範となるルールがないから、結論に時間がかかり、裁判の見通しも見えてこない。このような日本の裁判では国民と司法の距離は乖離したままです。いい例が、憲法9条などその典型であり、規範である法を解釈して、黒を白といったり、黒は黒だという議論は、日本の子供たちから論理力も奪っています。

 また、日本の刑事事件では、「刑事司法は公秩序維持のためにあるのであって、犯罪被害者のためにあるのではない」として、事件の当事者であり最大の利害関係者である犯罪被害者を刑事司法手続きから排除していて、被害者に対する賠償責任が抜け落ちています。

 日本で刑事事件の被害者は、いわゆる「やられ損」で、犯罪による医療費や後遺症は、すべて被害者の負担である現実を納得する国民がいるでしょうか。エイズ事件でも、加害者側の賠償責任を、民事訴訟事件として起こさなければならないこの現状を、国民は是とするでしょうか

 敗訴者負担の導入の賛成派も反対派も、ともに、司法という市場のパイ争いをしているにすぎません。閉塞的な法曹界の根本原因を議論しないで、自分たちの権益を司法制度改革の場で議論でしているなど、法曹関係者のモラルはとても聖人君子どころではありません。

 「市民のための司法改革」という理念であれば、市民にとって裁判をより身近にするためにも、慣習法である判例主義をあらため、「自由と責任」、「権利と義務」を基本とした、行動や判断の基準・手本である規範としての法体系を整備するべきではないでしょうか。

 法曹人は、審判でいいのであり、聖人君子である必要はありません。社会のルールに違反しているかどうかの審判=ジャッジメントでいいのです。そして、事実認定などは、それこそ陪審員制度を採用するべきでしょう。刑事、民事に関わらず、起訴する権限は、主権者である国民の側にあり、原告、被告ともにそれぞれに弁護人がつけばいいのではないのでしょうか。日本の裁判のシステムは、司法権力の抑制と均衡が効いておらず、法曹人の既得権益で、日本の司法制度はがんじがらめになっています。この法曹人の既得権益をなくすことが司法改革なのです。

 また、いまの複雑な社会状況で、法曹人はゼネラリストである必要はなく、憲法、民法、商法、民事訴訟法、刑法、刑事訴訟法、労働法・社会法、医療法・公衆衛生法、産業法・知的財産法と、それぞれの分野で、スペシャリストであるべきでしょう。従って、法曹人を、ゼネラリストとして、また、聖人君子として、育てようとする法科大学院構想の理念そのものが時代錯誤なのです。

 敗訴者負担制度で、裁判を利用する国民の経済的負担を心配するならば、供給側である法曹人を増やせばいいのであり、従来のゼネラリストからスペシャリストが働ける司法制度にすれば、司法への需要に対応できるではありませんか。法曹界の既得権益を擁護しながら、司法制度改革だと称して、法科大学院だ、敗訴者負担だなどの議論はナンセンスです。


1月4日(土)  時代に逆行する、菅直人民主党
 民主党の菅代表は30日、悪化している連合との関係の修復に乗り出す意向を固めた。民主党離れをして、自民党にすりよる連合の動向に、来春の統一地方選での連合の支援を期待する地方組織からも関係改善を求める意見が相次いでいるため、修復の方向にカジを切ることにしたという。

 労働組合の組合員数1100万人の約7割は、公務員か大企業の労働者だ。彼等の求める権益とは、経団連や経済同友会と同じであり、彼等の賃金闘争は、既得権益者層の中のお芝居でしかない。同じ権益を求める者どうしが、与党と野党に分かれていることが不自然なのに、従来の与党と野党の構図に逆戻りする菅直人は、21世紀に登場する政治家ではない。

 政権交代しか眼中にない菅直人民主党は、連合との関係修復で票が集まるとでも思っているのだろうか。非既得権益者層である無党派層は、賃上げしか主張しない労働組合を支持するのだろうか。無党派層の国民は、公務員の給与や退職金と、中小零細企業の労働者の賃金や退職金の格差を是とするのだろうか。

 菅直人は、いまの官僚主導の行政を、民主党にその権力を移すといっているが、その中核になるのは、官僚出身の国会議員であり、服従関係にあるサラリーマン的な国会議員ばかりだ。菅直人は、官僚主導の社会主義体制を否定しているのではなく、むしろ肯定しているのだ。官僚が握っていた権益を、官僚出身の民主党員に握らせるのが主眼であり、霞ヶ関の権益を、民主党に挿げ替えようとしているだけだ。

 選挙のために連合と関係を修復するなど、時代に逆行する政治を許してはならない。選挙を求心力に集まった民主党は、選挙がなければ、その緊張感は保てない。政治ではなく選挙のための行動を国民が認めてる訳がない。

1月3日(金)  首藤信彦はイラクに、何をしに行ったのか(その2)
 昨年の暮に、イラクのラマダン副大統領と会談し、日本をアメリカ・イギリスにつぐ「第三の敵対国」との発言を引き出したのは、何を目的としていたのかと、「首藤信彦はイラクに、何をしに行ったのか」という投稿で問題提議をした。

 この件で、首藤衆院議員のHPで、「イラク情勢に思う」というコメントを読んだ。そのなかで、今回のイラク行きは、日本のメディアの報道規制のなかで、イラク情報にたいする疑念があったからだという。そして、アメリカの仕掛ける戦争に対するイラク政府の動向を見極めるして、現地での反日感情が高まっていることに愕然としたと書いてありました。

 しかし、アフガニスタンやパキスタンでも、アメリカに追従する日本への反日感情は周知の事実であり、その現状はNGOを通じて知っている人々も多い。まして、これをことさら強調するのは、紛争予防活動をライフワークと自負する首藤議員がいうことだろうか。

 また、首藤議員の国会の外務委員会の中でも、反日感情に関する答弁などしておらず、昨年の、12月5日のインドネシアのジュンパンダンでの、米国系ハンバーガー店「マクドナルド」店内で爆発と連続しておきたトヨタ系の自動車ショールームの爆発事件に関連して、日本への報復テロに対する質問はなかったではないか。

 国内で、アメリカ追従外交を批判して、反日感情による邦人の危険を訴えていたならばまだしも、外務委員会では、拉致問題に対する小泉内閣の姿勢を、「外交を内政のために使っている」と批判ばかりしていたのではないのか。そんな首藤議員が、メディアの報道姿勢を批判し、イラク情勢の真実を国民に伝えたいなどと、詭弁にしか聞こえない。

 また、「戦争が避けられないと皆が考える状況のなかで、イラク政府はどう対応しようとしているのだろうか? そうした疑問に答えるのが第一の目的でした」と書いてるが、そうした疑問とは誰のことか。国民なのか政府なのか。戦争に対するイラク政府の動向を、イラクの高官と意見交換することは外交そのものだ。

 いうまでもなく、外交は、内閣の専権事項であり、国会議員が相手国の要人や高官と会うのは、当然、日本の国益を主張するのが主目的であり、いわゆる、インタビューなどを、ジャーナリスト気取りで、国会議員が行うべきではない。

 日本のアメリカ追従の外交姿勢を批判するならば、国会内でするべきであり、反日感情の現状なども、イラク市民の現状を日本国民に周知させるならばともかく、イラクの副大統領の対日批判を、メディアを通じて流すなど、これこそ、外交を利用して内政を揺さぶる行為ではないのか。

 政治信念もなく、対小泉政権の姿勢が野党の政治使命と考えているからこのようなことになるのです。アメリカを批判するわけでもなく、戦争を回避する政治行動もしないで、ジャーナリスト気取りで、真実を伝える英雄気取りの首藤信彦をみなさんはどのようにお思いになるでしょうか。

1月1日(水)   "Imagine"
ジョン・レノンの”Imagine”の、「天国も地獄もない、国家も宗教もなく、欲望の飢餓もない、そんな世界を望む僕は、夢想家なのだろうか。」と言う、平和へのメッセージは、いまも世界中の人々に歌い語り継がれている。

 2001年の、WCTビル崩壊事件(私は、9.11テロ事件とは言わない)で、”Imagine”を歌ったアメリカ国民が、アフガニスタンにトマホークを打ち込み、超大型燃料気化爆弾を落とした。そして、今、イラクに対しても、命中精度を無視したミサイル攻撃によるジェノサイドを行おうとしている。

 アフガニスタンやイラクの人々は、”Imagine”を知っているだろうか。アメリカを憎悪するアルカイーダなどのテロ組織に、ジョン・レノンのメッセージはどのように伝わるのだろうか。

 ジョン・レノンは、天国も地獄もない、国家も宗教もなく、欲望の飢餓もない、そんな世界を求めていたのではないと、私は思う。そうであるから、あえて「You may say I'm a dreamer」と問いかけたのではないだろうか。

 国家、宗教、所有欲、差別は、人間が動物である限り、なくならない。これを否定するのならば、動物という生命体を否定しなければならない。しかし、動物であるが故に、地球がなくては生きていけないのであり、子孫を残すという動物の本能は、戦争という行為を否定するだろう。「国家、宗教、所有欲、差別を受け入れて、戦争を否定する。」この命題に取り組むことが、人間に託されていると、ジョン・レノンは語りたかったのではないだろうか。

 かつて領土拡大を求めた戦争の時代はおわり、資本主義か社会主義かというイデオロギーを争う時代も終わった。資本主義を否定した社会主義は、利権を制御できず、経済格差による貧困層に否定された。現代は、カジノ資本主義経済である世界の中の、経済格差が紛争の原因であり、権力は、国家、宗教で差別化して、経済格差の対極にいる貧困層をテロと決め付けて、そして弾圧することを、戦争と称している。

 絶対的な貧困層が、武器もなく生存権をかけて権力に立ち向かう時、自爆という悲惨な行為を、どうしてテロと呼べようか。絶対的な貧困層に、近代兵器で無差別に殺戮することを何故ジェノサイドと言わないのだろうか。もともとの命中精度を無視したミサイル攻撃を”誤爆”などという表現を、何故、世界は非難しないのだろうか。

 太平洋戦争で無謀な戦争に駆り出された旧日本軍の特攻攻撃で死んでいった若者と、絶望的な貧困の中で、民族の生存権をかけて自爆するイスラムの若者の違いは、後者は、それが日常的な生活から生まれるということだ。我々日本人は、この両者の違いを理解するべきだし、その違いを世界にアピールするべきではないだろうか。

 いま、世界の指導者に求められているのは、戦争を否定することでも、”Imagine”を歌うことでもない。資本主義の原理を離れて、実体経済を離れ、資本の寡占化を求めるカジノ資本主義が生み出す、絶対的な経済格差を否定することだ。資本の寡占化と絶対的な貧困層は対極化して、両者の溝は、憎悪で埋め尽くされている。

 実体経済を離れ、資本の寡占化を求めるカジノ資本主義を否定する行動が、反グローバリズムなのだ。資本の寡占化を排除し、資本の分散をもとめるべきであり、それが、経済格差を拡大から縮小に向かわせていく。絶対的な貧困層をなくすことが、人類に求められている命題なのだ。

 キーワードは、経済格差であり、それは資本主義にその糸口が隠されている。そのためにも、いまのカジノ資本主義を否定しなければならず、アメリカはその障害である。

 宗教でもなく、イデオロギーでもない。「国家、宗教、所有欲、差別を受け入れて、戦争を否定する。」この命題こそが、平和を願うジョン・レノンのメッセージではないだろうか。そして、この命題を導くものが、経済であり、資本主義の原点に立ち返ることではないだろうか。資本主義は、民主主義と共存できる経済システムであることを、理解してほしい。資本主義は経済格差を是正する機能がある。

 カジノ資本主義に代わる経済社会は、資本主義の原理に立ち返り、厳しい市場経済であるけれども、誰でも参加できる自由とルールの確立した資本主義経済を構築するべきだろう。そして、経済には、公需と民需が共存するということを受け入れ、社会資本の蓄積が、国民に還元できる社会を目指すべきなのだ。

 そして、公需と民需のバランスが、経済と民主主義の健全化するものであるという、原理資本主義が、資本の分散を実現し、経済格差をなくし、絶対的な貧困層をなくすことができる。